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『うか』100号記念特集号

        文字を求めて〜  一失明者の辿った歩み

                          東京漢点字羽化の会
                                 田中秀臣

[田中様は、成人されてから失明されました。一念発起されてカナ点字の触読に挑戦され、さらに漢点字を習得されました。現在は、東京漢点字羽化の会の発起人のお一人として、活動の中心のお一人として重責を担って下さっておられます。]

 1957年の春、私は原因不明の難病で突然視力を失った。入院した大学病院では小児科と婦人科を除く殆どの診療科で来る日も来る日も検査の連続と試行的治療が続けられた。原因不明となれば、当然治療の結果に副作用の発生は免れない。大学の講堂に副作用の見本として何度も協力を依頼されもした。入院5年目には殆ど視力が無くなり、太陽の光も認識できなくなってきた。感じるのは熱気のみである。記録する術を失ったこの時点で、見舞い客の覚えも休職中の勤務先への「近況報告」も出来なくなってしまった。
 そこで、視力を使わずに記録し意思を伝える方法はと思い巡らしてみて、音声伝達と触覚文字の点字が閃いた。
 当時、入院中の音声伝達となると電話しかない。一方、点字であればベッド上でも学習出来るのではないかと思案し、病院を抜け出し点字図書館を訪ねてみた。生まれて初めて点字に触れた時の衝撃を今も忘れられない。指で触れても全く文字として認識出来ない。それでもさらさらと読む子供がいる。私の触覚は異常なのか…、私にとって点字に実用性があるのか…悩み続けた。一方、点字の構成はローマ字を理解できれば極めて単純な音標文字であることが判った。退院後、群馬県の高崎から大学病院への通院を機に、点字教室に通うことにした。この教室では、受講者のニーズに合わせて書き取りと触読の指導が繰り返された。毎回、大量の宿題があり、寝ても覚めても点字と格闘するような生活が続いた。3ヶ月ほど点字に触れていたある日、突然指先で文章らしき一節を感じることが出来た。この日を境に次々に読み取る文字が増えて、優しい文章であれば読めるようになってきた。そこで、図書館から大量の点訳書を借り受け読み続けた。お蔭様でやっと点字を自由に読み書きできるようになったのである。
 ここで、はたと思案してみた。点字は晴眼者には通じない。円滑にコミュニケーションするには普通の文字でなければならない。そこで英文タイプライターでローマ字入力してみた。何とか意思を伝えることは出来たが、読み手に相当の負担をかけてしまう。負担を軽減する一法としてカナタイプも使ってみたものの、長文になると前者と同様に読み手の負担は避けられない。タイピングの決定的欠点は、全盲者自身で見直しが出来ないことである。
 さて、3年間のリハビリを終了し職種を変えて医療スタッフとして社会復帰した1974年のとある日のことである。友人のI君から大阪府盲の川上先生の考案した「漢点字」の通信教育があるので勉強してみないか、との誘いを受けた。日本の点字は片仮名・平仮名・漢字の区別が無い音標文字であり、一般に通用している漢字仮名交じり文とは違う。これは私一人が感じていたわけではなく、既にH先生の開発した「6点漢字」や川上先生の「漢点字」のように点字にも漢字が必要として受けとめられていたのである。6点漢字は音と訓を組み合わせた点字記号であるが、限られた基本文字を簡単に表現できるものの、複雑な漢字体系をカバーするには難点がある。一方、漢点字は漢字構成の基本である部首に注目した構成であり、漢字の文字としての発展性に期待できた。

 以上のような前段があって、音声ワープロの出現を待ったのである。一般に文章を綴るには、当然のことながら加筆や訂正が必要であり、従来の点字ではこの点が困難であった。1990年頃に我が家にも音声ワープロが導入され、かなり自由に読み書きが出来るように文字環境が回復しつつあった。ここでの問題は日本語の読みの難しさにネックがあることであった。
 前述の漢点字の学習は半年ほどで終了し、地域活動や学習仲間との研修活動で日常生活での実用性を確かめ合った。ある時には、日本の将来を担うA新聞社の新入社員のオリエンテーションに参加し、普通に印刷された文書と全く同文の漢点字訳の点字印刷物を一字一字指先で触読してみせた。この時点で視覚障害者の達し得る文字環境を披露して見せることで、障害者を巡る読み書きのバリアフリーの一端を披露することが出来た。一人でも多くの視覚障害者に晴眼者と同じ漢字仮名交じり文を共有する環境を実現したいと願っていた折も折り、再びI君から漢方の聖書ともいう「難経(なんぎょう)」の漢点字訳を横浜漢点字羽化の会の岡田さんにお願いしたいとの意向が伝えられた。田中さんも一緒に付き合って欲しいとの事で、墨田区のみどり図書館に出向いたのが羽化の会との出会いであった。機関誌「うか」とのお付き合いも今日まで延々と続き、「継続は力なり」の言葉のように羽化の会も着々実績を積み重ね100号に達そうとしている。古文・漢文にも挑戦し、成果をあげている。その間ひきふね図書館の山内薫さんを始め、実に多くのボランティアの献身的なご支援とご理解を頂き、ただただ感謝である。
 ここで問題は、漢点字を読める仲間を如何にしたら増やせるかである。日本人である以上、漢字と無関係な人はいないはずで、視覚障害者も教育界も大きく一歩踏み出す時期に来ているのではないか。(2014年7月)

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