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「うか」041

私(岡田)の古い友人である安田さんから、ご寄稿いただきました。〈酔夢亭〉は、安田さんの字(あざな)です。


  
酔夢亭読書日記(1)
                                
安田 章

 孫子 その1

 勝ち組負け組というちょっといやな感じの言葉が世間に流布している。幼稚で劣悪な言葉が流行るものだとは思うが、これからの日本社会は、1対9の割合で勝ち組と負け組に分かれていくのだそうである。
似たような言葉に強者弱者というものがある。こちらもあまり感じの良い言葉ではないが、勝ち組負け組というのよりはましな感じがする。弱者は救済されるが、負け組はせいぜい敗者復活のチャンスが与えられるぐらいである。チャンスは与えられるが、勝つか負けるかはあくまで本人次第である。浮かぶ浮かばないは自己責任である。
本人次第、自己責任、ああ、これがうまくいけば苦労は無いのである。
1割の勝ち組にはいるため、子供の頃からしのぎを削り、知識を詰め込み、ストレスをため込んで人生を生きるのも良いだろうけど、勝ちを放棄する生き方もまたオツな生き方ではなかろうか。1割にはいるということは通信簿で言えば、オール5を取るようなもので、それもずっととり続けなければならないようなものである。失敗しても、挫折してもすぐに立ち直り、水面に急浮上しなければならない。落ち込みっぱなし、沈みっぱなしはいかんのである。アルコール依存になるなんてことはもってのほかであり、趣味が競馬やパチンコなどという御仁は1割にはいろうなどとはゆめゆめ思わないことだ。

さて、唐突であるが、孫子である。孫子といえば兵法。孫子の兵法の前提は、「戦わずして勝つ」ことであり、「勝算なきは戦わず」であるという。毛沢東もナポレオンも武田信玄も孫子を研究したという。われらは勝ち組にはなれないとしても、勝ちを放棄したわけではない。それに人間の自然な心理としては負けるより勝つ方が気分が良いのではないか。
そんなわけで孫子を読んで、孫子の語るところを頼りにして自分なりにいくさとは何か、いくさに勝つにはどうしたらいいかを考えてみることにした。もちろん、いくさというものを国と国との戦争に限定するのではなく、人間社会を生きていく上での困難との戦いとみることもできるわけである。或いは経営戦略と捉えることもできる。

「兵とは詭道なり。」(計篇)、「兵は詐をもって立ち、」(軍争篇)と孫子は言う。戦いは敵を欺くことであり、敵の裏をかくことである。詭道の詭は詭弁の詭であり、詐は詐欺の詐である。
 「能力があっても無能力を装い、利にさといものには利で誘い、強いものは避けて通り、謙虚なものは驕りたかぶらせ、安逸にふけっているものは疲れさせ、団結しているものは分裂させる。そして、守りの手薄なところを攻め、敵の不意を打つ。」
 しかし、能力があるとどうしてもひけらかしたくなるのが凡人である。それをぐっと押さえて無能の人になるというのはなかなかのものだ。才気煥発すぎると人の反発を買いやすく、足を引っ張られやすい。策士、策におぼれ、カッパは河に流される。
 もっとも詭道や詐を戦争以外の平時一般社会でヘタに用いると刑法に触れる(詐欺罪 10年以下の懲役に処せられる)ことがあるので、人を騙すときには注意が必要である。孫子のせいにしても相手にしてもらえない。生兵法は怪我のもとである。

 「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るをいわんや算なきに於いてをや。」(計篇)
 勝つ条件が多ければ勝ち、少なければ勝てない。ましてや勝つ条件が全くないのに勝つかもしれないなどと期待してもムダである。当たり前みたいであるが、この部分を読むと、ギャンブルにはまっている人を思い起こしてしまう。ギャンブルに勝つということは正に算少なき、と言えるのではないか。勝ち目がほとんどないのに、たまに大勝するものだから、その快感を忘れられずにギャンブル依存症になるものが増えているらしい。筆者もパチンコ好きである。依存症については別途研究したいと思っている。
・谷岡一郎「ギャンブルフィーバー」(中公新書)
・田辺等「ギャンブル依存症」(生活人新書)

 「兵には拙速を聞くも、未だ巧久を睹(み)ざるなり。」(作戦篇)いくさは拙くとも早く切り上げることが肝要である。
 「兵は勝つことを貴ぶも、久しきを貴ばず。」(作戦篇)
 長期戦になって国に利益があったためしはない。戦争が長引けば、兵士は疲れ、鋭気は挫かれ、国家財政ははなはだしく損なわれ、国民は窮乏し他国につけ込まれる隙を与えてしまう。現在進行形のイラク戦争にベトナム戦争の悪夢を重ねる人はきっと多いはず。

 「用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。」(謀攻篇)
 孫先生はいう。敵国は痛めつけずに降伏させるのが上策で、打ち破るやり方はそれに劣る。ふーむ。そして、
 「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」(謀攻篇)となる。戦わないで、敵兵を屈服させることがどのようにして可能であるか。
 「上兵は謀を伐つ。」敵の陰謀を陰謀のうちに打ち破る。こういうことは日本はヘタである。007のイギリスあたりが得意そうである。諜報活動で敵国の内部崩壊を画策する。

 「彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆(あや)うし」(謀攻篇)

今回、孫子について書くに当たって参考、引用している文献は以下の通りです。
 「新訂 孫子」金谷治訳注 岩波文庫
 「孫子」町田三郎訳 中公文庫
 「孫子を読む」浅野裕一 講談社現代新書
 「ビジネスマンの孫子の兵法」二見道夫 三笠書房
 「孫子の兵法がわかる本」守屋洋 三笠書房
 「新釈 孫子」武岡淳彦 PHP文庫


「うか」042

  酔夢亭読書日記(2)
                               
安田 章

 孫子その2

「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。」
人間の常というか、凡人であるからか、他者、他人のことを知るより自分のことを知る方が遥かに難しいと思うがどうであろうか。
自分を知ると言うことは自分を限定するということであり、自分を明らかにすることであるが、これがなかなかできない。「人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず、知恵いまだ開けず、古今にうとくして、世変になれず。言あやまり多く、行(おこない)悔い多し、人生の理(ことわり)も楽(たのしみ)もいまだしらず。」と貝原益軒先生は喝破されているが、五十有余まで生きながらえてきた酔夢亭のごとくはいまだ己が何物であるのかさっぱり分からない。支離滅裂なことを喚き、悔い多いことばかりしでかして悪夢にうなされ、汗びっしょりの朝を迎えることもあるのである。

