「うか」132号  トップページへ 
点字から識字までの距離(125)
                                   
山 内  薫

       障害をめぐる条約や法規の現状(3)

  「障害者の権利に関する条約」(2)

 前回の終わりに「合理的配慮」の配慮という言葉が適切な用語ではないこと、そして「合理的な配慮(便宜)の提供の問題は障害者の主体的な権利の問題として捉えなければならない」と述べた。その後、10月の末から11月はじめまで、5回にわたって朝日新聞に連載された「インクルーシブ教育@japan 発達障がいからの進学」という記事の中で、米国ニューヨーク州認定の学校心理士、バーンズ亀山静子さんの言葉が引用されている。
「日本で合理的配慮が進まない理由の一つは、『配慮』という言葉です。『配慮だからしなくてもいい』という意識がまだ強い。子どもの人権保障として『しなければならない』という意識を、社会全体に広げなければ変わりません。(中略)米国では、インクルーシブ教育を大前提に、法令に基づいた支援がなされます。『学校に何ができるか』ではなく、『その子に何が必要か』という子ども主体の視点ですべて考えられます。(中略)2002年に『落ちこぼれ防止法』が施行された米国では、成績が伸びなければ学校側に説明責任が伴います。配慮によって、どんな効果があったのかも説明しなくてはなりません。」(「1人だけ違う学び 子ども主体の視点で 識者に聞く」朝日新聞朝刊 2024年11月5日)
「日本は『「配慮」という言葉ゆえに、本当はやらなくても良いことをやってあげているという意識がまだ強い』と指摘する。『やらなくてはいけない合理的人権保障と読み替えた、態勢整備を急いで欲しい。』」(「『1人1台』になっても 断られた端末活用」同 2024年10月29日)
 まさに障害者権利条約の言う合理的配慮とは「やらなくていけない合理的人権保障」なのである。
 それから数日後の同じ朝日新聞の「声」の欄に以下のような投書が載っていた。
「『不登校』希望ある別の呼び方を
 パート 松田路花(北海道 44)
 中3の娘はいわゆる不登校だ。コロナ休校後の小学5年生からほとんど学校に行っていない。先日、中学の先生が前期の成績表を自宅に持ってきてくれた。欠席日数97日、備考欄に『体調不良』とあった。
 先生から、進学関連の書類にも、『体調不良』の記載でよろしいですか、と聞かれた。娘は体調不良ではない。ピアノのレッスンに通ったり読書をしたり、家の手伝いをしたりと、いたって前向きに、元気に過ごしている。ただ、学校に行っていないだけである。
 他にはなんと記載できますか、と尋ねたところ、『不登校』の記載を選んだご家庭もあるとのこと。ではうちも『不登校』でお願いします、と答えた。しかしその時も、その後もずっと違和感を拭えないでいる。学びの方法は多様であることを娘から教えてもらった私たち家族にとって、『不登校』の響には強いマイナスのイメージがあり、娘の選択が肯定されていない気持ちになる。
 学校に行かない子どもが増えている中、その選択をした子どもの意思が尊重され、可能性を広げていける希望のある呼び方がないものか。皆さんのアイデアを聞いてみたい。」(朝日新聞朝刊 2024年11月10日)
 不登校の問題も子どもの視点で、子どものためにやらなくてはいけない合理的人権保障の視点で考えることが要請されている。
 障害者権利条約の「第17条 個人をそのままの状態で保護すること」の条文は「全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。」となっている。
 この条項は障害者に限った問題ではなく、すべての人が個人としてそのままの状態で尊重されなければならないことを指している。
 障害者権利条約の「第3条 一般原則」でも同じことが述べられている。
 第3条は「この条約の原則は、次のとおりとする。
(a) 固有の尊厳、個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立の尊重
(b) 無差別
(c) 社会への完全かつ効果的な参加及び包容
(d) 差異の尊重並びに人間の多様性の一部及び人類の一員としての障害者の受入れ
(e) 機会の均等
(f) 施設及びサービス等の利用の容易さ
(g) 男女の平等
(h) 障害のある児童の発達しつつある能力の尊重及び障害のある児童がその同一性を保持する権利の尊重」の8項目から構成されている。これらの原則は国連が進めてきた様々な権利に関する条約を引き継ぐものである。
 ちなみに、国連の人権に関する国際条約等を列挙すると以下のようになる。
1948年 世界人権宣言
1965年 人種差別撤廃条約(発効は1969年、日本の批准は1995年)
