「うか」100号 横浜漢点字羽化の会
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『うか』100号記念特集号

              『うか』第百号を迎えて


                               岡田 健嗣

 本会の機関誌『うか』も、今号で百号を迎えることになりました。
 これは言うまでもなく、読者諸兄姉の有形・無形のご支援の賜に他なりません。深く御礼申し上げます。中でも、何と申しましても賛助会員の皆様のご支援は、本会の運営に欠かせないものでございます。活動に伴います会員の負担も、少なからず軽減することができました。
 本会が活動して参るに当たって、横浜市の図書館は、本会製作の漢点字書をお受け入れ下さっておられます。墨田区の図書館は東京での活動の拠点の一つをご提供下さっておられます。また横浜市社会福祉協議会と港区のヒューマンプラザは、定例会や学習会、漢点字の資料の打ち出しなどの、活動の拠点をご提供下さっておられます。もう一つ、神奈川県民活動サポートセンターは、本誌の印刷と製本の作業の機材と会場をご提供下さっておられます。このように多くの個人・法人・公共の施設の皆様のお力に支えられて、現在に至りました。
 本会は、横浜と東京に拠点を置いて活動しております。横浜並びに東京では、会員によって活動が遂行されております。その活動とは、取りも直さず漢点字書の製作であり、書物の製作工程である製版・印刷・製本を一挙に手掛けていることになります。こう申せば、如何にも広大な事業を営んでいるように思われますが、実際は極めて小規模な、実に地味な日常的な作業です。この地味な日常的な活動こそが本会の活動の目的であり、方法であると言うことができるとさえ、私には思われます。
 機関誌である本誌は、このような実態をさらに明らかにするものと位置づけられます。勿論主は活動ですし、本誌はそれに従うものに違いありません。しかしながら本誌は、その活動を考え方の面から裏付けるよう努力して参りました。なぜ漢点字が必要なのか、なぜ漢点字書の製作が求められるのか、なぜまず基本的な書籍の漢点字訳から手を付ける必要があるのか、このようなことを本誌では、繰り返し問うて参りました。このように本会の活動と本誌とは、肝胆相照らす関係であるべきと位置づけて参りましたし、それを築こうとして来たと言ってよいと考えます。それだけに本会の活動が、今日まで滞りなく遂行されて参りましたことを顧みますと、誠に感慨深いものを感じます。
 本誌を発行するに当たっては、実際にその任をお引き受け下さる方がおられなければなりません。編集・印刷・製本・発送の作業が滞ることなく遂行されるには、まずは編集の任に当たって下さる方のご尽力に負っておりますし、その後の一連の作業は、会員の皆様の手作業の連携によっております。この作業は、本会のように資金の乏しいボランティア・グループが、如何に安上がりに機関誌を発行するかという課題に取り組んだ結果の選択と言えます。作業場と印刷・製本の機器は、公共団体のご提供によるものを利用させていただきながら、作業は、会員の手作業によって進められます。如何にチームワークよく進めていただいているかが知られます。
 編集に当たって下さっておられますのは、現在は木下和久さんです。既に10年近くお願いしております。
 当初の編集者は宗助悦子さん。宗助さんには本誌を創刊するという、重いお仕事が課されました。どんな内容にするか、規模はどの程度にするか、体裁はどのようにするか、年に何回発行するかなど、試行錯誤を繰り返しながら形を整えて下さいました。
 二代目は宇田川幸子さん。宗助さんがご事情で会を離れざるを得なくなって、急遽お引き受け下さいました。宇田川さんもお仕事の傍らの活動で、ご無理をお願いしてのことでしたが、ぎりぎりのところまで頑張って下さいました。その後お仕事がお忙しくなって、会を離れることとなりました。
 その後は木下さんがお引き受け下さり、発行も安定することができました。編集に当たって下さいました歴代の皆様、誠にありがとうございました。木下さん、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
 この間の一つのエポックは、表紙絵を2000年から、岡稲子さんにお願いできたことです。それは現在に至っても続けてお願いしております。そして当初の表紙絵のモデルであったお嬢様が、現在では家庭を持たれて、お子様に恵まれておられることです。このこともまた、この間の時の長さを物語るもので、感慨も一入です。うれしくそのニュースを伺ったことが思い出されます。
 本誌を発刊するに当たって私どもに課せられた課題の一つが、視覚障害者を読者と位置づけることでした。これをどのように実現するか、漢点字で打ち出して、希望者に配布するということも取り上げられましたが、コストの面や作業上の負担の面を勘案しますと、実現は困難であることが分かって参りました。しかもそのような方法を採りますと、対象を漢点字の習得者に限ることになり、そうでない人を、読者から除外することになることに気づいて、この方法の採用は取りやめることになりました。
 そこで音訳版の作成を目指すことにして、社会福祉協議会に、音訳活動を行っておられるボランティアの方をご紹介いただけるようお願いしましたところ、音訳グループのやまびこ様をご紹介いただきました。このようにして本誌も音訳版を製作していただいて、視覚障害者向けに発行できるようになりました。やまびこ様は現在も引き続き、音訳版の製作をお引き受け下さっておられます。感謝に堪えません。