 「孫子曰わく、昔(いにし)えの善(よ)く戦う者は、先ず勝つ可からざるを為して、もって敵の勝つ可きを待つ。」(形篇)
 敵の攻撃を受けても負けない態勢をつくりあげ、相手に勝てるような態勢を見計らう。そして、「勝ち易きに勝つ」わけだ。派手な勝ち方をしないで、淡々と勝つべくして勝っていく。そうなるためには、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬と」(宮本武蔵 五輪書)する日々の積み重ねが必要なのかもしれない。
 千日、万日の稽古や鍛錬を続けていくことによって、腹を練り、腰をさだめる。まさに
「動かざること山の如く」(軍争篇)にである。
 稽古、鍛錬と言うことで少し横道にそれていくが、稽古とは「昔の事を手本に」することであり、型を覚えることであるように思える。武道や芸事においては完成した型を徹底的に真似なければならないわけで、そこに我流を入れたなら上達もないし、師匠から破門される。そして型どおりに自分の身体を動かす為には何千何万回も繰り返し鍛錬する必要があるというわけだ。因みに南郷継正という人によれば、武道の技の修得には、2万回の反復練習が必要とのことである。数百回数千回反復練習しても2万回まで行かないで止めてしまうと、技の修得は結局できない。量から質への転化はある極限点を境に劇的に起きるということだろう。
 量から質への転化、それは漢字を覚えていく過程にももしかしたらあるかもしれない。
「漢字の一字一字は、巨大な文化的意義をもっている。そこには凝縮された深い思索がこめられている。漢字はそれ自体が巨大な文化遺産である。漢字を数百数千覚えているということは、自分の心に宝石を数百数千埋め込んでいるのと同じことである。」と斎藤孝はいう。心に宝石をたくさん埋蔵していれば、人生は豊かになるわけで、漢字を単なる伝達の道具などと考えて軽視するのは間違っているといわざるを得ないと思うが、読者諸兄はどうお考えになるだろうか。

 「水の疾(はや)くして石を漂わすに至る者は、勢なり。鷙鳥(しちょう)の撃ちて毀折(きせつ)に至る者は、節(せつ)なり。」「勢は弩(ど)をひくが如く、節は機を発するが如し。」(勢篇)
 孫先生は勢いというものについて述べている。激流が石をも流すのが、勢いであり、猛禽が獲物を一撃で打ち砕くのが節である、という。勢は弓を一杯に引き絞ったエネルギー蓄積の状態であり、節はその限界に達した蓄積を一気に発するようなものである。
 物事を成そうとするとき、その個人なり組織なりに勢いというものがどうしても不可欠であると思う。やる気のないものがどれだけ頭数を揃えていても、そんな組織は早晩瓦解していくのは言わずもがなであろう。やる気という水位を高めて行くにはリーダーは何を成すべきか。

 「故に善く戦う者は、之を勢に求め、人に責(もと)めずして」「人を択びて勢に与(したが)わしむる」「其の人を戦わすや、木石を転ずるが如し。」(勢篇)
 精鋭部隊ではない烏合の衆を率いて戦わなければならないことの方が現実には多いのかもしれない。丸い石を千仭の山から転落させるような状況をリーダーはつくっていく力量が求められるのであろう。

 「故に善く戦う者は、人を致すも人に致されず。」(虚実篇)
 相手を思うがままに動かすが、自分は決して相手の意図どおりには動かされない。相手が休息しているときは相手を引きずり回して疲労させ、満腹であれば別の場所へ連れて行って飢えさせる。

 「故に善く攻むる者は、敵守る所を知らず。善く守る者は、敵攻むる所を知らず。」(虚実篇)
 このあたりの虚々実々はまさに孫子らしい。「微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。」のだ。何とも神々しいではないか。
 思えば私たちは人に致されてばかりで、会社をリストラされても不景気だからと文句も言えず、税金が足りないから増税するといわれても反抗の筵旗も立てずに唯々諾々と従っているように見える。じっと手をみて己の不幸を認識するだけでなく、ここは積極果敢に孫先生のいわれるように「人を致す」ことも少しは考えてみる価値もあるように思う。

 「我れ寡(すくな)くして敵は衆(おお)きも、能く寡を以て衆を撃つ者は、則ち吾が与(とも)に戦う所の者約なればなり。」(虚実篇)
敵をバラバラにしておいて、自軍は全兵力を一点に集中し、相手を各個撃破していく。一点集中により、「十を以て壱を撃つ」形にするわけだ。もちろん、こちらが十である。相手を分断して「虚」にしてしまい、弱小にする。

以下次号

今回参考にした文献は以下のとおり。
「孫子」浅野裕一 講談社学術文庫
「身体感覚を取り戻す」斎藤孝 NHKブックス
「養生訓」貝原益軒 講談社学術文庫


「うか」043

  酔夢亭読書日記(3)
                               
安田 章

 孫子その3

 「迂(う)を以て直と為し、患(うれ)いを以て利と為す」(軍争篇)
 所謂、「迂直の計」、「患利の計」といわれる高等戦術である。
 回り道をしているようで、それは実はまっすぐの一番の近道である、などというのは何だか目眩まし、幻術みたいである。世俗にも「こつこつと地道に努力するのだよ、成功するには回り道のように見えてそれが一番の近道なんだよ」といわれることが多いが、孫子と関係あるかどうか、私には分からない。
 「迂を以て直と為し」というフレーズから「損して得取れ」、「急がば回れ」などという言葉をついつい連想してしまうが、さて、「損して得取れ」などということは現代日本にもまだ残っているのだろうか。損するのは絶対イヤだが、得するためには人を押しのけ、なりふり構わない、なんて格好悪いことはしたくないなあ。
 目先利益の優先ばかり考えて、買い物をしてもレシートも出さない商売人がタマにいるが、そのような商店は案の定閑古鳥が鳴いている。これなどは「小さな得をしようとして、大きな損をしている」状態と言えるだろう。
 金銭の出費を「損」と捉え、収入を「得」として、「得」のことばかり考えてするような社会活動、事業などは何か底が浅い感じがしてならない。金銭的結果がすぐ現われないようなことは誰もがやらない、なんて事態になったら文化国家とはとても言えた義理ではないと思う。少なくともイキで無いのは確かだ。

