「うか」126  トップページへ
編集担当者交代にあたって
                  
木下 和久

 このたび、17年間続いた編集担当を、宮澤義文さんに交代して頂くことになりました。90歳を迎えた年齢のことを考えると、いつまでもこの仕事を1人で抱え込んでいたのでは、いつ何時突然倒れてしまうかも知れない危険性を、想定しないわけには行きません。一応、元気に過ごしているようでも、体力が落ちたことは確実です。
 当誌の創刊以来の歴史を振り返ってみますと、発行母体である横浜漢点字羽化の会が現在の規模で発足したのは1996年4月のことで、それから1年後に、当誌が創刊されました。雑誌の体裁を整え、印刷・製本をいかに少ない予算で確実に行うかをきめる創刊時の大きな仕事は、当時の会員で雑誌製作などの経験を持つ宗助悦子さんという方がなさって下さいました。私は、そういう作業に大きな興味を持ち、印刷・製本の作業には最初から携わってきました。その頃こういう少部数の雑誌を印刷するのに最適なデジタル製版・謄写版方式のリソグラフという印刷機が、行政の福祉サービスの一環として、各所に配置され、ボランティア活動に安い費用で自由に使用できるような環境が整備されていました。
 当誌は、創刊当時隔月刊として年間6回の発行が行われていました。宗助さんは、3年あまり編集担当をされましたが、終わり近くの3回は平野桃子さんに、担当を譲っています。そのあとは、宇田川幸子さんが6年近く担当されましたが、2006年4月から私が担当を引き継いで今日に至りました。
 今までに発行してきた機関誌「うか」は、各号とも数冊ずつは保管するようにしてきましたが、これだけ号数がたまりますと、その量が膨大なものになり、とても書斎の本棚には収容できなくなりました。そこで、保管はPDFファイルという電子ファイルにして、パソコンに収納することにし、羽化の会のホームページ(http://www.ukanokai-web.jp)にも全数収納して、どなたでも自由に閲覧・ダウンロードできるようにしてあります。
 トップページへ