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漢点字の散歩(57)
                    
岡田 健嗣

      カナ文字は仮名文字(8)

 長らく本誌の発行ができませんでしたが、今回は会員の皆様の力強いご協力の下、120号の発行が実現できました。
 今回はご承知の通り、新型コロナ・ウィルス・COVID-19の世界的な流行という、ついこの年明けまでは予想もしていなかった事態に直面して、しかも今現在も収束の見通しが立たないという情況に置かれて、本誌の休刊を余儀なくされました。季刊の発行を予定しておりますので、2回分を休刊したことになります。横浜・東京の会員の皆様は、このような困難の中、通常の活動を続けて下さっておられます。その活動の1つである本誌の発行も、活動を継続してくださっている会員の皆様のご協力によっております。感謝に堪えません。
 この間、暫く時が空きましたので、この稿を起こしましたその事情につきまして、改めて申し上げるところから始めさせていただきます。
 視覚障害者の使用できる文字は、触読できる文字である〈点字〉に限られます。〈点字〉は、今から200年前の1825年に、フランスの視覚障害者・ルイ・ブライユによって考案されました。〈〉の六つ点の組み合わせによって、アルファベットと文章記号を表すところから始まりました。
 それまでの視覚障害者に与えられていた文字は、一般の視覚に訴える文字を、木の板などに浮き出させて、指先で線をたどって触知するものでした。一見合理的に見えますが、「触読」という観点から言えば、文章を読むには極めて不適当と言わざるを得ないものでした。ブライユとその周辺の視覚障害者の若者たちは、その読み辛さに深く不満を抱いておりました。そこで当時の軍隊が使っていた夜間の触読用暗号を知る機会を得て、それを更に単純なものにして、ついに縦3つ・横2列の6つ」つの点でアルファベットを表すという方法に至りました。これが現在もなお視覚障害者にとって唯一の文字である〈点字〉の誕生です。
 この〈点字〉は、欧米の視覚障害者に革命的な恩恵をもたらしました。それは、フランスから興り、欧米の言語を表す文字であるアルファベットの特徴である音素文字の利点を大いに生かして、アルファベットという基本は崩さずに、各国の言語に適合した、各国語の〈点字〉が開発されたのでした。その結果として、それまでの浮き出し文字とは異なり、触読に堪えうる、音読も可能な触読文字として、〈点字〉は成長したのでした。
 ちょうどそのころわが国は、幕末から明治維新という激動期に差し掛かっていました。欧米から見れば帝国主義の絶頂期であって、列強は、鵜の目鷹の目でわが国に迫っておりましたし、わが国は、何としてでも独立国としての体裁を維持しつつ、欧米の文化を取り入れて、欧米列強に比肩し得る国力を付けるべく努力していました。その中に教育制度があり、富国強兵に叶った教育を行うべく学制を整備したのでした。その学制の整備の中に、障害者の教育も、欧米の文化の1つとして入って来て、日本語を表す〈点字〉が必要だということになったのでした。このようにして視覚障害者の公的な教育が始まり、わが国の言語である日本語を表す触読文字として〈日本語点字〉が開発されて、その教育の現場で使用され、普及が図られるようになりました。しかしその〈日本語点字〉は、わが国の言語である〈日本語〉を表している〈漢字〉は開発されぬまま、〈カナモジ〉、しかも1種類の〈カナモジ〉だけが作られて現在に至っております。
 このようにして欧米とわが国の視覚障害者は、〈点字〉という触読文字を手に入れることができたのですが、わが国の視覚障害者には、極めて大きな課題が残されました。それが〈漢字〉です。

 私たちが英語を学ぶ時、最も力を入れるのが「単語」の習得です。「単語」をどれだけ覚えたかが、英語をどの程度使えるかの判断の目安とされます。そのために英語の試験では、広い範囲の分野からその材料が集められて、単語の数の多さ・意味の広さ・使い方の幅広さが試されます。現在ではそれに加えて、どれだけ聞き取れるか、どれだけ話せるかが大事だとされて、聞いて答えるという試験が一般化しているようです。何れにせよ英語の習得は、今も昔も、「単語」の習得であることは変わっておりません。
 英米人から見た私たち外国人が英語を習得しようとする時ばかりでなく、英語を母国語とする人びとも、英語の「単語」の習得に勤しんでいると言われます。英語の基本はその「単語」であって、その数と意味と使い方の習得が、欧米の社会を生き抜いて行くのに必須の条件であるからに他なりません。「単語」の量と質、言い換えれば「語彙」の豊富さこそが、社会で求められているからです。
 振り返ってわが国の言語である〈日本語〉はどうでしょうか?外国人の方が日本語を習得しようとする時、どのようにしているのでしょうか?