 「迂直の計」という高等戦術を実践するには、恐らく、思考の枠組み(パラダイム)転換が必要なのであろう。例えば、考現学で著名な今和次郎は、戦後混乱期の人びとの具体的生活に着目し、「生活学」を提唱したが、「生活」というものを考える最初の一歩を「娯楽とは何か」という問いから始めたという。今が提唱するまでは「生活」というものは労働力再生産の視点からしかアプローチされなかったわけである。私などは何もしないで、公園でぽかんとしていたり、行く雲を飽きずに眺めていたりすることに大いなる慰安を得るものであるが、このような無意味に見える行為は労働力再生産という視点からでは理解されにくい。しかし、今はそうしたものも精神的充実という視点から意味あるものとして光を当てたのである(以上、天野正子著 「生活者とはだれか」中公新書)。視点を変える、逆に考えてみる、ということも時には必要かもしれない。
 「患利の計」の方が分かりやすいのかもしれない。つまり、「患(うれ)いを以て利と為す」わけであるが、似たようなものに「わざわいを変じて福となす」「禍福はあざなえる縄の如し」「人間万事塞翁が馬」などがある。「煩悩即菩提」になると離れすぎか。不利な条件を有利なものへ転じる。そんなこと不可能である、と考えるよりも何とか逆転しようと日々思考をポジティブに立てている方が精神衛生的には良いと思う。

 「故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に其の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、知り難きこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷(いかずち)の震うが如くにして、郷を掠むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、権に懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。」(軍争篇)
 ご存知、武田信玄の軍旗、風林火山の部分である。実際には孫子の兵法は武田の甲州軍団では活用されなかったそうである。

 「将に五危有り。」(九変篇)とし、将たるものには、五つの危険がつきまとうと孫先生は言われる。
 「必死は殺され、必生(ひっせい)は虜にされ、忿速(ふんそく)は侮られ、潔廉(けつれん)は辱められ、愛民(あいみん)は煩わされる。」
 決死の覚悟で行けば、殺され、生きたい、生き延びたいという思いの強いものは捕虜にされ、怒りっぽいものは敵の挑発に乗りやすいし、人格高潔なものは侮辱に弱く、人情あるものは部下に振り回される。「厚くするも使うこと能わず、愛するも令すること能わず、乱るるも治むること能わざる」ことになってしまい、部下が言うことを聞かない様はどら息子の如くで、もののやくには立たない状態に陥ってしまう。
 この五つの危険は、将でなくても普通に生きる私たちにも戒めになる言葉だと思う。

                                  孫子 完

今回引用、参考にした文献は以下のとおり。
「孫子」浅野裕一 講談社学術文庫
「孫子」町田三郎 中公文庫
「「生活者」とはだれか」天野正子 中公新書


「うか」044

  酔夢亭読書日記(4)
                               
安田 章

「借金(金銭消費貸借契約)その他お金を巡る問題について」その1

 人間が自由にそして自立して生きるためにはお金に振り回されないことも重要なことのひとつであると思う。独立独歩を説いた福沢諭吉先生が実学を説いたのもまさに、このお金の問題をこそ人の生き方にあってはもっとも基本であり、お金を上手に使うことと自由と独立は無関係ではないことを深く洞察していたからだろうと酔夢亭は思うのである。
 蓋し、バブル崩壊以後、世の中はすっかり世知辛いものになり、貧すれば鈍する、有様である。お金なんか有ろうと無かろうと品性変わらぬ精神の高貴さを保っていたいなどと夢想する酔夢亭の如きは、時代錯誤の先カンブリア時代の化石みたいなものである。おやじ〜、なにわめいてんだよー、うざいんだよお〜って、若者たちにバカにされるのがオチである。
 しかし、浜の真砂が尽きても泥棒が居なくならないように、或いは男と女がこの世の中に居る限り色恋沙汰が無くならないように、お金がある限り、借金問題というものが必ず出てくるのも確かなことである。
 ドストエフスキー、石川啄木、内田百關謳カなどは言うまでもなく、古今東西の少なからぬ文豪、芸術家たちは借金に苦しみ、借金をバネとしておのれの才能を大きく開花したことは皆様ご存知の通りである。文豪、芸術家であれば、借金も愛嬌、才能のうちにみられるし、後生に名も残るから救われもしよう。だが、我ら凡才、凡人、名も無き庶民が借金を返せなくなるとどういうことになるか、敢えて言えば悲惨の一語である。

 ということで、今回以降は、借金問題についていろいろ考えてみたいと思う。
 基本的コンセプトは、借金なんかに負けないで元気に明るく生きていきましょう、ということである。酔夢亭は行政書士でもあるので、法的なアプローチも試みたいと思う。

 「借りたカネは返すな!」 加治将一、八木宏之共著
 加治将一氏は作家、不動産投資家であり、八木宏之氏の肩書きは企業再生屋である。後ほど登場してくる吉田猫次郎氏は個人再生屋である。再生屋とは死にかけの企業や個人を生き返らせる仕事と言って良いだろう。死にかけていると言っても、病原菌などによるものでは無く、金欠病によるもので、主な症状は借金で首が回らないとか、借金取りにおいかけまわされたり脅かされたりして、精も根も尽き果ててしまった状態のことである。
 「夜逃げ、自殺といった後ろ向きな発想は捨てましょう、事故を装った保険金が目当ての自殺、後を絶たない駅のホームからの飛び込み自殺が一件でも減ることを切に望んでいます」と八木氏は訴える。そう、そのとおり、借金なんかで死ぬことはない、借金とは踏み倒すもの也、と力強くかつ逞しく宣言しようではないか。が、自分がその当事者になったとき、現実の状況はそう易々と力強くかつ逞しくさせてくれるだろうか?
 「腎臓売れ、肝臓売れ、目ん玉売れ」で有名な商工ローンの怖い取り立て屋が家にやってきて凄まれても堂々として動じないような態度を取れるものかどうか、自信はないが、勇気は持ちたい。腎臓は一日に血液を180リッターも濾過する大切な臓器である。肝臓だって目ん玉だってかけがえのないものである。借金のカタなんかで取られてたまるもんかい!と心で叫んでも、なにせ借金しているという負い目がある。借金は余り感心できない、ましてや借金を返さないなんてとんでもないことだ、という強迫観念が日本人にはあるようだ。
借金って言葉が良くないのかも知れない。シャッキン、語感も良くない。金銭消費貸借契約、というのはどうだろうか。外国語みたいで良いではないか。契約だから、ギブアンドテイク、義理人情負い目はない。互いに信義誠実に義務を履行し、権利を行使すればよろしいわけだ。よし、これにしよう。

