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『横浜通信』100号記念特集

           『横浜通信』第100号に寄せて
                               岡田 健嗣

 当会が隔月に発行して参りました漢点字誌『横浜通信』が、この7月号で、通巻100号を迎えました。読者の代表として木村多恵子さんに筆を執っていただき、主催者として岡田も、一筆したためました。

 本誌『横浜通信』は、今号で100号を迎えました。
 本誌は、横浜漢点字羽化の会の発足に1年ほど先だって、創刊されました。創刊に当たってどんな冊子にするか、現在も本会の活動の中核を担って下さっている吉田信子さんと、繰り返し意見を交わしました。そこで得た結論は、現在も本会の活動のコンセプトともなっています。
 また本誌は、現在本会で使用している漢点字変換プログラムEIBRKWの前身であるEIBRが、最初に手がけた冊子でもあります。その後パソコンも、MS‐DOSからWINDOWSへと基本ソフトが変化して、変換プログラムも現在のEIBRKWに至りました。本会の活動はこのように、会員による入力・校正・編集という編集者の担当分野と、プログラムの開発・印刷機材の保守・点検という、言わば印刷者の担当分野を、会員の力で維持し、動かし続けているものです。
 本誌の編集方針はと言えば、誠に原則的な3つの柱にあります。1つは、漢点字の資料そのものが少ないところから、読者に漢点字で読むことを経験してもらうことを期して、知識欲に応えられる資料を選ぶこと。2つは、できるだけ短い文章を選ぶこと、これは触読の困難さを考慮してのことです。3つは、文字・言語・文章に関わる基本的な資料を選ぶこと、これはこれまでの視覚障害者が、あまりにもそのような資料に恵まれずに置かれて来たことによります。
 お気づきのように本誌は、オリジナルではありません。多くの新聞・雑誌・単行本の中から、これらの原則に沿った記事を選び出して、編集し、掲載しています。これまでの点字の雑誌と言えば、内容はおおよそオリジナルでした。勿論それはそれ相応の意味があります。しかしそれは、勢い一般から離れたものにもなりがちでした。「盲界誌」と呼ばれるものです。本会の活動は、漢点字を一般の文字に匹敵する触読文字と位置づけています。そうであれば、どうしても「盲界誌」になってはいけない、そう考えました。
 横浜漢点字羽化の会は1996年に発足しました。それまでは不定期に発行していた本誌も、会員の充実を機に、隔月・年6回の定期刊行物としました。
 このように100号を迎えられたということは、取りも直さず読者諸兄姉のご支援があってのことです。毎号楽しみにして下さいますことに、心より感謝申し上げます。
 また、編集と打ち出し・製本・発送を担当して下さっている会員の皆様、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
                              2011年7月15日

    「横浜通信」100号
               ありがとうございます
                           木村 多恵子
  「横浜通信」を読ませていただき始めたのはいつのころでしたか。創刊号からでなかったのは覚えているのです。岡田様からお誘いを受けましたのに、よんどころない事情がありまして、ご辞退してしまいました。今思いますと残念なことをいたしました。
  横浜羽化の皆様が、わたしたちのためにお忙しい日々の中、どんな記事がよいか、楽しくてしかもちょっとがんばらなければ読めないもの、つまりどの号も保存して置きたくなるようなものをと、編集なさっているのだと思います。その努力の結果、100号まで途切れなかったのです。
  記事と記事の間に俳句や歌を埋め草として、新たな内容に入りやすく構成されているのもうれしいです。
  わたしは「読めそうで読めない漢字2000」と、「ちょっと使えるお天気知識」を楽しみにしています。前者の中の〈例題〉を正しく回答できるか試みています。
  何といっても 寺山修二の「ダイヤモンド」の1編の詩は、夫を送った直後に与えられた、忘れがたい特別な詩になりました。あの詩を読んだとき、「漢点字で読めてよかった」とあれほどありがたいと思ったことはありません。
  どうぞこれからもよい読み物を見つけてください。そしていつまでも続けてください。
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