 なお現在ではEIBファイルと、ブレイルメモ用の電子データで、本誌の漢点字版をご提供しております。
 このように本誌を創刊のころから振り返ってみますと、幾つか思い出されることがございます。それは本誌を発行することに対する反応から知られることで、多くは私にとって当然だと思われることが、視覚障害者、あるいは視覚障害者をめぐる社会では、常識でも何でもなく、むしろ変わった考えと捉えられていることに気づかされたことでした。
 その一つが「識字」です。
 私は盲学校の出身で、文字の教育を受ける機会を得られぬままに社会へ出ました。そこは言葉が支配する世界で、言葉の使い手が主導権を握る世界でした。どこででも言葉の理解力、言葉での表現力が試されていました。そのような中に放り出されてから暫くして、何とか冷静に反省できるようになってみると、私自身が「非識字者」であったことに思い至ったのでした。文字の教育を受けていないのですから、これは正しい意味で「非識字」の状態だと、認識することができたのでした。その後何とか日本語を表現する文字、そうです、「漢字」を習得するにはどうしたらよいかということを、考え続けることになったのでした。
 そんなところにある点字雑誌に、「漢点字の通信教育の受講者」の募集記事を見出して、一も二もなく私は、漢点字の創案者である川上泰一先生にお手紙を差し上げて、漢点字の勉強を始めたのでした。
 そのようにして漢点字を習得して漢点字習得者とのお付き合いが広がったのですが、そんな中でまたも驚かされることになりました。漢点字の習得者とのやり取りの中で私が、「視覚障害者は非識字者」であるという認識を披露しますと、たちまち空気が固くなることに気づかされたのでした。相手は漢点字の習得者ですから、自らの「非識字」の状態に気づいて、そこから脱却すべく漢点字を学んで来られたものと考えていた私は、見事に肩すかしを食ったのでした。相手の方々は、「非識字」という言葉に、強い拒否を示されたのでした。どうやら私のようなプロセスを踏んで漢点字を学ばれたのではなかったと考えるしかないようでした。私はさらに重ねて「漢点字を使って語彙を豊かにしましょう」などと申したこともあります。がこれには何の反応もありませんでした。
 漢点字習得者の間でもそのようですので、そうでない人との話の中にこのような認識を持ち出すことはタブーだと、私は肝に銘じました。ところがある日、漢点字未習得者(習得する意志を持っておられない人)と、漢点字の話をする機会がありました。「文字を知らなければ本は読めないでしょう。」と、つい私は口にしていました。これはタブーに触れるということを、うっかり忘れていたものと思います。件の主は驚いた様子で、気色ばまれました。「何で読めないんですか?」と、怪訝な面持ちで尋ねて来られました。私は慌てて口を塞ぐようにしてごまかしたのを覚えています。
 このようなことは視覚障害者を相手にする時ばかりに起きるわけではありません。視覚障害者と縁の薄い人との間では、当然こうあるものはこうあると言う話で済むところが、視覚障害者との縁の濃い人ほど、視覚障害者を相手にしている時に似通った齟齬を来すことになります。
 私は自らの「非識字」の状態を何とかしたいと念じて漢点字を勉強したのですが、視覚障害者の周辺の晴眼者の皆さんは、ほぼ全員が、私を「漢点字愛好者」と遇しておられます。確かに私は漢点字を「愛好」してはおりますが、それは「非識字」の状態を抜け出すための方法として位置づけているのであって、単に「好き」だから漢点字を使っているのではないのですが、これを理解しては下さいませんでした。どうやら彼らは、「非識字」の状態を抜け出す方法どころか、私の置かれていた状態を「非識字」と理解することを拒んでおられるようでした。(とは申しても漢点字に出会う前の私は、ある点字図書館の館長から、「先天の視覚障害者は漢字を知らないからこまる」という言葉を聞いております。)あるいは、「非識字」の状態から抜け出す方法は、他にも複数あると言われるのかもしれません。漢点字の習得もその中の一つであって、視覚障害者はその幾つかの方法から好みの方法を選択すればよろしいと、無言のうちに言っておられるようでした。とは申しても、どんな方法があるかは、彼らが提示して下さるわけではありません。暖簾に腕押し、このような人々は、視覚障害者の「非識字」の状態そのものに、関心をお持ちでないのかもしれない、私はそのようにも考えてしまいます。
 以上は、「非識字」の状態からの脱却を例に、本会の活動、そして本誌の発行を通して私が学んだところを吐露したものですが、これは一つの例に過ぎません。他にも私が当然と考えて来た事態が、視覚障害者、そして視覚障害者の周辺の晴眼者の間では、見事に逆転してしまう例が、無数にあります。本誌の発行は、私にとって、そのような発見に導いてくれるものでもあったのでした。
 漢点字は漢字を表す唯一の触読文字です。言葉の豊かさは「読む」ことを通して、語彙を自らのものにすることによって実現されます。視覚障害者が使用できる文字は、触読文字しかありません。その触読文字の漢字体系である漢点字を存分に使用するには、漢点字で表された書物を、数多く製作して参らなければなりません。これから先、豊かな語彙を使いこなして、社会で活躍する視覚障害者の出現を願って、活動を続けて参りたいと考えます。
 皆様のさらなるご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


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