 ということで、借金と言うことばを使わず、今後は金銭消費貸借契約という語でこの項を統一していきたいと思う。
 さて、次回以降のキーワードを挙げておくと、
 自己破産、サービサー法(債権管理回収業に関する特別措置法)、リスケジュール、自宅を守る、特定調停法、利息制限法、金利の引き直し、民事再生法、不当利得返還訴訟、連帯保証などがある。
具体的に金銭消費貸借の問題点を考えていくつもりである。


「うか」045

  酔夢亭読書日記(5)
                               
安田 章

「借金(金銭消費貸借契約)その他お金を巡る問題について」その2

 酔夢亭は自由と独立を求めてやまない人間であるが、現実に自由と独立を獲得しているか否かとは又別の問題である。求めよ、さらば与えられん、ドリームズカムトゥルー、そのように信じて明るく生きていくのが精神衛生上にも、老年性鬱を避けるためにもよろしいのではないかとハカナク自己慰安してるわけだ。その昔、自己満足というものを忌み嫌っていた酔夢亭も随分変ったものである。歳月は人間を変える。ローリングストーンは苔むさないというが、角が取れすぎてつるつるすべすべになりすぎてしまうのも如何なものか、と思わないでもない。
 さて、人がこの世に誕生すると法的には皆平等である。「私権の享有は、出生に始まる。」(民法1条の3)わけである。そして、死亡と共に私権も終了する。この私権があるから、いろいろ契約を結んだりできるわけで、そのかわりいったん契約を結ぶとその契約内容に法的に拘束される。金銭消費貸借契約もそうである。お金を借りるということは契約を結ぶということだ。借りたお金は自由に使える。ギャンブルに使おうが、馴染みのスナックに入れ込もうが、ブランド漁りしようがご随意である。借りた元本とその期間の利息を返済期日通りに返済すればなんの問題も起こらない。
 私権を享有するということは権利を得ることができる反面、義務をも負うということに他ならない。これは契約社会では当たり前のことであるが、金銭債務についてはともすればこの当たり前のことを忘れてしまうから不思議だ。金銭について、貸す側の心理、借りる側の心理などを研究してみるのも面白いかもしれないが、今回は立ち入らないことにする。
 ともかく、もらったわけでもない限り、借りたお金はできれば返した方が良いようである。ここまでは常識である。ただし、条件がある。借りた元本+利息制限法の利息以内で返した方が良い、という条件である。
 利息制限法第1条@ 金銭を目的とする消費貸借上の利息の契約は、その利息が左の利率により計算した金額をこえるときは、その超過部分につき無効とする。
 元本が10万円未満の場合       年2割
 元本が10万円以上百万円未満の場合  年1割8分
 元本が百万円以上の場合       年1割5分
 法律がはっきり無効である、と定めているので、こえた部分の利息は払う必要が無いどころか払いすぎている場合は、過払い金として返還してもらうことも可能である。
 ところで、消費者金融会社が利息制限法違反の利息で堂々としかも派手にテレビでCMを流し続けているのは皆様ご承知の通りである。チワワや美人女優を起用し、親しみやすさを宣伝しているが、実態はサラ金という高利貸しに他ならない。「サラ金」というのは「サラリーマン金融」の略称で、1960年頃に発生したと見られる。サラ金が社会問題化されたのは、1980年前後のことで、サラ金苦での一家心中、自殺、夜逃げなどの記事が新聞紙上を賑わしていたことを記憶されている読者も多いことであろう。
 最近では、「サラ金」大手は一部上場を果たし、この不況にもかかわらず収益を伸ばしている。収益が伸びるのは当たり前で、銀行や生命保険会社から低利(2%台)で借入れ、客には27〜29%高利で貸し出すのであるから、これは良い商売である。商売っ気のある御仁なら、貸金業というのも面白い事業と感じられるのではないか。正義感の強い人には向いていないかも知れないが。
 正義感という言葉を使ったついでに考えてみるに、晴れた日には嫌というほど傘を貸してくれるのに、ずぶ濡れになっているときに傘を返せという、銀行って如何なる社会的存在や?銀行などに一顧だにされない酔夢亭にだって、銀行の不人情さ、薄情さはよく分かる。銀行が、低金利で融資条件をゆるめ、ちょっとの手助けで生き返る個人や零細企業を支援する姿勢があれば、これほど高利の「サラ金」の類がのさばることの歯止めに少しは貢献できたはずである。公的支援を受けるばかりでなく、少しは社会貢献もしてね、銀行さん!
 さてさて、話が横道にそれてきた感じがするので軌道修正すると、なぜ、利息制限法違反の利率で貸出ができるかという問題である。
 実をいうと金利に関する法律はもう一本、「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」(略称「出資法」)というものがあり、こちらの方が利息制限法より金利が高く設定されている。この「出資法」による現在の上限金利は29.2%である。金利の変遷をざっと見ると、「出資法」が制定された1954年の上限金利は年109.5%、サラ金問題発生を機に年73%(1983年)、年54.75%(1986年)、年40.004%、つい最近の商工ローン問題を契機に、現在の金利29.2%になった。
 「サラ金」業者が利息制限法金利を無視して「出資法」金利の範囲で商売するのは、「出資法」の方には罰則規定があるからに他ならない。利息制限法には罰則規定が無く、民事上の有効、無効が争えるだけである。無効な金利でも任意に、つまり納得して支払ってしまい、法律的争いを提起しなければ有効になってしまうのである。金銭債務を有利に解決するためには、この無効部分を明らかにすれば良いわけである。しかし、罰則は無い。
 かたや「出資法」には罰則規定があり、貸金業者が上限金利年29.2%以上で契約をしたりすると、懲役3年以下もしくは300万以下の罰金などが科される。罰則がある方に従うのは世の習いであり、路上喫煙禁止条例を見れば、よく分かる。千代田区で実際に罰金を取るようになると、歩きタバコが激減したというから、罰則があるかないかで法律の効果はてきめんに現われる。
 そういうわけで、「サラ金」やカード会社(JCBとかGCとかセゾンカード)のキャッシングの金利は29.2%に限りなく近く設定されているわけである。そして債務者が利息制限法以上の利息を支払ったとしても、それが「貸金業の規制等に関する法律」(略称貸金業規制法)第43条の規定に該当するときは、「みなし弁済」になり、有効な支払になってしまうわけである。これを根拠に業者は貸金元本と利息制限法違反の利息を回収していることになる。