 実際の教材や教育の方法については、私は全くの門外漢ですので、何も知りません。しかしそれでも想像を巡らせるなら、文字はアルファベットを用いたローマ字がありますので、恐らく入門の段階ではそのローマ字で表された教材を使用することになるのでしょう。しかしローマ字は、実際の日本語では、ごく限定されてしか使用されません。
 私たちが英語を学ぶ際(私たちは中学から英語を学んでおります。)、だいたい中学の3年生程度の力があれば、その後は、自力で新聞などを読むことができます。詩だの小説だのという文学の分野の読解までは困難ですが、辞書さえ引ければ、中学修了の力があれば、新聞や雑誌は読むことができます。しかし日常会話の習得は、これではできません。それには日常的に英語を聞き・話をする環境が確保される必要があります。
 ところが日本語の習得では、まずローマ字で書かれた新聞はありません。新聞は全て日本語の標準的な書記法である「漢字仮名交じり文」で、しかも縦書きで書かれています。私たちが英語の新聞を読むのと同様の日本語力を、外国人の人びとに求めるのは、かなりハードルが高いことが想像されます。ごく初期の学習者がローマ字を用いて日本語の学習を始めたとします。そのローマ字は、日本語の単語の発音を表すことができます。また簡単な単文の発音を表すこともできます。しかしごく短いものでも、文章となると、表し切れません。
 いったい日本語はローマ字では表せないのでしょうか?明治以来日本語の表記を欧米の言語と同様に、発音を表す文字で表せないかという試みは、数多く行われてきました。現在でも行われていると言われます。しかしそれは、一般化できないまま現在に至っています。たとえば行政や、たとえば学校や、あるいはマスコミと言われるメディアなどでこの試みが行われて、その成果が世に問われれば、表音文字だけでの日本語の表記という方法も、日の目を見たのかもしれませんが、そのようなことはありませんでした。もしそのようなことがあったとしますと、日本語そのものが大きな変革に見舞われることになったはずです。外国人の皆さんが日本語の習得を目指す時、最も大きな障害となるのが、やはり〈文字〉なのです。
 わが国の言語である〈日本語〉を表すその文字は、〈漢字〉と2つの体系の〈カナモジ〉です。2つの体系の〈カナモジ〉とは、言うまでもなく〈ひらがな〉と〈カタカナ〉です。この3つの文字の体系が日本語の表記の基本的な文字となっていますが、そればかりでなく日本語では、世界で用いられているあらゆる文字が、わが国の言語の表記の中にその位置を占めることができます。算用数字やアルファベットは、日常に流通する文書に、欠くことのできない文字となっておりますが、これらは歴としたアラビア由来、西欧由来の文字です。場合によってはハングルなどの他の文字も、日本語の文章の中に、単語としても文字としても挿入することができます。
 この日本語を表す3つの体系の文字の内、〈漢字〉は、中国で開発された文字です。本来は中国語を表記するために編み出された文字です。その中国語を表すための文字が、当時文字のなかったわが国にもたらされて、わが国の人びとは、それをどのように使いこなせるかを、恐らく千年という時間をかけて試行錯誤を繰り返して、日本語を表すのに適した文字としてその体系を組み直すという、気の遠くなるような作業が進められました。その結果が現在のわが国で使用されている表記法である「漢字仮名交じり文」の成立です。
 〈漢字〉をわが国の言語に適合した文字として使用するという試みの、言わばその最後の仕上げでもあり、わが国最初の、その意味ではわが国の書記言語の先駆けとして登場したのが、『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』であり、漢詩集の『懐風藻』でした。取り分け注目されるのが『万葉集』です。『万葉集』に並んでいる作品の表記は、それまで文書として成立していなかった日本語の文章の最初期から、1つの方向を示すことになる音仮名文字による表記にまでの表記法の変遷を示しています。そこで編み出された「音仮名」と「訓仮名」が、「万葉仮名」と呼ばれています。
