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   点字から識字までの距離(62)

                         
山内薫(墨田区立あずま図書館)

    色について

 今回は色について書いてみたい。よく「目の見えない人に色の話をしては失礼に当たるのでは?」と気にかけている人がいる。そんな人には、「色というものも経験の蓄積によって、その人なりの色に対する感じ方が形成されるものではないかと思うので、目の見えない方に対しては、むしろ積極的に色の話をする方がよいのではないか?」と答えている。おそらく私が思っている緑とあなたの思っている緑とでは相当違うイメージをお互いに思い浮かべているのではないかと思うし、現にふたりが同時に見ているある色を、全く同じように認識しているという保障はどこにもないのではないか?私の知人で若い頃世界の国々を放浪していた人が「アフリカで見るコカコーラの赤は日本で見るそれと全く違う色に見える。」と話していたが、同じ色が湿度など風土によって違う色に見えるのだろう。図書館を利用なさっている全盲の方に聞いてみると、「雪の白い色はよく覚えている」とか、「血の赤い色は分かる」などと答えて下さる方もいる。また自分に似合う洋服の色を決めている方も多い。そんなこともあって、20年近く前、小学館から出版された『色の手帖』(1986年刊)という本を点訳したことがある。『色の手帖』には日本の伝統的な色名と現在一般に使われている色名358色に、カラーの色見本と日本の文献から採取された用例が添えてある。例えば「瓶覗(かめのぞき)」という色は、淡い藍色で、藍瓶にちょっと浸けただけの色を言い、ごくうすい青の色見本が載っている。そして歌舞伎、滑稽本、樋口一葉、秦恒平の4つの文献が紹介されている。樋口一葉の引用は1896年の小説「われから」の中の「集まりし人だけに瓶のぞきの手拭、それ、と切って分け給へば、一同手に手に打冠り」という一節である。この藍瓶に浸けていって濃くなっていく色を、順次「瓶覗」、「浅葱(あさぎ)」、「縹(はなだ)」、「藍」、「紺」と呼んでいるが、日本の染色文化を背景に持った色ということができる。358もの色を区別することはとても不可能で、例えば「黒橡(くろつるばみ)」と隣り合った「消炭色(けしずみいろ)」はほとんど同じ色にしか見えない。色見本だけを取り出して何色か当てろ、と言われても、とても正しい色名を答えられるとは思えない。
 さて、古来日本語には色名として赤、白、黒、青の4つしかなく、それも現在我々が思い浮かべる色ではなく、明暗を表す語と濃淡を表す語があっただけだったという。(佐竹昭広著『萬葉集抜書』所収「古代日本における色名の性格」)明暗のセットはアカとクロで、それぞれ明るい「アカシ」と暗い「クラシ」になる。濃淡のセットはシロとアオで、はっきりしているという意味の「シロシ」(著しいという漢字を当てる)あるいは「シルシ」(顕微鏡の顕、アキラカという漢字を当てる)と「アヲシ」(漠然の漠という漢字を当てる)又は「アワシ」(淡いという漢字を当てる)になる。従ってアヲは「本来は灰色がかった白色」を指す語であったという。枕草子の有名な第一段「春はあけぼの、ようようしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲の、細くたなびきたる」の「しろく」は山の稜線がだんだんはっきりしてくる情景を表現しており、「あかりて」は明るく赤みを帯びてくる様子を表している。この「アカ」「クロ」「シロ」「アオ」の四語は植物や染料名など物の名に由来していないという特徴を持ち、現代日本語の中でも「あかい」「あおい」「しろい」「くろい」と「い」をつけて形容詞を作ることができ、「白さ」など、接尾語「さ」をつけることができる。また「あかあかと」「しらじらと」など重複型の副詞を作ることもできる。さらに、この4色は特別な関係を持っており、シロとクロ、アカとアオ、アカとシロは互いに反対色になる。白と黒は、白星−黒星を始め、容疑者を指したりし、素人(シロウト)、玄人(クロウト)も白と黒の対である。赤と青は赤鬼−青鬼、赤紫蘇−青紫蘇、赤信号−青信号など対をなす。赤と白も赤出し味噌−白出し味噌から、運動会の赤組白組などで対になる。こうした反対色を持つ色はこの四色以外にはない。「青信号はなぜアオなのか」という副書名を持つ『日本語の歴史』(小松英雄著、笠間書院 2001年)という本によると、青の付く複合語はそのほとんどが緑色を指している。青葉、青虫、青竹、青海苔などはみな緑色であり、青二才などのように未成熟であること、青畳のように新鮮であることをあらわし、必ずしも青という色に基づく命名ではないようである。こうした伝統的な用法に対して、伝統を離れた用法が青空ということになる。
 ところで、いわゆる5色というときには、この4色に「黄色」が入るが、「き」という色は中国の5行思想に基づいた正色(「昔、中国で、まじりけのなく正しいと定めた色」広辞苑第5版)であり、それをそのまま受け入れたもののようである。日本では「き」は赤と青の中間色として捉えられていたようで、方言を分類してみると、奄美以南では卵の黄身や菜の花は「アカ」であるのに対して、東北や関東などでは「き」はアオと言い、「菜の花はアオイ」とか黄色い蜂を「アオバチ」と呼ぶ方言が見られるという。「き」が西日本では「アカ」の部類、東日本では「アオ」の部類であったとすれば、先の4色が基本色であるというシステムは崩れない。(柴田武「色名の語彙システム」『日本語学』第7巻1号 1988年)緑も元は草木の芽を指す言葉で色名の由来も新芽からきているという。色感としては緑色の信号が「青信号」と呼ばれるのも、赤との対応で日本語としての自然な命名であるという。(前掲『日本語の歴史』)


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