「うか」046

  酔夢亭読書日記(6)
                               
安田 章

「借金(金銭消費貸借契約)その他お金を巡る問題について」その3

 金銭債務があっても債務を弁済していればなんの問題もない。なんらかの理由でその弁済が不能になったときにいろいろ困ったことになるわけである。弁済不能になる理由は人それぞれで、身から出たサビで同情の余地もないものもあれば、他人の連帯保証人になったばかりに、ということもある。人間の心の弱さが原因で多重債務者になっていたりすることもある。
 それやこれやの時代状況もあり、毎年自己破産者数が増加しているとのこと。債務が弁済できなければ、自己破産、という言葉が頭に浮かぶほどポピュラーなものになっている。自己破産の申し立ては毎年右肩上がりであり、年20万件を超す繁盛?ぶりである。消費者金融の使いすぎが圧倒的に多い。自己破産という名の通り、債務者自らが地方裁判所に破産を申し立てるという手続きを取るわけである。
 自己破産の申立は書類作成など煩雑なため、本人で手続きするのは面倒であるかも知れないが、本人でも出来ないことはない。自分で苦労して書類などを必死になって作れば、いろいろ反省もし、同じ失敗を繰り返さないための勉強にもなるだろう。それに専門家に頼めば、ことは早いであろうが費用もそれなりに掛かる。
 ここはひとつ、金銭債務が膨らんで自己破産寸前の方、ロス疑惑の三浦和義氏にならって自分で裁判所に出向いてみてはいかがであろうか。
 破産申立の用紙は裁判所に用意されているので、それを貰ってきて作成しよう。破産申立書には添付書類が必要である。戸籍謄本、住民票、陳述書、資産目録、家計全体の状況、債権者一覧表などである。陳述書に書くことなどは本当に細かく、自己の私生活について何から何まで詳細に(破産に至る生活状況みたいなもの)記入しなければならない。過去10年間にバー、クラブ、スナックに行ったことがあるやなしや、行った回数は?使った金は?などの項目もある。恥も外聞もない。酔夢亭のような恥ずかしがり屋は恥ずかしさで死んでしまうだろう。まあ、恥ずかしいなんて言ってられるうちは未だ切羽詰まっていないわけで…。
 恥ずかしい、ってことに関して言えば、金銭債務があることを家族に内緒にしておいて解決したいという向きがあるが、この際は家族の協力を得ることにしよう。自分独りで債務の問題を抱え込み自分独りで夫や妻や親などにばれないように何とかしようと思って、より深みに入る場合が多いからである。孤独に自転車操業を繰り返していると物事を冷静に考えられなくなり、挙げ句悪質な貸金業者や買取り屋などに引っかかる恐れもある。
 さて、破産が認められるためには、「破産原因」という法律要件を満たさなければならず、個人の場合で言えば、「支払が不能であること」が「破産原因」に該当する。一時的に支払が出来ないというのは、「破産原因」にならない。この辺りはいろいろ判断が難しそうだが、裁判所が調査、確認する(債務者審尋)。
 なお、破産申立の際、財産が全然無いかほとんど無い(破産費用をまかなえる費用にも足らない)場合は、「同時廃止」扱いにして貰えば「破産宣告」と同時にすべての手続きが終了する。(本稿で扱っている「自己破産」は財産のない個人ということで話を進めている。)
「同時廃止」扱いについても突っ込んでいくと種々、微妙な問題が出てくるようだが、そこは端折って、ともかく自己破産の申立てが裁判所に認められると「破産宣告」が下される。
「破産宣告」は官報に公告されるが、選挙権が無くなったり、戸籍に記載されたりはしない。ただし、一定の資格や職業には就けなくなる。酔夢亭の関連で言えば、NPO法人の役員や行政書士などの「士業」の仕事が出来なくなる。しかし、「免責」をうければ「復権」することになっていて、資格や職業の制限もなくなる。
「免責」の力は絶大だが、「破産宣告」が下されても自動的に「免責」されるわけでなく、「免責」の申立を直ちにする必要がある。そして「免責」の審尋を受け、相当と判断されると「免責」の決定がなされ、抗告期間が経過し、「免責」が確定すると晴れて債務は帳消しとなるのである。帳消しになった債務の相手がクレ・サラや高利貸しであれば一件落着めでたしめでたしである。さあ、新規まき直しでがんばろー、ということである。

 これまで述べてきた「自己破産」も金銭債務の一方法であり、他にも「個人版民事再生」、「特定調停」などの方法もある。定職があったり一定の収入が見込める人は、利息の引き直しや過払いを取り戻し、3〜5年程度の低額長期分割払いをして「自己破産」を避けることも出来る。
最後に、例えば、次のような「自己破産」を読者諸氏はどうお考えになるであろうか。
 〈例〉
 ある轢き逃げ交通事故の被害者は即死し、妻と幼子一人が遺族として残された。その車は、廃車されたもので自賠責保険は切れており、任意保険は元来入っておらず、保険金はまったく出ない事案である。加害者は業務上過失致死罪等で起訴され実刑に処せられ服役した。加害者は、その法廷では裁判長に対し今後真面目に働いて遺族に弁償する旨誓ったが、実刑判決を受けて居直りの心が生じ、弁護士を頼んで自己破産と免責の各手続きをとってもらった。めでたく免責がもらえたので、彼は獄中一人心の中で祝杯を上げた。
(井上薫著「破産免責の限界」法学書院より引用)
 現役の裁判官が書いたものなので、奇をてらったものではない。「自己破産」「免責」にはこういう側面もあるということで、例としてあげておきたい。


「うか」047

  酔夢亭読書日記(7)
                               