 『万葉集』では、持統朝の宮廷歌人の中心人物であり、『万葉集』に取られている作品の作者の中心人物でもある柿本人麻呂の歌は、『万葉集』の初期の歌として、文字の使用の試行錯誤を跡づけている歌として、誠に興味深いものがあるとともに、私のような素人にも「人麻呂の歌」であろうことが分かるほどに、他の歌人作の歌とは際だった違いを感じられる作品が揃っています。なるほど人麻呂が「歌聖」と呼ばれるのにふさわしい歌人であることを、『万葉集』に触れることで知ることができました。
 『万葉集』が編まれるには、人麻呂を初めとする歌人たちが製作して表記した作品がなければなりません。その後期では「音仮名」で表されることになるにしても、初期では漢字の「訓読」と「訓仮名」を交えた表記がなされました。漢字の「訓読」を中心に「訓仮名」と「音仮名」が配列されている作品から、「音仮名」だけで表された作品へと移行しているのが『万葉集』です。〈漢字〉をわが国の言語に適合して、「音仮名」そして現在使用されている「仮名文字」の開発の手前までが、『万葉集』の表記で明らかにされていると言えます。

 文字(漢字)がわが国にもたらされて、文字をわが国の人びとが使いこなせるようになるには、想像を絶する年月と努力が必要だったに違いありません。それを1つのプロセスとして想定してみますと、まずわが列島に、現在の日本語の大本となる言語を話す人びとが住み着くことが必要でした。その人びとがいったいどこからやって来たのか、現状ではまだ謎に包まれたままと言われていますし、現在の日本語も、世界で使用されている言語の中に、近しいものを見出すことができないほどに、例の少ない言語だと言われています。言語の分類では、日本語は「膠着語」とされていて、同様に「膠着語」とされる現在の韓国語と似た配列をしてはいますが、配列以外では相違点の方が大きいと言われて、類縁の言語ということはできないと考えられているようですし、他に類縁を求めることも難しいとされているようです。
 私たちが使用している日本語という言語の古形である原日本語というべき言語を使用する人びとが、何時頃この列島に住みついたのか、最も遅くこの列島にやって来たと言われる弥生人がこの言語とともに渡って来たのか、それともそれ以前から住み着いていたと考えられている縄文人がこの言語を使用していて、後に弥生人との交流の中で、原日本語が、弥生人の使用していた言語より優勢となったと考えるか、まだ充分分かってはいないようです。確実に分かっていることは、この列島に人が住み始めたのは、今から1万5千年ほど前のころ、その前後5千年と言われていて、樺太・北海道、朝鮮半島、雲南・福建・台湾・琉球弧、オーストロネシア・フィリピン・台湾・琉球弧などのコースを経て渡来した人びとが住み着いたと考えられています。しかも1回ではなく、何回かに大きな波の打ち寄せるように渡来したのではないかとも言われています。そしてその最後に、今から3千年前ころから、弥生人と呼ばれる人びとが渡来して、わが国も石器時代から青銅器・鉄器の時代へと、急速に変化したと考えられています。弥生人と呼ばれる人びとは、青銅器や鉄器を携えて、武器・農具・祭器に新たな時代を切り開きました。そして稲作という、その後のわが国の食文化の源となる技術をもたらし普及させました。その文化・技術は、それまでの石器や土器の文化、狩猟・採集という経済を営んでいた縄文人たちを、あっと言う間に席巻したに違いありません。田畑を耕し、武器を備え、その奉ずる神を祀り、九州から畿内、そしてやがて東日本に至るまで支配下に収めました。
