「うか」88号  トップページへ 
     点字から識字までの距離(84)
             南相馬への支援(2)

                           山内 薫(墨田区立あずま図書館)
 さて第1回目の10冊は以下のような経緯で送られた。
「全ての本を10冊全部を購入できずに申しわけないのですが、今回購入分のうち、1タイトルは『はじめてよむ童話集(3) ふしぎな話』(大月書店)で、これは編集の野上暁さんから推薦いただきました。(同じ支援チームでご一緒させていただいており、先日も一緒に福島市に参りました。)5つほどお話が入っていますので、1つずつ読んであげてほしいです。『はじめてよむ童話集(1)わらっちゃう話』もよいのですが、最後が地震の話なので・・・。その他は『そら、にげろ』(赤羽末吉作、偕成社、文字なし絵本)、『いいからいいから』(長谷川義史、絵本館)、『トリゴラス』(長谷川集平)また、『14ひきのおつきみ』(いわむらかずお、童心社)も迷っています。季節感のあるものもあるといいですよね。ストック本からは、18冊そろいませんが、ぐりとぐらシリーズやエリック・カールの絵本などを選んで送ります。Wさんのメールにあった『だいくとおにろく』(松居直文、赤羽末吉絵、福音館書店)のような昔話もなるべく見つけ出します。紙芝居は、皆同じものは入りませんが、山内さんも楽しいとおっしゃってくださった『おおきくおおきくおおきくなあれ』も1、2冊ストックありますので入れます。紙芝居は私もよく障害のある子どもたちなどにも読みますが、『みんなでぽん!』『ごきげんのわるいコックさん』『そんなのいらない』などはとても楽しんでくれます。」
 それに対するWさんの見解は
「『トリゴラス』は碁で言う「あとで効いてくる石」というやつだと思います。素知らぬふりをして、はじめに混ぜていて、この本だけちょっと変だな、なんでこの本なんだろうと、それがあとから効いてくるという感じを私は持っています。「もうめちゃくちゃや。まち、ぐちゃぐちゃや。もうわやくちゃなんや」(確かそうだと思います。今手元にないので確かめることが出来ません。)」を大きな声で読める日がいつくるのでしょう。のちに送る2冊にこの本を選ぶと違和感がより増します。はじめからしらばっくれて置いてみませんか。きっと必要になる日が来ます。好みの問題かも知れませんが、『14ひき』はなんと言っても『ひっこし』だと思います。今仮設住宅に引っ越してきて、辛いけど、これからどうなるんだろうという、ワクワクもほんの少しあって、その気持ちをくすぐってみたいと思います。同じように展開が全く読めない楽しさと言えば、『ぐりぐらシリーズ』では、はじめに出た『ぐりとぐら』だと思います。田舎の森の探検という感じがよく出ていて、子どもたちの環境にぴったりなのではないかと思います。子どもは大人に育てられているということは一方で真実ですが、自然を含めた地域でも育てられているのもまた一方の真実だと思うのです。」
 このお月見に関しては、Wさんがバイクで福島から相馬市に峠を越えて入ったときの話が印象的だった。夜中に峠を越えると気持ちの良いひんやりした空気に触れたというのだが、そのことを地元のお年寄りに語ったところ、大津波以降、地面が湿っぽくなり、夜の空気も湿っぽくなってしまって今までの空気とは全く違ってしまったと話されたそうだ。従って以前のようなお月見が出来るかどうかということにも配慮が必要だと話された。
 Kさんの次のようなメール「絵本と心のケアの段階として、安心→楽しむ→再体験・客観視→表出→克服・回復という過程があるかと思います。今までほとんど安心して遊ぶという段階と考えて本を選んできました。童話のよみ聞かせや『心をビンにとじこめて』( オリヴァー ジェファーズ作、三辺律子訳、あすなろ書房) や、『トリゴラス』などは、その次の段階にそろそろ時期が来たという選書になりますね。いずれも人が近くで寄り添っていることが大事ですね。」に対して、Wさんは「安心→楽しむ→再体験・客観視→表出→克服・回復というマニュアルはそれはそれとして優れていると思うのですが、子どもの自然治癒力により、また体験や家族の構成により、いろいろな段階の子どもたちがいるのだと思うのです。安全・安心・自信を育むのは先行く仲間としての大人ですが、大人の思惑を超えて、子どもは発達して行くというのが児童図書館で、また生活保護で巡り会った子どもたちや、自分の子育て経験の中で、児童養護施設でともに生活する中子どもたちが教えてくれたことです。」と応じていた。