安田 章

「借金(金銭消費貸借契約)その他お金を巡る問題について」その4

 債務は履行するのが筋で、破産免責というのは緊急避難と考えるべきだろう。借りたものは返す、というのは当たり前の常識である。当たり前の常識を破るのであるから、債務者の方にのっぴきならない事情や同情すべき余地があって当然である。民法の第一条Aは、基本原則「信義誠実の原則」を謳っている。「権利の行使及び義務の履行は信義に従ひ誠実に之を為すことを要す」わけである。自己破産、免責にしても義務の履行がどうしても出来ないせっぱ詰まった状況打開のために行使したいものである。まさに「権利の濫用は之を許さ」ないわけだ。
 それはそうとして先にも触れたとおり、自己破産者は毎年増え続けている。平成14年21万4千件余、平成15年24万2千件余である(最高裁判所速報値)。自己破産という法的手続きを取るわけではがないが、相当に追い込まれている多重債務者は150万人以上といわれている。
 自己破産者や多重債務者を狙うヤミ金融業者も増えている。世の中には弱っているものを徹底的にいたぶり、吸い尽くす輩がごまんといるから、債務で首が回らなくなったらそのような吸血鬼よりも劣る輩には間違っても近づかないことである。東京神田の街を歩いていると、5千円から貸します、という看板が軒並み並んでいる。この5千円で転落していく人生もあるわけだ。聞くところによると、街角で金貸しのプラカードを持って一日中立っているおじさんたちは、自己の労働により債務の返済をしているらしい。
 河合直美氏の放送大学の卒業論文「多重債務者の心理特性」によれば、多重債務者は世間でイメージされている派手で見栄っ張りというより、「大局的に物事を考えるのが苦手」という無計画性と、「困っていても気軽には人に相談できない、相談する友人がいない」という孤独傾向に集約できるという。かたや、貸す側のヤミ金融業者が重視する借り手の人柄は、第一に「約束を守る人」、第二に「真面目でかけひきが苦手な人」、その他に「内気で他人に余り相談しない人」が業者には都合がよい(「ヤミ金融」鈴木宏明著、岩波ブックレット)。
 人間、追い込まれると本来持っている性善なるものが隠れてしまう。夜逃げや自殺、あるいは犯罪にまで追いつめられてしまうであろう。そうならないために私たちは自分自身で予防できる問題と社会的制度的に予防できる問題とを有機連関的に組み合わせ、たかだか金銭如きで花も実もある人生を棒に振らないために知恵を働かせていきたいものだ。
 自分自身で予防できることとして、金融庁のホームページ「節度ある利用について」にこうある。
 (2)計画的な借入れ
   計画的な借入れとなるよう利用の際には次の点を確認して下さい。
 @ 本当に借入れが必要か。
 A 無理なく確実に返済ができるか。
 B 手数料や金利はいくらになるか。
 C 契約書の内容は理解できたか。
 金銭借入れに際してこのように冷静に考えられる様な人であるならば、そもそも多重債務に陥ることもなかろうと思われるが、書いてあることに異論はない。サラ金の宣伝にも、「ご利用は計画的に、借りすぎに注意しましょう」とある。サラ金がこんな親切めいたコピーを流すぐらいなら、利息制限法内の利息で商売したらどうですか、と悪態のひとつもつきたくなる。
 いずれにせよ、金銭債務依存体質そのものを改善していく必要がある。この体質改善はいろんな意味で甚だ難しく感じられるが、我慢してやるしかないだろう。依存体質を独立独歩の自立体質に変えることは、掛け声は簡単だが、行うは難し、である。第一、日本国家自体が超債務超過に陥っていて自己破産寸前ではないか。範を示すべき国家が借金依存体質そのものである。財部誠一氏のつくるホームページに日本国家の借金時計という恐るべきものがあって、一秒刻みで猛烈に借金が増えていく様子が分かるようになっている。それによれば、日本の借金は1秒あたり92万円弱、1日あたり794億円余の猛スピードで増え続け、1年間にはなんと29兆円になる。そしてただいま現在(平成16年11月23日)の借金は、704兆9366億円、明日の今頃には705兆円となる。
 政官財のカネにまつわるスキャンダルを見聞していると、真面目に金銭債務を果たしていこうという気が失せてくるのもむべなるかなとも思われるが、気を取り直してやっていこうと酔夢亭は提案するのみである。
 一国一家を富ますにはどうしたらよいか。二宮尊徳翁は斯く語った。
 「米は蔵にたくさん積んで少しずつ炊き、薪はたくさん小屋に積みあげて燃やすのはなるべく少なくし、衣服は着られるようにこしらえておいて、なるべく着ずにしまっておく。これこそが家を富ます方法である。つまり国の経済の根本である。天下を富裕にする大道も、実はこれ以外にないのだ。」(「二宮尊徳翁の訓え」野沢希史訳 小学館)
 尊徳翁の言われることが現代の大衆消費社会にあってはナンセンスであるかどうか、考えてみることは決して無意味ではないと思うのだが、如何であろうか。

 「借金(金銭消費貸借契約)その他お金を巡る問題について」4回にわたって書いてきたが、一応今回で終了する。当初の目論み通りにはいかなかったが、金銭については今後もいろんなバリエーションで考えていきたいと思っている。
 「利害の対立が存在するにもかかわらず、一方が他方に屈服してしまって闘争にならないのは、一方が人間であることをやめて他方の完全な奴隷になっている証拠である。」(「誰も書かなかったケンカのしかた」増尾由太郎著 三一書房)
 多重債務で首が回らなくなくても、決して自己の誇りを失わず、闘おう、と言いたい。               


「うか」048

  酔夢亭読書日記(8)
                               
安田 章

 韓非子 その1

 中国4000年の歴史という。
 中国の「歴史の父」司馬遷によれば、中国の歴史は黄帝をもって始まるものとされる。黄帝を始祖とすれば、黄帝開国即位紀年でいえば西暦2005年は4703年ということになるらしく、まさに中国には四千年以上の歴史が確かにあるわけである。
 しかし、黄帝を始めとし堯、舜で終わる五帝の時代以前にも三皇の時代というものがあり、それ以前には盤古という神様?が混沌とした世界を打ち破り、天地を開闢したと伝えられている。
 「五帝が倫(みち)を定めたのに感応して、世界は四大部州にわかれ」、その中のひとつの州に東勝神州(とうしょうしんしゅう)というものがあり、その東勝神州の海の外には傲来国(ごうらいこく)という国があり、傲来国は大海に接しており、その海の中には花果山が・・・、とくるとご存知、「西遊記」の世界である。
 三皇、五帝の時代はいわば神話的時代である。五帝の最後の帝、舜は、堯から六一歳で帝位を受け継ぎ、39年間働いた、というから我ら凡人も歳だから引退だ、などと安直に言わないように致しましょう。舜の重臣の1人、禹(う)が舜のあとを継ぐことになるが、この禹を始祖とするのが夏王朝である。五帝の時代は有徳者から有徳者へと帝位が禅(ゆず)られるいわゆる禅譲が慣わしであったが、夏王朝をもって血縁的統治である世襲制へと移行した。
 禹で始まった夏王朝は500年近くつづいた後、17代目の桀(けつ)が殷の湯王(とうおう)に滅ぼされ幕を閉じた。殷王朝が成立したのは紀元前1600年頃と推定されていて、歴史的実在が明らかなのは殷王朝中期の頃からであると言われている。ゆえに歴史的実在の証明という観点から言えば、中国3500年の歴史と言うべきか。
 殷の時代に文字が発達し、3000字近い文字がそろい、現在の漢字の祖型となっていて、東アジアの漢字文化圏を作り上げた。

