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[この記事は、本会の機関誌『うか』30号(2002年2月)に掲載されたものです。筆者は、東京都墨田区の図書館に長く勤務されて、本会の活動の当初から、陰になり日向になり、惜しまずご助力下さいます。機関誌『うか』にも、「点字から識字までの距離」を、継続的にご執筆いただいております。] 今回、羽化の会のホームページを立ち上げるに当たって、一番つきあいの長い私に岡田さんの紹介を書くようにという話が舞い込んだ。そこで今回は岡田さんに出会った当初の事を思い起こしてみたい。たまたま、図書館関係の月刊誌『みんなの図書館』(図書館問題研究会編 教育史料出版会発行)1992年1月号に「障害者サービスの現状と録音資料の提供」という原稿を書いた折、その枕に岡田さんとの電話でのやりとりを記録してあったので、それを引用させていただくことにする。時は1991年の10月、私が寺島図書館に勤務していた頃のことである。 『先日横浜市に住む利用者から電話があった。彼は現在横浜市に住んでいるが、奥さんが墨田区に住んでおり、近い将来墨田区に住む予定で、以前にも漢点字のことで電話を貰ったことがある。その日の電話の趣旨は、フロッピーディスクによる月刊誌を作りたいのだが、その入力に協力してくれるボランティアがいるだろうかというものだった。彼はAOKの六点漢字・漢点字変換点字ワープロを持っており、ディスクのファイルを音声変換装置によって読むという形の月刊誌を作りたいのだと言う。その時の1時間以上に及ぶ電話による応答をかいつまんで紹介してみよう。 山「ディスクによる月刊誌というのは、具体的には?」 岡「フロッピーにせいぜい400字200枚程度の雑誌の情報を入力して、それを会員に郵送し、会員は音声変換によって読むという形式で、その入力をやってくれるボランティアを捜している。」 山「一口に雑誌と言っても、例えば現在全国でおよそ250種類余りのテープ雑誌が流通しているが、全部を収録しないまでも、墨字の雑誌と何とか対応するものはほんの僅かにしかすぎない。一方で墨田区の図書館だけでも500種類、東京の公立図書館で1600種類、一般に流通しているものだけでも3000種類の雑誌が刊行されており、個々人の興味や関心に合わせて、しかも迅速に情報を提供するには、今までのようなテープ雑誌の提供には限界があるので、墨田区では目次だけを読んだテープを作成して聞いてもらい、興味のある記事についてプライベートに電話で、あるいはテープに収録して聞いてもらっている。また電話でそのまま目次や記事の一部を読んでいる。公共図書館として蔵書を提供するという意味では、そうしたサービスを中心にしていきたいと考えている。ディスク・マガジンといっても、どんな雑誌を選択するかということが一番問題だが・・・」 岡「例えば、ポーラ化粧品で出している『IS』など最近企業が出している雑誌にも面白い記事が出ている。そういう情報があること自体を知らないで、現在あるテープ雑誌などの少ない情報で満足してしまっている人が多いので、特定の雑誌に限定せず、なるべく広い範囲の雑誌から記事を拾っていくことができればと思っている。」 山「『iichiko』とか『ハーヴェスタ』とか、古くは『エナジー』等も面白かった。例えば企業にそうした雑誌をディスク情報にさせるということも考えられる。」 岡「企業イメージをよくするということから、積極的に働きかければ可能性がないこともないかもしれない。」 山「しかし著作権のことがあるから、そう簡単にはいかないだろう。ところで漠然と雑誌といっても、主にどんな分野の雑誌を想定しているのか。」 という訳でディスク・マガジンについてはそんなやりとりがなされたのだが、そこから話は次のように脱線していった。 岡「私が興味を持っているのは文学で、主な文学関係の6誌程の雑誌には眼を通しています。」 山「えっ、『文学界』や『群像』『新潮』『文芸』なんかですか。」 岡「ええ、目次を読んでもらって読みたい記事をプライベートに録音してもらっています。『文学界』だけは全部を毎月90分テープ12〜13本で読んでいます。最近では小川洋子がいいですね。」 山「今、女性の作家が面白いですからね。江國香織の『きらきらひかる』は抜群でしたよ。彼女は『フェミナ』という雑誌の賞を取ってデビューしたんですが、児童文学も書いていて、どれもなかなかいいですよ。」 岡「江國香織は読んでいませんが、文芸誌では『海燕』と『現代詩手帖』が面白いですね。」 山「えっ、『海燕』と『現代詩手帖』を読んでるんですか。すごい。『海燕』では今は休んでいますが吉本隆明が連載をしていたし、『現代詩手帖』では藤井貞和と瀬尾育生の湾岸戦争論争が今話題ですが。」 岡「ええ、それらは皆読んでいます。