 そして、いよいよ本が発送された。
「今日、南相馬市18箇所分10冊ずつ、原町保健センターにお送りしました。共通『そらにげろ』『トリゴラス』『はじめて読む童話集(3)ふしぎな話』、紙芝居は送ったリストのタイトルのものを各1、2冊、現在購入してストックしている状態ですので、それを18箇所にばらしました。残り5冊は、ユニセフや偕成社、出版対策本部からの寄贈本の中から、ぐりとぐら、エリック・カール、昔話系をなるべく選んでお送りました。内容は18箇所ばらばらになります。この中には、Wさんが読まれてみてうまく沿わないものも入ってしまうかもしれませんが、資金的に10冊全部の購入は厳しいので、こうした送り方をお許しください。すこし小さな絵本が多く、読み聞かせには不都合もあろうかと思います。十分ご要望に応じきれていないと思いますが、今回はこれで精一杯かと。次回は今回の読み聞かせの様子から、ぜひこの本をとリクエストしてください。Wさんのご希望に、自ずと沿うと思います。」
 現地に本が届くと原町保健センターの保健師のOさんからKさんに下記のようなメールが届いた。
「Kさま
 絵本たちが私に優しく笑いかけてくれました。
 昔、娘や息子に少し読んでやった絵本もあって、すごくなつかしかったのと、見たこともない絵本を手にとらせていただいたのですが、すごくきれいな絵だったり、うーんとうならせてもらう内容のものだったり・・・とにかく、わくわくしてしまいました。
 絵本の力はすごいです。
 今週、Wさんが仮設集会所のサロンで読んであげて、袋包みを届けてくださいました。
 まだ、お届けできていないところへは、私が責任を持って・・・!少し紙芝居など読ませていただいて、お届けしてきたいと思います。
 本当に、素敵な絵本をありがとうございます。
 わくわくして、肩の力が抜けてきます。絵本て、やっぱりすごいです。
 今後も、もう少し・・・お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。」

 その後、南相馬での1週間のボランティア活動を終えたWさんから電話がかかってきた。8月上旬に送られた本の中に林明子の『おふろだいすき』や『ぐりとぐらのかいすいよく』が混じっていたが、仮設住宅の膝を曲げてやっと入れる小さなお風呂で、日々生活している親や子どもに大きなお風呂の絵本はどうか?放射性物質のおかげで外で遊ぶことも出来ず、もちろん海で泳ぐことの出来ない状況に置かれている子どもに海水浴の本はどうなのか?との疑問を呈された。確かに現時点で例えば津波の出てくる絵本などは避けた方が良いだろう。親と子が1対1で読むということであればまだしも、今回の絵本は複数の子どもや大人に読み聞かせをするという前提で送られるものなので、選書に当たっては細心の注意が必要であろうというのが,Wさんと私の見解でそのことを巡って是非3人で会って話をしたいという事になった。Wさん、Kさん共に立川近辺に職場と住居があるとのことで、8月24日に立川市立中央図書館の4階子どもコーナーで待ち合わせることになった。その時に立川で話し合われた内容は以下のような内容だった。

・8月に絵本が届いたのは9日で仮設住宅には11日前後に届いているので、今後毎月11日に本が届くようにしよう。
・紙芝居の「おおきくおおきくおおきくなあれ」や「みんなでぽん」「ごきげんのわるいコックさん」等は保育園などで大勢の幼児のまえでやるには良い紙芝居だが、紙芝居を今までやったことのない若い生活支援相談員が大人も子どももいる仮設住宅の集会所でやるにはどうか?むしろ昔話や宮沢賢治など郷土に関わり大人もある程度楽しめるものが良いのではないか。
・当面100冊を目標にし、そのうち絵本が60冊、紙芝居が10冊、その他が、幼年ないし児童文学という構成ではどうか。