 さて、我らの韓非子が歴史に登場してくるのはまだまだ先で、酒池肉林、炮烙(ほうらく)の刑で有名な殷の紂王(ちゅうおう)が周の武王に滅ぼされ(殷周革命)、その周の統治も緩む春秋戦国の時代である。周の封建制が崩れ、秦の始皇帝が全国制覇するまでの約500年をさす時代である。
 この春秋戦国時代に諸子百家という思想家群がきら星の如く出現し、「仏教を除き、以後2000年以上にわたる中国の歴史のなかから生まれるすべての思想の原型は、ことごとくこの時代に萌芽した」。
 「諸子とは多くの学者先生といった意味で、百家とは多数の学派の意味」で、「実際に諸子の学派が百もあったわけではない」そうである。
 (儒家)、(道家)、(陰陽家)、(法家)、(名家)、(墨家)、(縦横家)、(雑家)、(農家)、(小説家)、(兵家)などがある。以前書いた孫子はもちろん(兵家)である。
 韓非子は法家であり、春秋戦国時代の戦国末に法家思想を集大成し、秦の始皇帝を魅了した思想家である。

 ということで、今回はここまでにし、次回から韓非子をメインにしながら中国の思想やその他の事どもをつれづれにつづっていきたいと考えている。

 参照、引用文献
「諸氏百家」浅野裕一(あさの・ゆういち) 講談社学術文庫
「諸氏百家」貝塚茂樹(かいづか・しげき) 岩波新書
「韓非子」上 安能務(あのう・つとむ)文春文庫
「中国思想」宇野哲人(うの・てつと)講談社学術文庫
「韓非子」冨谷至(とみや・いたる)中公新書
「物語中国の歴史」寺田隆信(てらだ・たかのぶ)中公新書
「西遊記」(1)小野忍(おの・しのぶ)訳 岩波文庫


「うか」049

  酔夢亭読書日記(9)
                               
安田 章

 韓非子 その2

 「待ちぼうけ」という唱歌がある。
 歌詞は皆様ご存知のとおり、兎が飛んで出て木のねっこに勝手にぶつかってころりころげた、というのが1番の歌詞で、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の満州唱歌である。

  待ちぼうけ 待ちぼうけ
  ある日せっせと野良かせぎ
  そこへ兎が飛んで出て
  ころりころげた 木のねっこ

 子どもの頃からよく知っている唱歌であるが、ずっと意味はよく分らないでいた。赤塚不二雄のギャグみたいな世界でナンセンスワールドの面白さかと思っていた。しかし、2番、3番の歌詞をみるとどうやらナンセンスワールドと言うよりも人生訓を唱っているようでもある。

  待ちぼうけ 待ちぼうけ
  しめた これから寝て待とか
  待てば獲ものは駆けて来る
  兎ぶつかれ 木のねっこ
  
  待ちぼうけ 待ちぼうけ
  昨日(きのう)鍬(くわ)とり畑仕事
  今日は頬づえ 日向ぼこ
  うまい伐り株 木のねっこ
  
木のねっこにぶつかる兎もたわけなら、2匹目の泥鰌を期待して再び兎が木のねっこにぶつかるの待っている農夫もおおたわけである。おいしい獲物を待ちに待った挙げ句の果てが、「もとは涼しい黍(きび)畑」が「箒草(ほうきぐさ)」が生い茂る「荒野(あれの)」になってしまうという、なんとも心侘びしい話である。
 この詞の発想の元は中国の故事に由来するということなので調べてみると、どうやら「韓非子」によっていることが分る。
 「宋の国の人で畑を耕している者がいた。畑の中に木の切り株があったが、たまたま兎が走ってきてその切り株にぶつかり、首を折って死んだ。兎をもうけた彼は、それからすきを捨てて耕作をやめ、切り株のそばを離れないで、また兎を得たいと願った。もちろん兎は二度とは得られず、その身は宋の国じゅうの笑いものにされた。」(「韓非子」 五蠹 第49 金谷治訳 岩波文庫)
 このエピソードだけを単純にみれば、確かに人生訓としても読めるわけである。しかし、韓非子が意図したことは、そんな人生訓を垂れようとしたわけではなかった。「その身は宋の国じゅうの笑いものにされた。いま古代の聖王の政治によって現代の民を治めようとするのは、すべてこの切り株のそばを離れずにいるのと同じたぐいである。」(同上)と断定し、理想主義的な儒家たちを鋭く批判しているのである。つまり、この「守株(しゅしゅ)」の話は儒教批判がテーマなのである。
 儒教といえばなんと言っても孔子さまがその祖である。そしてその系統に儒家としての荀子があり、韓非は荀子に学んだということである。
 「韓非というのは、韓の国の公子である。刑名法術の学説をこのんだが、その帰着するところはやはり、黄・老の説であった。韓非は生まれつき吃りで口で述べるのはうまくなかったが、著書にすぐれていた。李斯と同じく荀卿(じゅんけい)に師事したが、李斯は韓非におとると自認していた。」(「史記列伝」小川環樹他訳 岩波文庫)
 荀卿というのは荀子のことであり、「性善説」の孟子に対し、「性悪説」を唱えたことで有名である。
 現代においても人間性一般について書生論議をすると必ず、人間の本質の問題に行き着くことが往々にしてあるが、なかなか決着はつかない。人間の性は善であるか、悪であるかなどと議論百出の青春時代を思い出すが、幼い経験と凡庸な頭脳からは結論が出るべくもなかった。
 それはともかく、儒家の荀子に学んだ韓非はやがて儒教を批判的に乗り越え、法家としての立場を鮮明にしていく。
 「古代の聖王は天下の人々をひろく愛したので、父母のような態度で民衆にのぞんだ」なんて嘘っぱちだ、ちゃんちゃらおかしい、民なんて甘やかせばつけあがり、おどせば服従するものだ、そんな当たり前の認識もなく理想を並べ立てるのは偽善といわないでなんというべきか。韓非の厳しい儒家批判に感銘したという秦の始皇帝がやがて焚書坑儒の政策をとるのは、ことの必然であろう。韓非と秦の始皇帝が歴史の時空で出会い、心をシンクロさせる様子を想像してみることも楽しいことである。