 その弥生人たちのルーツはどこか、おおよそ見当がつきそうです。今から3千年前と言えば、大陸では周が擡頭して、殷王朝を倒しました。中国の、私たちが知りうる最古の王朝である殷が、北方に興った周によって滅ぼされて、その結果として、南進と呼ばれる人びとの移動が始まりました。これは北方に興った周に押されて、それまで住んでいた人びとが、南へと移動を始めたことを言います。南への移動はその南に住んでいた人びとをさらにその南へと圧迫しました。そのようにして圧迫された人びとが海を渡り、台湾・琉球弧・九州へというルートが開かれたと考えられます。
 弥生人のルーツをこのように考えると、弥生人は当時の中国に住んでいた人びとだということになります。そしてそれまで列島に住んでいた縄文人に比べれば、農業に於いても、軍事に於いても、遙かに進んだ技術・文化を携えて渡来したものと考えてよいはずです。政治的にも経済的にも、原住民と呼んでもよい縄文人たちは、国家を持たない民が国家を営んでいる民と、狩猟・採集経済を営んでいる民が定住し農業という集約経済を営んでいる民との抗争を余儀なくされることとなって、その果てにこの弥生人には、全く歯が立たなかいままにその支配下に収められていったに違いありません。
 弥生人の使用した言語も大陸に由来したものだったはずです。中国語は日本語とは全く異なった構成の言語で、言語の分類では「孤立語」と呼ばれます。日本語とは異なって、語と語とを結びつける糊の働きをする語はなく、表現は語と語の並びによって行われる構造を採っています。その「孤立語」である古い中国語を使用する人びとが、圧倒的に優勢な政治力・軍事力・経済力によってわが列島を支配したと考えると、現在私たちが使用しているこの日本語が、どのようにしてこの列島で支配的な言語となったのか、更に謎が深まったと言わざるを得ません。政治的・経済的に優位な弥生人が、使う言語を中国語から列島土着の縄文人の言語に譲るということが、多分起きていたということです。これは極めて理解を超えたことではないかと思わざるを得ません。
 その謎は謎として、その弥生人たちが支配したこの列島も、その最初期から使用された言語は原日本語でした。というのも、日本語の表記が世に出た八世紀には、〈漢字〉の読みとして音読と訓読が既に整理されて、その音読と訓読を使って「音仮名」と「訓仮名」が考案されていること、そして読み下し漢文、言い換えれば中国語の文献の翻訳文ができていたことを見れば、原日本語は、その席を譲ることなくわが列島の言語としてその支配的地位を保ち続けて来たと言えます。また当時の外交関係、特に後期の弥生時代では、圧倒的な勢力を誇る大陸の国家が、朝鮮半島を通じてわが国に圧力をかけて来ていました。それに対抗するには政治的な実力と外交交渉力が求められます。前者は独立した国家の設立、後者は言語による交渉力の構築です。言語による交渉力と言っても、それは中国語の力を意味していました。中国語の力を付けるということは、中国との交渉力の増大ばかりでなく、先進国である中国の文献の読破を必要とし、「記・紀・万葉」の成立に先立って、現代には伝わらなかったにせよ、多数の文献が編まれたことが想像されます。
 「記・紀・万葉」と『懐風藻』、これらの書物は、その後のわが国の書記文化にとって、大変象徴的な書物と言えます。これらは大きく2つに大別されます。『日本書紀』と「懐風藻」は、前者はわが国の正史として、わが国の公式の歴史書として、漢文で表されています。中国の正史を参考に編まれた書物で、記録文学の祖型をなしていると言われます。
 『懐風藻』は、恐らくそれまでに渡来した中国の文献にある漢詩を参考に、当時の上流階級にあった人びとの作った漢詩が収められた漢詩集です。どちらも中国語(漢文)で表されています。
 『古事記』は、読み下し漢文で表されています。ここに用いられている文体は、現代にまで繋がる文体と言えます。ただしそれは、漢字の訓読といわゆる万葉仮名で表記されています。『古事記』は、読み解くのに困難を極めたと言われている書物で、本居宣長の『古事記伝』が現れるまでは、一般には知られることがなかった書物と言われています。
