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点字から識字までの距離(106) 野馬追文庫(南相馬への支援)(24) 山 内 薫 |
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Nさんからの手紙 今回は、毎月本をお送りしている通所支援事業所じゅにあサポート「かのん」所長のNさんに寄稿して頂きました。特定非営利活動法人きぼうが運営している事業所は現在三カ所あり、今年度の受け入れ児童数は、きっずサポート「かのん」未就学児中心事業所で幼稚園保育園に通うお子さんが多く(学童は1年生まで)契約児童34名、じゅにあサポート「かのん」発達障害・知的障害を持つ普通学校の特別支援クラス・通級のお子さんが中心(1年生から中学・高校)で契約児童57名、ちゃいるどサポート「かのん」知的・身体障がいをもつ特別支援学校に通うお子さんが中心(小学1年生から中学・高等部)で契約児童34名という状況だそうです。事業形態としては、いずれも児童発達支援・放課後等デイサービス事業所で県の認可を受け運営しています。(本来、障害種別にはこだわっていなかったのですが、学校の下校時間・送迎形態等を考慮すると、こういったすみわけになってしまったそうです。) 震災の思い出とともに 東日本大震災後、南相馬市においては地震津波・原発被害により市民が避難を余儀なくされました。しかし、避難先における環境への適応が難しいお子さんやその対応に追われるご家族にとって、生活の場が変わることは非常に辛いものでもありました。 震災から半年。 私たち夫婦は一つの決断をし、戻ってきたお子さんが「安心して通える場所」・「子供たちの心と体をしっかり育む支援」を目的とした児童デイサービス事業所「きっずサポート『かのん』」を立ち上げました。 当時は7名の児童からのスタート。 そんな子供たちに癒され・励まされたのはむしろ私たち大人たち。 当時の発達支援の素敵な思い出を一部ご紹介させていただきます。 【1年生になったばかりのA君】 A君は毎日ドリル片手にやって来ます。 ひらがな書き取り練習。 一字一字丁寧に鉛筆を走らせます。 今日の課題は、「り」「へ」 最初はスリムに書かれていた「り」も段々太った「り」に…。 「り」も、こう太ってくると「い」に見えないでもない。 A君に、「これは太って『い』になったね」と話すと、 にこにこしながら、「可哀そうだから痩せて『り』に戻すね…いい?」とのこと。 無事「い」が「り」に戻り、今度は「へ」のつく言葉の「ぬりえ」です。 挿絵は「へちま」 言葉をたくさん覚えたA君は知らない言葉を聞けるようになってきました。 「へちまって何?どんなの?」 「『へい』って何?どんないろ?」と…。 インターネットで「へちま」と「へい」の画像を探し、プリントしたものをA君に渡したところ、さっそく茶色のクーピーペンシルを手に取り塗り始めました。 100点満点の「へちま」と「へい」の絵 ぬり終えたときのA君の満足げな顔、素敵でしたよ! 震災から7年。 野馬追文庫様はじめ全国の方々からのたくさんの愛情を賜り、当時一年生だったお子さんも近春は立派な中学生に…。 当時一か所からスタートした「きっずサポート『かのん』」も、今では「じゅにあサポート『かのん』・ちゃいるどサポート『かのん』」と仲間が増え、子どもたちと共に日々奮闘中。 震災は私たちの中ではまだまだ終えることのない出来事。 当時を振り返り、災害で生まれた心身の喪失感に憤りを感じることもありましたが、そういった生活の中で心豊かに過ごして来てくれた子供たちがとても愛おしく、何気ない日常の有難味が今だからひしひしと感じられる今日この頃であります。 特定非営利活動法人きぼう 副理事長 じゅにあサポート「かのん」 所長 N キッズサポート「かのん」はできた当初、鎌田實の「八ヶ岳山麓日記」(2013年1月15日(火))に次のように紹介されています。 「キッズサポートかのん」 昨年末、南相馬にできた発達障害や知的障害がある子どもたちの放課後デイサービスに行ってきた。 特定非営利活動法人キッズサポートかのんである。 理事長は市役所の職員だった。 市役所の税務課で、精神的に疲れていたという。 震災後は、避難所の担当を任された。 命がけでやらなければと思ってやってきた。 おおむねひと段落したので、奥さんと2人で自分の夢をはじめた。 51歳で定年退職。 その退職金をかけて障害児の個別指導をする施設をつくった。 自分の家に障害児がいるというわけではない。 「とにかく、人の役に立ちたい」 志が高い。 かのんでは、高機能発達障害などの子どもたちが、みんなで歌ったり、ゲームをしたりして楽しい時間を過ごしている。 