 唱歌「待ちぼうけ」は、満州で暮らす日本人の子ども向けにつくられたものだそうだ。満州といえば最後の皇帝(ラストエンペラー)溥儀が元首となり建国された満州国があるが、日本の傀儡国家であることから、偽満州国(偽満)であると中国からは非難されたのである(欺瞞と間違わないで!)。日本の軍国主義が進み、滅亡へと転がっていく中、満州に住んでいた日本人の子どもたちがどんな心情で「待ちぼうけ」をうたっていたのだろうか。
 中国の最初の皇帝始皇帝と最後の皇帝溥儀がはからずも唱歌「待ちぼうけ」を介して繋がった、というべきか。


「うか」050

  酔夢亭読書日記(10)
                               
安田 章

 韓非子 その3

 韓非子は韓の国の公子であり、刑名法術の学を唱え、吃音で弁論は不得手であったが文章力に秀でていた。その思想の根本には黄老の学がある。これが司馬遷の「史記列伝」に紹介される韓非子像である。しかし、韓の国の公子と言っても王の正妻の子ではなく、母の身分は低く、王族の一員だったにすぎず、蝶よ花よともて囃されて成長したわけでもなさそうである。おまけに韓の国自体がこの時代(戦国時代末期)、強国秦に脅える弱小国だったわけで、公子と言ってもそれほどありがたい身分でもなかったものと思われる。
 韓非子が、三島由紀夫「金閣寺」で描くところの吃音の主人公溝口のように「行動が必要なときに、いつも私は言葉に気をとられている。それというのも、私の口から言葉が出にくいので、それに気をとられて、行動を忘れてしまうのだ。私には行動という光彩陸離たるものは、いつも光彩陸離たる言葉を伴っているように思」ったかどうか、それは分からない。しかし、一般に吃音というものが「言葉が出にくい」もので、「どもりさえ治れば何でもできる」と考える「デモステネス・コンプレックス」の棘に苛まれる心理的症状を呈するものだとするならば、戦国時代の遊説家としてはかなりなハンディキャップがあったに違いない。
 「およそ君主に説くことの難しさは、君主に説くほどの内容を自分でわきまえることが難しいというのではない。また、自分の意向をはっきり伝えるまでに弁舌をふるうことが難しいというのでもない。さらに、自分の思いどおりに自由自在に弁じたてて語りつくすことが難しいというのでもない。およそ説くことの難しさは、説得しようとする相手の心を読みとって、こちらの説をそれに合わせることができるかというところにある」(説難(ぜいなん)篇)には違いないが、立て板に水のように言葉が流れていかないことには真剣勝負のディベートの場では不利は否めない。
 紀元前4世紀アテナイの雄弁家デモステネスの場合は、吃音を克服するために口の中に小石を入れてエーゲ海の波濤に向かい発声練習を繰り返したそうだ。腹の底から声を出すために横隔膜を鍛え、肩の上に剣を吊り下げ、発声の時の見苦しい肩の動きを矯正しようとした。おまけに、ふらふらと外に遊びに出てしまわないように頭の髪の半分だけを剃り落としまでしたのである。空手の達人、「空手バカ一代」と称えられた大山倍達が山に籠もって修行するときに、下界への未練を捨て去るために片方の眉を剃り落とした逸話を思わず彷彿とさせるではないか。
 ところで、「どもり」という言葉は使ってはならない差別語であろうか。通常「どもり」という代わりに「吃音」と言い換えられることが多くなったそうである。「たとえば三島由紀夫の『金閣寺』の映画化である、市川雷蔵主演の『炎上』は、役者がせりふの中で頻繁に使う<どもり>が自主規制されてから一時、無音化されていました。しかし、最近NHKで放送された『炎上』では、無音化されていた<どもり>が復活してい」たりする。
 差別語や差別表現に対する規制の根拠や基準はありやなしや?と考えさせられるが、このあたりどうもはっきりしないようである。「わたしは<どもり>を死語にしたくはありません。<どもり>が使えなくなることは、私たちの存在そのものが、否定されているように思えます」と、伊藤伸二は強く訴えている。因みに法的には「吃音は障害者手帳が交付されず、障害と認定され」ていない。
 差別語ということで言えば、「中国」の呼び方を「支那」と表現してはだめだ、というものがある。しかし、本当に「中国」を「支那」と表現するのは差別であるのだろうか。何らかの基準や根拠というものが果たしてあるのだろうか。
「支那」の音は「シナ」であり、語源は春秋・戦国時代に終止符を打った統一国家「秦」から来ているそうだが、この「秦」がペルシア語で「チーン」(Chin)、アラビア語で「シーン」(Sin)、インド諸語で「チーナ」(Cina)となり、大航海時代インドにやってきたポルトガル人を介して「チーナ」(Cina)が、他のヨーロッパ語に広がっていった。英語の「チャイナ」(China)、フランス語の「シーヌ」(Chine)、ドイツ語の「ヒーナ」(China)、イタリア語の「チーナ」(Cina)など、すべてポルトガル語源である。
 一方、江戸時代日本にやってきたイタリア人宣教師シドッティから西欧人の知識を仕入れた新井白石は、日本人が「漢土」とか「唐土」とか呼んでいるものをヨーロッパ人は「チーナ」といっていることに注目し、後漢の時代、仏教の経典が漢訳されたときに「チーナ」が「支那」に音訳されているのを探しだし、これに当てたのが「支那」の呼称が定着した始まりだとのこと。
 こうして語源を探求していってみると、「支那」という表現に格別、差別語という根拠がありそうもないのだが、果たして読者諸兄は如何お考えであろうか。

今回の参照、引用した文献は以下の通り。
「韓非子」第1冊 金谷治訳注 岩波文庫
「史記列伝」(1)小川環樹他訳 岩波文庫
「中国文明の歴史」 岡田英弘 講談社現代新書
「金閣寺」 三島由紀夫 新潮文庫
「知っていますか?どもりと向き合う一問一答」 伊藤伸二 解放出版社

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