 『万葉集』は、言うまでもなくわが国最初の歌集です、長歌・短歌・旋頭歌などの和歌や漢詩が収録されています。その表記が極めてユニークで、最初期の表記は訓読・訓仮名・音仮名が適宜用いられています。後期になると、ほぼ音仮名だけの表記となります。題詞と左注は漢文で表されていて、歌の部分は和文体で、その他は漢文体で書かれているという体裁になっています。10世紀の中頃、「梨壺の5人」と呼ばれる勅撰和歌集『後撰集』の選者の5人の学者が、この『万葉集』の訓読を試みて、以後私たちの読める歌集として現在に至っています。
 わが国の公式の文書は、当初から漢文によって記されていて、平安初期までの官人は、当時の中国語を不自由なく操ることができたと言われています。その後もほぼ現代に至るまで、公式の文書は漢文で記されていました。このような文体を「漢文体」と呼びます。
 またもう1つ、短歌や長歌という和歌は、仮名文字で書かれました。和歌が挿入された「歌物語」や、日記文学や随筆が盛んに書かれましたが、これらは仮名文字で書かれました。このような文体を「和文体」と呼びます。仮名文字も現在のように1つだけではなく、1つの音が幾つもの表記法で書かれていて、読みこなすのはなかなか困難だと言われます。
 しかし1つ注目すべきことは、この「漢文体」と「和文体」という書記言語の2つの流れも、ところどころでフィードバックを起こしていることです。1つは平安期に成立した仮名文学も、書かれた当初は仮名文字だけで表されていたものですが、書写を繰り返しているうちに、現在私たちが読んでいるように、仮名文字が漢字に置き換えられて、言わば「漢字仮名交じり文」となってしまったことです。もう1つは、漢文を日本語として読み下すに当たって、当初は「乎古止点」と呼ばれる記号類を駆使して、漢文を日本語として読み解こうとしました。更に進んで現在に至るまで、右側に送り仮名、左側に返り点と呼ばれる訓点を配して読み下す方法が採られています。またもう1つ進んで、漢字を日本語の配列に並べ換えて、助詞や送り仮名としてカタカナを挿入するようになりました。これによって漢文も、「漢字仮名交じり文」となったのでした。
 現在ではこの「漢字仮名交じり文」が、日本語の標準的な表記法となっております。仮名文字だけで書かれた「和文体」も、〈漢字〉の助けを得なければ充分に文章としての役割を果たせないことが分かりましたし、漢文も仮名を交えることで日本語の文章として読みこなせるようになったということです。「孤立語」である中国語を表す文字として開発された〈漢字〉は、音に意味のある言語を表す文字として、「表意文字」と呼ばれる文字として登場しました。音の組み合わせによって意味を表すのではなく、1つの音が1つの意味を表す言葉を、その1つの音を表しつつ意味も同時に表す文字として、〈漢字〉は現れて、わが国にもたらされました。
 英語を学ぶ時にはまず単語から、単語を習得しつつその語を含んだ「語彙」を深めるというのが英語の習得の鉄則だとすれば、日本語を習うにはこの〈漢字〉の習得からというのが鉄則であることを、ここに確認したいと考えます。なぜならば、「表意文字」と呼ばれるこの〈漢字〉は、それだけで「文字」でもあり「単語」でもあるからで、日本語の「語彙」の形成に欠くことのできない要素となっているからに他なりません。
 残念ながら現在のわが国の視覚障害者には、これを克服しようという気運はありません。また視覚障害者を取り巻く健常者の皆様にも、これを何とかしようという気運はありません。
 この現況を、危機感を持って感じ取る視覚障害者の登場を待つばかりです。
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