 さしあたって次回9月に送る本として『注文の多い料理店』の紙芝居(童心社)、長新太の絵本では傑作『ごろごろにやーん』(福音館書店)を是非ということになった。また、前回送る予定になっていた『いいからいいから』も加えて3冊送る予定にした。
 その作家の一番の絵本を選んで送ろう、全体の100冊をなぜ選んだのかということを、仮設住宅の集会室で読み聞かせする中で検証していこうという話になったが、Wさんの意見としては、例えばモーリス・センダックの絵本といえば『かいじゅうたちのいるところ』(冨山房)が自他共に認める1番の本ということになるだろうが、仮設住宅に送る本としては、むしろ会話を誘発するような『あなはほるとこおっこちるとこ』(岩波書店)のほうが相応しいのではないか。南相馬市には2009年12月に開館したばかりのすばらしい中央図書館があり、しっかりと選書された多くの絵本や児童文学があるので、それがバックグラウンドとしてあると考えて、仮設住宅に住む子と親のためと、より狙いを絞り込み、より自由な、選書を考えようという話になった。
 ところで、現地には様々なボランティアなどが入って活動しているが、Wさんはこんなエピソードを送って下さった。
「私は今回、自分の至らなさを噛み締めながら活動をおこなっていました。みんなで「ふるさと」を歌っている時、参加されている方が「私のふるさとはなくなってしまった」と叫び、泣き出されました。このように良かれと思いおこなっていることが、人のこころの傷を開けてしまうこともあることを、前回と比べてなお一層私に教えてくれました。とりわけ、南相馬市は津波で被害が出た地域に加え、立ち入り禁止の地域が約3分の1あり、浪江町など東京電力福島第1原子力発電所により近い方も南相馬の仮設住宅に入居されているようです。被災地の外から支援に入る私たちには良いと思われることを本当にそれで良いのかと謙虚に検証して行く作業が問われています。被災を受け続けられている方々のお話に謙虚に耳を傾けることが南相馬で援助に取り組む者として必須の要件となっているのです。」
 また「私は仮設住宅の集会所のグループワークで知り合った膝痛のある方にリハビリという治療方法があると案内しました。南相馬市立総合病院にリハビリ科があるのはネットで知っていたからです。理学療法士に膝のリハビリを受けるのもひとつの手段ですとお話ししたのです。しかし、東京電力福島第1原子力発電所建家の爆発で理学療法士が1人もいなくなったこと(その人たちを責めることは出来ません。もし仮に私が子どもや家族を抱えその時居続けた保障はどこにもありません)は知りませんでした。終わったあと、保健センターに帰り記録を制作している時に、Oさんが、言いにくそうに、しかしはっきりと、状況を説明してくれ、Wさんそれは東京の常識です。ここは東京ではありません。とおっしゃいました。南相馬まで行き、3月11日以降日々最大限の力を出して仕事をしている人々の足を引っ張ってしまったことに申し訳がなく、いたたまれませんでした。」
 さて、九月に送る予定だった紙芝居の『注文の多い料理店』は現在品切れで入手出来ないことがわかった。そこで替わりの紙芝居を何にするかということで、Wさんが提案したのは『かっぱのすもう』(渋谷 勲・脚本、絵:梅田 俊作、童心社)だった。その理由としてWさんは以下の4点を挙げている。
1、お米の話。福島はお米の産地です。放射線(風評も含む)で売れるかどうか、いま不安を感じながら、田んぼでお米を作られています。
2、笑い話。笑い飛ばすことをしたいです。
3、絵がいいし、文もいい。読んでいて楽しいです。
4、南相馬の言葉で演じられます。少し、アドリブ心があれば地元の方なら可能です。わたくしは『なげえはなしこしかへがな』(作:北 彰介、絵:太田 大八、銀河社)でお読みしたように東北の言葉のような感じで演じます。
 この紙芝居と前回間に合わなかった『いいから、いいから』と『ごろごろにゃーん』を9月11日に合わせて発送した。
 WさんからKさんに『かっぱのすもう』は大受けだったという電話がかかってきた。