グループではなく、個別に訓練をしながら、社会に出られるように可能性をのばしている。 とてもすばらしい取り組みだ。 実際に子どもたちとおしゃべりしたり、勉強したりする姿を見たが、実におもしろい。 みんな元気でユニークだ。 14歳の男の子は「かのん新聞」の編集長をしていた。 大好きなパソコンで、きれいなレイアウトで新聞をつくっていた。 一人ひとりが生き生きしている。 なんだかうれしくなってしまった。 いま、きずなホルモンとも言われているオキシトシンの勉強をしているが、人間関係をつくるのが苦手な発達障害の子どもにオキシトシンスプレーを使うと、相手の表情を読みとったり、気持ちを推測したりすることができるようになるという報告がある。 そういう科学的なサポートも大切だが、かのんのように人間と人間とのサポートの両面が大切だ。 発達障害は社会性の障害ともいわれ、子どもたちも、お母さんたちも疲れている。 キッズサポートかのんのような場があることで、どちらも救われているような気がした。 すばらしい施設だ。(http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0f13.html) Nさんからは本をお送りした後、いつもお礼のメールを頂きます。その中のいくつかをご紹介します。 「毎月頂戴している絵本どれもが素敵で、11日をいつも心待ちにさせていただいております。 放射線の件ですが、実際うちの息子夫婦と孫は避難生活の延長を嫁の実家がある神奈川でしており、盆と正月程度にしか会えずにおります。 震災がなかったら……と思うことも今まで度々ありましたが、正直何が正しいのかはわかりません。なぜなら結果は後になってみないとわからないからです。 一つ言えることは、子育ては親の責任である事です。 放射能の影響は親が不安だと感じるなら、それは親が子供をしっかり守るべきだと思っています。支援者や親が疲弊してると子供にも大きく影響を及ぼします。 かのんを立ち上げるにあたって、私たちはこの場所でしっかり地域や子供を守る……そう心に決めました。決して自分たちの価値観を押し付けることなく、只々保護者さんやお子さんに寄り添っていければと思ってきました。 支援者だからと気負わずに対応することも大事かと思うのです。 なーんて厳しいことを言ってしまいましたが、実際自分たちもかつてそうであったため気持ちはわかります。 今は出来るだけ楽しい時間を子供たちと共有することにエネルギーを注いでいる所です。 色々愚痴めいたことを書いてしまったことをお詫び申し上げます。」 2017年5月 「のまおいぶんこのお礼が遅れてしまいまして、大変申し訳ございませんでした。 今回頂戴した、「ぴょーん」の大型絵本は、かのんが始まったばかりの頃、図書館から借りてよく子供たちに読み聞かせをしていたものです。かつて「ぴょーん」とお話が進むにつれて一生懸命「かえるさんやトビウオさん」になり切っていた子供たちも、今はもう立派な5年生以上になりました。 今回いただいた絵本をまた次の世代へと読み聞かせてまいりたいと思います。 小高の避難解除は、原町に家を求めた若い世代も多く、果たして若い家族がどのぐらい戻るのかはわかりません。 私どものスタッフの家族も相馬や原町に家を建て、遠くに避難している家族も戻らないと決めているとの話を聞き、今回の震災で家族が分裂してしまったケースを多く聞き、改めて震災の悲惨さを最近になって感じるようになってまいりました。 まだまだ東日本大震災の爪痕を残しながらも、熊本地震による新たな被害者が多く生まれたことに胸を痛めている今日この頃ではありますが…。 元気が取り柄の私。心身ともにしっかり夏を乗り切ってまいりたいと思っております。」2016年6月 「いつも素敵な本を頂戴し大変ありがとうございます。 フクロウが大好きな職員・ペンギンが大好きなお子さん……。 今回の絵本を開くとすぐ子供たちは大喜び。 動物たちの癒し効果はばっちり子供や職員たちにも届いておりました。昨年1年間、当事業所に対しましてあたたかいご支援を賜り感謝申し上げます。 絵本から「かのん」の子供たちが学んだこと……。 表現する力・相手の立場に立ったものの見方・慈しみの心・憐みの心……様々です。 震災から5年目になろうとしていますが、絵本がかのんの子供たちの心に大きく影響していることは間違いなく、子供たちの心の成長が最近になって特に大きく感じられるようになってきました。 きっとうちの子供たちも絵本を通じて感じ学んだことを大きくなってから思い出し、そのまた子供に今後もその素晴らしさを伝えていってくれることと信じております。」 2016年3月 |
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