1966年 国際人権規約(1976年、1979年)
1979年 女性差別撤廃条約(同1981年、1985年)
1984年 拷問等禁止条約(同1987年、1999年)
1989年 子どもの権利条約(同1990年、1994年)
2006年 障害者権利条約(同2008年、2014年)
 そして目下検討されている国際条約は高齢者人権条約である。
 さて、障害者権利条約の第3条一般原則の「(f) 施設及びサービス等の利用の容易さ」はそのまま第9条として独立している。ちなみに英語の正文では「Accessibility」の語が当てられている。
 この第9条は「1 締約国は、障害者が自立して生活し、及び生活のあらゆる側面に完全に参加することを可能にすることを目的として、障害者が、他の者との平等を基礎として、都市及び農村の双方において、物理的環境、輸送機関、情報通信(情報通信機器及び情報通信システムを含む。)並びに公衆に開放され、又は提供される他の施設及びサービスを利用する機会を有することを確保するための適当な措置をとる。この措置は、施設及びサービス等の利用の容易さに対する妨げ及び障壁を特定し、及び撤廃することを含むものとし、特に次の事項について適用する。
(a)建物、道路、輸送機関その他の屋内及び屋外の施設(学校、住居、医療施設及び職場を含む。)
(b)情報、通信その他のサービス(電子サービス及び緊急事態に係るサービスを含む。)
2 締約国は、また、次のことのための適当な措置をとる。
(a)公衆に開放され、又は提供される施設及びサービスの利用の容易さに関する最低基準及び指針を作成し、及び公表し、並びに当該最低基準及び指針の実施を監視すること。
(b)公衆に開放され、又は提供される施設及びサービスを提供する民間の団体が、当該施設及びサービスの障害者にとっての利用の容易さについてあらゆる側面を考慮することを確保すること。
(c)施設及びサービス等の利用の容易さに関して障害者が直面する問題についての研修を関係者に提供すること。
(d)公衆に開放される建物その他の施設において、点字の表示及び読みやすく、かつ、理解しやすい形式の表示を提供すること。
(e)公衆に開放される建物その他の施設の利用の容易さを促進するため、人又は動物による支援及び仲介する者(案内者、朗読者及び専門の手話通訳を含む。)を提供すること。
(f)障害者が情報を利用する機会を有することを確保するため、障害者に対する他の適当な形態の援助及び支援を促進すること。
(g)障害者が新たな情報通信機器及び情報通信システム(インターネットを含む。)を利用する機会を有することを促進すること。
(h)情報通信機器及び情報通信システムを最小限の費用で利用しやすいものとするため、早い段階で、利用しやすい情報通信機器及び情報通信システムの設計、開発、生産及び流通を促進すること。」
 このうち、実現が期待される非常に具体的な項目は、2の(d)と(e)である。
(d)は、「公衆に開放される建物その他の施設において、点字の表示及び読みやすく、かつ、理解しやすい形式の表示を提供すること。」となっている。
 点字の表示が民間施設を含めて施設や建物でどれほど実現しているだろうか。最近は交通機関の車両やホームドアなどには必ず点字が表示されているように、点字の表示については増えてきている印象を持つ。しかし一方で、「読みやすく、理解しやすい形式の表示」についてはどうだろうか。例えば図書館で排架されている本の内容を示す案内語が、どれほど読みやすく、かつ、理解しやすい形式になっているかどうかは心許ない状況だろう。漢字にルビをつけるのは当然として、本の分類で用いられている「総記」とか「社会科学」等という言葉を誰にでも分かりやすい言葉で表示することができているとは言いがたい。
 また(e)「公衆に開放される建物その他の施設の利用の容易さを促進するため、人又は動物による支援及び仲介する者(案内者、朗読者及び専門の手話通訳を含む。)を提供すること。」に至っては、ほとんど実行されていない。
 ちなみにこの条項の「人または動物」は英語の正文では「live assistance」、「案内者、朗読者及び専門の手話通訳」は「including guides、 readers and professionnal sign language interpreters」となっている。
 前に述べたように、国際条約は日本の法律よりも上位に位置し、その内容の実現は急務であるはずであり、昨年障害者差別解消法の改正によって「合理的配慮の提供」が公的施設、民間施設ともに義務となったことから、あらゆる建物や施設での上記(d)と(e)の早期の実現が望まれる。

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