 ところで、紙芝居を演じる際に舞台があったらという話がWさんからあり、いくつか当たったところ、大阪のわんぱく文庫のTさんから下記のようなメールが届いた。
「家に、以前、家庭文庫をしていた時の舞台があります。来てくれていた子のおじいちゃんが、あちこちの図書館などを見て歩いて、工夫して、制作してくださったものです。今は、使うことがないのですが、図書館の催しに持っていくことがあるかなしかです。この舞台のもとになってくれたM君は、中学2年の夏休みに交通事故で亡くなりました。彼が文庫のために缶に貯めてくれていた貯金箱も遺品として残り、20年たっても、使えないまま、今も私の机の前に置いています。この舞台が、福島の子どもたちに役立つなら、どんなにか、救われる思いです。お母さんにも、お知らせしたら、喜んで下さると思います。少し角がはげているので、今日、ペンキを塗っておきます。これでよかったら、送り先を教えて下さい。」
 そこでWさんの自宅にペンキで修理された紙芝居舞台が届いたのだった。それに対してWさんが出したメール。
「昨日紙芝居の舞台が届きました。ありがとうございます。思いが詰まった舞台を胸に抱えて、9月4日南相馬市に向かおうと思います。大切な手紙を携えて。だって、お手紙を読むと、宅配便で送ることは出来なくなりました。私にとって少々重いですが、こめられた命の重さに替えることが出来ません。福島駅からバスに揺られて相馬に、相馬のオートバイ屋さんに預けたバイクの荷台に乗せて南相馬の原町保健センターへと運んで行かせて頂きます。当面はきっと鹿島区社会福祉協議会の生活支援相談員の方々と車で各仮設住宅集会所を飛び回ることでしょう。そのうちどこかに落ち着き場所をおのずと見つけてくれることでしょう。最後は素敵な南相馬市中央図書館の読み聞かせコーナーかも知れません。いっぱいの子どもたちに見つめられ仮設住宅の日々を終えたあとは。何年先のことなのでしょうか。8月1日から各仮設住宅を回り出した生活支援相談員。その1人のTさんは(20代前半のお兄さんです。背が高く笑顔が素敵です)、8月11日に配り始めた10冊の本の中の紙芝居を、その日から子どもたちに読み出したそうです。12日のグループワークの現場で、そのことを同僚のケアーワーカーの方から聞きました。舞台がないので抜き差しが難しいと本人は言っていました。きっと喜びます。福島市から伊達市の山の中に入り、バスが行く中村街道沿いを宇多川(うだがわ)が太平洋へと流れ下ります。霊山(りょうぜん)というところを分水嶺とした清流です。霊山より西は石田川が流れます。途中で広瀬川に合流し、やがて阿武隈川に入ります。バスから遥か下を流れる川は澄んで、上から大きな岩魚の陰を見ることが出来ます。バスから手を振ると川原でこちらを眺めていた中学生と思われる男の子たちが手を振り返してくれます。M君が思いを馳せていた旅先は、山なのでしょうか、川なのでしょうか、それとも海なのでしょうか。きっと見守ってくれていると思うのは残された私たちの勝手な思いなのでしょうか。沖縄では、こういう気持ちを「肝苦しい」(ちむぐるさー)と表現すると聞きます。
この思いを南相馬に暮らし、また働く方々へと届けさせて頂きます。ありがとう。Tさん。M君のお母様には、まず、わたしから、明日、葉書をお届けします。」
そしてWさんが数日後に出したメール。
「お元気でしょうか。暑さの中にも秋の気配を少し感じさせるようなすがすがしい風が吹きます。ご報告するのが遅くなって申し訳ありませんが、8月25日に日帰りで南相馬に行く用事が出来、紙芝居の舞台と一緒に旅行をしました。まずは、市民の健康と福祉を守る前線司令部という様相を呈しています原町保健センターの、O保健師さんに舞台を手渡しました。私も一緒に梱包をほどき、初めて見たのですが、それは立派なもので驚きました。おまけに携帯用に、袋まで付いているとは。Oさんは早速舞台を袋に入れて、肩に担いでいました。それからの行く末は九月四日から訪れる時にわかることになると思います。また、ご連絡させていただきます。」
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