『海燕』は全体のほぼ三分の一を毎月、プライベート・サービスという形で読んでもらっています。」 山「いやー感激ですね。こんなこと言うと失礼ですが、テープ雑誌の作成状況や私の知っている視覚障害の人たちの興味や関心から見て、『海燕』や『現代詩手帖』を読んでいる人がいるとは思いませんでした。最近詩では平出隆と吉岡実を集中的に読んでいるんですが、平出隆の『胡桃の戦意のために』はいいですよ。」 岡「ええ、平出隆、入沢康夫なんかは好きです。でも詩はテープや点字では限界があるので、読むのはほとんど評論です。」 山「そうですね。入沢康夫の『わが出雲・わが鎮魂』等は、視覚的な要素が強くて、例えば逆さ文字に鏡をあてて読むようなところが出てきますからね。」 岡「そうですか。やはり現代詩は漢字や眼で見た印象が大切だと思って作品そのものはほとんど読んでいないんです。せめて漢点字で読めるといいんですがね。」 山「漢点字では詩を点訳したものはないんですか?」 岡「ええ、ほとんどありません。俳句や短歌をやっている視覚障害者は結構いるのですが、現代詩どころか、そうしたものの漢点字の本も皆無と言っていいでしょう。」 山「そうそう。昨年の秋に『新潮』の臨時増刊で『日本の詩一〇一年』というのが出ました。1年に1作品を選んで101年、101人の101の詩で構成するという、なかなか面白いアンソロジーなんですが、とりあえず戦後の部分の詩を漢点字で打ち出してみましょうか。緑図書館で点字ワープロを導入してパソコン点訳を初めて以来その需要は大変なもので、点字ワープロを置いてある録音室はいつ行っても、点訳グループの人や漢点字の利用者が打ち出しや校正をやっているという盛況ぶりです。」 岡「それは是非お願いしたいですね。その臨時増刊は平出隆と辻井喬、正津勉と谷川俊太郎の二つの対談は読みましたが作品そのものは読んでいないので楽しみです。」 こうして話は止め度もなく続き、今年はランボーの没後百年にあたり、寺島図書館で彼の命日の1日前の11月9日に詩人の渋沢孝輔に「見者と修羅−ランボーと宮澤賢治」という講演会をお願いしたこと、もう一本の講演会に赤坂憲男か『男はどこにいるのか』の小浜逸郎を考えているが、赤坂憲男の天皇制論は講演会には馴染みにくいと話すと、彼はすかさず赤坂憲男なら異人論が面白いとサポートしてくれた。そしてどちらかと言えば小浜逸郎の方の話を聞きたいが、丁度その二人が中心となって出していた同人誌『ておりあ』のバックナンバーが手元にあるので送るから読んでみて欲しいと、二日後には『ておりあ』5冊が郵送されてきた。また小浜逸朗の話から上野千鶴子に話は及び、最近出た『性愛論』では森崎和江との対談が圧巻であったこと、さらに小浜逸朗がよく書いている『現代思想』や吉本隆明が出している『試行』の話の中では、『現代思想』は表紙を見ただけで朗読者に敬遠されてしまうこと、『試行』は数年前まで眼を通していたが、広告が面白く、村瀬学の名前を知ったのもその広告からであったこと、寺島図書館で『試行』をとっているので今度目次を読むこと等々、話題はあちこちに飛び、時間があっという間に過ぎていった。最後にお互いがいみじくも漏らした言葉は「視覚障害の人とこういう話ができるとは思わなかった」「図書館員とこういう話ができるとは思わなかった」だった。 その後、パソコン点訳をやっている人に協力してもらって、先の『日本の詩一〇一年』から戦後の部分で取り上げられた46の詩作品、平出隆の『胡桃の戦意のために』、吉岡実のアンソロジーを私の独断と偏見で選択し、ワープロソフトの一太郎で入力してもらい、BRPCという漢点字のソフトで打ち出す作業に入った。そして数日後に戦後の黒田喜男、鮎川信夫、北村太郎、田村隆一の詩と吉岡実の「夏−Y・Wに」を試しに打ち出して、漢点字訳のやり方について相談するために彼に送った。漢点字で初めて現代詩を読んだ彼は多少興奮気味で電話をくれ、毎日外出するときにも持ち歩いていると話し、吉岡実なら「僧侶」が是非読みたいとリクエストされた。またこうしたものを自分一人が享受するのは勿体ないので、漢点字協会などを通じてPRしたいと語った。』(会話の部分に発言者の頭文字を挿入した) 以上が雑誌に掲載された枕の部分の全文です。翌年には横浜漢点字羽化の会が誕生し、多くの漢点字書がこの世に生まれることになりました。講演会で話をして下さった渋沢孝輔氏は亡くなられ、『試行』は休刊となり、歳月を感じます。そして、この四月で羽化の会も発足十年を迎えようとしてます。私は今でも、岡田さんのように本や雑誌を読んでいる視覚障害者に出会うことはありません。それだけに、もっともっと様々な資料が存在することを広く伝え、その資料が漢点字訳という本来の形態で読めるようにするために一層努力しなければならないと考えています。 |
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