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このほど、2022(令和4)年6月、計らずも11年に及ぶ年月がかかりましたが、『常用字解』(白川静著・平凡社)の音訳が完成しました。間もなく全国の視覚障害者・音訳者・視覚障害者へのサービスをしておられる施設の皆様のお手元に、お届けできるものと存じます。 11年という年月を費やしましたには、それ相当の理由がありました。その多くは、このプロジェクトの開始以前には、残念ながら予想ができないものでした。いきおい、いわゆる泥縄を余儀なくされために、遠回りの道を選んだりともなりました。 その理由とは、一言に申せばこれまでの音訳の手法では、本書には到底太刀打ちが叶わなかったということになります。また敢えて言うならば、そこが本書の音訳に、これまでどこも手を付けようとしなかった理由でもあります。しかしながら私は当初から、それは遣り方次第で克服できるものと考えておりました。 この『常用字解』という書物は、白川先生の著作の内、3部作と呼ばれている『字統』『字訓』そして『字通』の内容を平易にして、先生のおっしゃるところによれば、「中学生にも分かる」書物として、見出し字を「常用漢字」に絞って編纂されたものです。常用漢字1文字1文字の字形を取り上げて、その字形の表す中国文化について解説が施されています。体裁は漢字という文字についての解説ですので、その意味では「漢和辞典」とも言えますが、これまでの「漢和辞典」とは大きく異なったところがあります。それは、従来の「漢和辞典」は、文字の読みや意味、そして用例に主眼が置かれていましたが、この『常用字解』では、出来うる限り時間を遡って、字形を解明して、文字の分析を通して当時の社会の分析をも試みておられることです。従ってこの書物は、「漢和辞典」と言うよりは、「社会批評」の書と言えるものと私は考えます。 「漢字はもともとその時代の社会的儀礼・加入儀礼の実際に即して生まれたものであり、そのような生活の場から離れて、観念的に構成されたものではない。およそ3300年前に漢字が成立した当時の宗教的な観念に基づいて、儀礼のあり方がそのまま文字の構成の上に反映されている。それでたとえば死葬の際の儀礼は、そのままその関係の文字の構造の上に反映されている。そのとき、死者の衣に対していろいろの儀礼が行われたことが、文字の構造によって知られるのである。」(「常用字解の編集について」より) もう1つ、本書が従来の「漢和辞典」と異なったところがあります。 従来の漢和辞典は、その検索に、2つの方法が採られています。1つは、総画数を利用したもので、漢字を構成する画の数を数えて、その数の画数の文字の中から該当する文字を探すというものです。 もう1つは、部首による分類を利用した索引を使用するものです。「さんずい」があれば「さんずい」に分類されている文字の中から、「にんべん」があれば「にんべん」に分類されている文字の中から、該当する文字を探すというものです。 このような方法しかなければ、音訳で漢字を解説する本を作ることは、ほぼ不可能と言わなければなりません。 ところがこの『常用字解』は、見出し字の並び順が、漢字を音読して、それを50音順に並べた形になっております。従って音訳でも、50音順に追って行けば、必ず目的の文字に行き着くことができるのです。音訳書として製作するには、打って付けの書物でした。 音訳版に着手する以前に、本会では、漢点字版を製作しました。この漢点字版の完成が、音訳版への着手の手がかりを与えてくれたものです。漢点字版製作に当たっても、その検索が最も心配なものでした。本会ではさらに遡って、活動の最初期に、『漢字源』(藤堂明保編・学習研究社)を、横浜国立大学の教授でおられた村田忠禧先生のご尽力によって、学習研究社様からそのデータを頂戴して、製作しました。漢点字版・全90冊という、膨大なものになりました。 この『漢字源』を漢点字訳するに当たっては、どのように検索できるか検討しなければなりませんでした。見出し字の並び順が50音順ではなかったからでした。 そこで考えたことは、見出し字の漢点字の符号をカナ読みして、さらにそれを点字の50音順に並び替えるという、アクロバットのような方法でした。これを実現してくださったのが本会の木下さんで、見出し字を漢点字符号に直して、それを点字のカナ読みして、50音順に並べるという作業を、プログラムを組んで行って下さいました。こうして『漢字源』は、漢点字の符号を頼りに検索することができるようになりました。 『常用字解』も、当初はそのようにしていただこうかと考えておりましたが、もともとが音読の50音順に並んでおりましたので、漢点字版でもそのままで十分検索に供されることが分かりました。従って検索については何の工夫もせずに済んだのでした。 このことが、『常用字解』の音訳版の製作という考えに結びついたのも、ほとんど必然と言えることだと思います。というのも、現在の視覚障害者の文字の環境は、まだまだ憂慮すべき情況から離れてはおりません。視覚障害者にとって文字と言えるのは、触知して読み取る方式の点字しかないと考えてよいと思われますが、そこには漢字を表す文字は、普及しておりません。しかも視覚障害者の多くが、中途失明者で占められるようになって来るのも、これもどうやら必然のようで、点字という文字を介在させずに、視覚障害者が漢字に親しむということが求められるという、矛盾に満ちた情況が訪れているらしいことを、肌で感じるようになって参りました。 このように考えを進めますと、自ずと『常用字解』は音訳に叶うか、という問いが設定されて、漢点字版の製作の経験を生かせれば、十分可能性はあるという答えが、私の中で導かれました。言い換えれば、私の立場からしますと、漢点字版さえあれば十分と言ってもよいはずですが、私がこの『常用字解』の漢点字版から受けた恩恵を、多くの視覚障害者にも受けて欲しいと思いますと、漢点字版だけあれば十分という考えに留まっていることはできまい、と考えるようになったのでした。 