「うか」113  トップページへ
ニ ュ ー ス ・ お 知 ら せ

 あけましておめでとうございます。
 昨年は漢点字の世界では、創案者である川上泰一先生の奥様・リツエ様がご逝去なさいました。哀悼に堪えません。
 今後漢点字をどのように継承して行くか、漢点字使用者である私たちに課せられた責任は、軽くはないと考えております。
 より一層のご支援を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 一 本誌『うか』をホームページへ

 会員の木下さんのご尽力で、本誌・機関誌『うか』のバックナンバー、第1号から前号・112号までを、本会のホームページ(http://www.ukanokai-web.jp/)に掲載することができました。木下さん、大変ありがとうございました。
 第1号は1997年4月に発行しました。その後、当初は隔月刊で発行して参りましたが、現在は、季刊となっております。
 横浜漢点字羽化の会は1996年の1月に発足し、活動を開始しました。その1年後から本誌が発行されたことになります。また東京の羽化の会は、2005年に発足しました。従って、本誌をご笑覧いただくことで、本会の活動を跡づけていただくことができます。
 皆様におかれましては、是非ホームページにアクセスしていただきたくお願い申し上げます。

 二 FM戸塚で放送、アーカイヴに

 昨年10/23(月)に、コミュニティ放送局・FM戸塚(横浜市戸塚区)のラジオ番組、「シビックプライド・ダイアローグ」に、岡田が出演しました。
 この番組は、本会が当初からお世話になっております元横浜市議会議員の大滝正雄先生が司会を務められて、女性のアナウンサーの方の進行で、先生からいただくご質問に、岡田が応えるという形で進められるものです。
 放送は終了致しましたが、パ(25ページへつづく)(22ページから)ソコン・スマートフォンで同局のホームページにアクセスしていただきますと、アーカイヴとしてお聴きいただけます。本会のホームページからもアクセスしていただけます。
 既にお聴き下さいました皆様からは、本会の活動の歴史がよく分かってよかったというお声をいただいております。
 まだの方は、是非お聴き下さい。

 三 漢点字協会のその後

 昨年は、日本漢点字協会の会長であられました川上リツエ(泰一先生の奥様)のご逝去という、誠に悲しい年となりました。そのような情況の中、漢点字協会の活動は、事実上停止の状態のまま現在に至っております。
 本誌前号・前々号と、協会から発信される情報をご報告、あるいはそれを手がかりに今後の見通しの検討などして参りましたが、まだ旧会員(現在は会費を収集しておりませんので、このように呼ばせていただきます。)への、協会からの、具体的な説明はございません。
 本誌の執筆者のお一人の木村多恵子さんは協会の理事でもありますので、現況についてお尋ね致しますと、理事会からの情報では、本誌前号でご報告致しましたのと異なって、前々号のご報告に立ち戻った感がすると懸念されておられます。
 木村さんのお話では、理事の間で交わされる通信では、「漢点字の普及はどのようにして行くべきか」とか、「全国の漢点字使用者をどのように糾合すればよいか」といった、組織としての活動や組織の運営に関わる議論がなされているのではなく、「どのようにすれば速やかに協会を収められるか」という内容に終始しているとのお話でした。
 前号では協会の理事会では、まず協会の所有している漢点字の資料を電子化して、協会をスリム化して、金銭的な費用と人的な負担を軽減しよう、それには電子化が終わった資料は廃棄することから始めて、贅肉を落とそうという計画が進められていると申し上げました。そうであるならば、大変前向きの議論と思われますし、そろそろそのように進める具体的な施策についての議論が始まってよいころか考えておりました。
 ところがこのほど木村さんのお話では、前々号にご報告致しましたように、協会の財産というべき、全国の漢点字訳ボランティアの皆様が製作して下さった漢点字書や漢点字の資料を、この三月を目処に、産業廃棄物として処分しようという案が提出されて、理事の中からは反対の意見が出ないままに遂行されようとしているとのことです。資料の電子化を進めながら組織の体力を改善するために、廃棄できるものは廃棄しようという議論であれば大変積極的な議論と言えましょうが、協会という組織を収束するために、まずはその妨げになる膨大な資料を廃棄しようとしているように伺える、そのように案じられるのが現状と、ここにご報告することになりました。
 さて会員として協会に所属して参りました者(岡田)として、この協会の理事並びに評議員とそれぞれの会議は、どのような性格のものか、これまで判然と知る機会を得ませんでしたが、今回日本相撲協会に関する報道が盛んになされており、「理事会」、「評議委員会」という語がよく聞かれるようになりました。
 そこで振り返って、川上先生のご存命中のころを思い返しますと、漢点字協会も、法人化を目指していた時期があったことを思い出しました。その定款も、素案を拝読したことがあります。そのような中で、「理事」、「評議員」という役職が設けられて、法人としての組織作りを目指そうとお考えになられていたのかという想像が、頭の中を巡ります。
 何れにせよ川上先生の奥様がお亡くなりになられて、その奥様が頼りとも力とも頼んでおられた方々によって、一年も経たぬうちに、その組織の収束が図られることになりそうだというのが、私どもが知り得る現状だということのようです。勿論充分な確信のもとに申し上げることではございませんが、それを否定する情報もございません。
 私どもが川上先生のお力で勝ち得たこの〈漢点字〉を、このまま歴史の時間の中に埋もれさせてよいのか、漢点字使用者は、心して考えてみなければいけない時期に差し掛かったと言ってよいように思われます。

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