恐らく音訳版の完成した現在も、多くの視覚障害者・音訳者・視覚障害者へのサービスをする施設の皆様は、半信半疑、しかも直ちになすべき検証と評価に、何時手を染めるのか、心許ないところがあります。検証し評価するということは、自らを検証し評価することでもありますので、私と致しましては大変楽しみなのですが、さてどのような反応が返って来ますか、関心を持って見守りたいと思います。 元へ戻して、私の中では『常用字解』の音訳は十分可能性があるという考えに落ち着いたころ、当時墨田区立あずま図書館にお勤めであった山内薫さんにご相談致しましたが、1度ではご返事がいただけませんでした。何度かお願いしながら、漢点字版の製作から得たものを注ぎ込めば、十分可能であることを申し上げて、全国の音訳者の会合で、音訳者の方方にお声をかけていただくことになりました。それがあの東日本大震災の年・2011年の6月でした。 それから11年という歳月を経て、漸く完成を見ることができる運びとなりました。ご参集いただき、活動に携わって下さいました音訳者の皆様、ご支援下さいました羽化の会の皆様、また陰に陽にご支援下さいました墨田区立図書館の皆様、心より御礼を申し上げます。 音訳版のディスクには、「音訳版凡例」・「基本的な字形の説明一覧」・「呼び名一覧」・「あとがき・岡田メモについて」の文字資料が治められております。これらをご笑覧いただけば、この11年の、私どもの苦闘をご想像いただけるものと存じます。 なおあとがきにあります「岡田メモ」とは、JISコード第1・2水準にあります文字に、1文字1文字の文字説明を付したもので、当初は私のメモとして音訳者の皆様にご提供したものですが、現在も名称はそのままに、改良を続けております。 岡田メモの作成に至りましたのには、この活動を通して、音訳の現況を知ることとなったことがあります。以前より音訳書を聴読していて、疑問に思っていたことがありました。それは何かと申せば、何時からかは定かではありませんが、音訳書に、漢字の説明が入るようになりました。それは大変結構なのですが、残念ながらその説明がまちまちで、しかもあまり適切とは言えないと感じられるものがほとんどだったのです。その説明がまちまちであって、適切でないものだということは、現在も変わってはおりませんが、その理由が分かりませんでした。 『常用字解』を音訳するに当たって、最初にぶつかったのがこの点で、音訳者の皆様や読者の中から、この点をどうするかという疑問が提出されました。そこで分かったことですが、全国の音訳者の皆様が使用しておられる音訳マニュアルに、この漢字の説明について、ほんの僅かですが、触れられておりました。そこには、ごく短い語で、「適宜」かつ「適切」な説明を施すこととなっていて、どうやらその目安は示されていないというものでした。その先は音訳者の皆様に丸投げのようで、それを知れば、説明がまちまちであることも、適切さを欠いていることも、腑に落ちてしまったのでした。 しかしながら『常用字解』の音訳に当たっては、そのようなことではうまく行くまいことは既に明らかですので、私がメモを作るようになったのが経緯です。 私も当初は、できるだけ短い説明で文字の説明ができればいいが、と考えて、そのように心がけて作り始めました。「極力短く適切な説明」というところに長い間気を取られてそのような説明をしようとしておりました。ところが不意に、この「極力短く」と「適切な」という語は、どうも相矛盾しているのではないか、と考えるようになりました。しかも、「短い」か「適切」かの判断は、その説明を施した音訳者の方だけですので、言わばフリー・パスの状態なのだということに、遅まきながら気が付いたのでした。 1つ例を挙げますと、「心裏」という熟語があります。「シンリ」と読みますが、「シンリ」という読みの熟語は無数にあります。大事な熟語ですので、文字の説明が必要と考えるのは誠に適切なのですが、どうやら説明を短いものにするところに気を取られてか、音訳者の方は、「シンリは、こころのうら」とだけおっしゃって、そのまま先へ進められました。「シン」はこころ(心)、分かりました。「リ」はうら(裏)、これも分かりました。となれば誠によいのですが、「心裏」とは、果たして「こころのうら」なのでしょうか? 「所」という文字と「処」という文字があります。この2文字はどちらも音を「ショ」、訓を「ところ」と読みます。歴史的にはほとんど同じ意味の文字として、同じような使われ方をしておりました。 ところが現在では、意味はともかく、使用法が際だって分けられております。そこで「所」を「バショのショ」、「処」を「ショブンのショ」という説明がなされることが多いようです。これは「シンリ」とは違って間違いとは言えません。しかし何かが足りない、大事なものが落ちている、私にはそう思われました。漢字には意味と読みと形があります。形はともかく、意味と読みをもう少し説明してはもらえないものか、そう思われたのでした。 そこで岡田メモでは、「極力短く」は、採らないことにしました。岡田メモでは、説明の要素として、その文字の「訓読」・「意味」・「熟語」と「音読」を並べる形を基本として、多少バリエーションを持たせることにしました。『常用字解』には間に合わなかった感は否めませんが、こんなこともできるというところはご覧に入れられたのではないかと思っております。 ここに「音訳版凡例」と「あとがき」を載録致します。お目をお通しいただければ幸いです。 音訳と編集に当たって下さいました平井任子様・石田眞佐子様・田村洋子様・岸上和子様・藤田教子様、そして皆様の後ろで支えて下さいました音訳者の皆様、誠にありがとうございました。 音訳版『常用字解』が、視覚障害者の皆様の文字の文化の向上に寄与できることを祈って止みません。 |
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