わたくしごと
木村多恵子
車は常磐道を一路颯爽と走り、目指すは竜ヶ崎の川原代町(かわらしろまち)とかへ。
後部座席は、空調も程よく、自分の思いに沈み込んだり、同車の、前の席の二人の話をぼんやり聞くともなく聴いたり、カーステレオから流れる、音量も小さめの、ドライバー好みの曲に、耳を傾けたりしながら、のんびりドライブを楽しんだ。
さて、目的地に着いて、主催者Aさんに簡単に挨拶を終わらす。何しろ、次々に挨拶に来るからである。
Aさんが、「何を手伝ってもらう?」とスタッフに聞き、「ジャガイモの皮むき」と言われ、「おお、この三人が皮むきやってくれるよ」と早速仲間に入れてもらった。
先ずわたしたち三人がしたことは、手を洗ってジャガイモの皮むき。5、60センチはあろうかと思える大きな鍋から、茹で上がったばかりのあつあつオジャガの皮むき、「あっちち、あっちち」と言いながらの作業。このジャガイモは、今日のメインの仕事が終えてからご馳走になる、本場仕込みのカレーライスの材料の一部。この皮むき作業は、野外のベンチで、荒削りのテーブルで行うのだから、気持ちのよいこと限りなし。
本格的なカレー作りはその担当者に任せて、わたしたち仲間三人は、今日の指定の場所へと、軽く10分程歩いて行く。出がけにスタッフに「水を飲んで行きなさい」と教えられ、さほど飲みたいとは思わなかったが、大切なことだろうと、コップ一杯飲んで行った。
現場に着くともう沢山集まっていた。
主催者Aさんの声。 「皆さん二列に並んで大きく手を広げて、隣の人とぶつからないくらいの間隔を取って並んで下さい。今日が初めての人、手を挙げて!」
もちろんわたしは手を挙げた。
「20人くらいかな?じゃあ、2回目の人、手を挙げて!うん30人くらいか。じゃ、3回目の人、うん15、6人か。では7回の人、3人。では説明します。今日の稲刈りは、今みんながやれる程度だけにします。作業は1時間、まずここに、何本ずつか、片手で握れるくらいのかたまりが幾つあるか、各グループで数えてください」
区分けされた何組かの総号数を出した。
「次に、このかたまりから、一本抜いてください」
わたしは土の上にしゃがみこんだ。1メートルくらい伸びた稲穂のかたまりが、風にそよぎながらも、穂を垂れている。〈実るほど頭を垂れる稲穂かな〉は本当だ。およそ30センチ置きに並んでいるかたまりを確認し、一番手元にあるかたまりから、そっと一本抜いて見た。思いの外簡単に抜けた。根本に土を少し着けている。でもその土はさらりと落ちる。土がよく耕されているからだろう。
Aさんの声、
「さあみんな、その一本に何粒米が着いているか数えてください」
やって見たが、結構難しい。最初は何度も途中で分からなくなって数えなおしていたが、無駄と知り、大まかに数えた。わたしはでたらめに80粒かな?なんて決めて報告した。
Aさん、
「さあ、その一つのかたまりには何本あるかな?」
これならわたしにも数えられる。伸び揃っている穂を数え始めた。23本か?
Aさん、
「はい、端から数を言って」
「20本、23本、18本」とそれぞれ報告する。
またAさん、
「では、みんな、自分で数えた一本の米の数を、このかたまりの本数で掛けてください。これが一粒の米から出来た米の量です。さっきみんなで数えたかたまりが幾つあったかな?それを掛ければ、おおよそこの辺りの全体量が分かります」
もうわたしは計算はせず、ただその一粒の米から、これだけ育つことに感動していた。それに、大勢なので、わたしから遠くにいる人の声が聞こえなくなってもいる。で、結局どのくらいなのかは分からなくなったが、何れにしても広い田圃に、2列並んだ6、70人がいる様子が掴めてきた。
Aさん、
「はい、それではいよいよ稲を刈ってもらいます。鎌を取って来てください。鎌を持つほうの手は、手袋をはめないでください。何故かな?」
「滑って危ないから」と一斉に答えが返ってくる。
またAさん、
「片手で株全体を握って、一度に刈り取ってください」
わたしも鎌をもらい、やって見る。 まず、鎌を触って見ると、刃が鋸状になっている。手前から向こう側に向けて刈ってみた。さすがに今度は、
20本余りあるので堅い。それでもわたしにも刈ることができた。この一束を、数本の藁で、くるくると巻いて、縛らずに、巻いた藁の間に、もう片方を挿し込む。こうすると、片方を引っ張るだけで、するりと稲束が解けて、脱穀の時にやりいいのだという。そういえば、この藁も稲からお米を取った残りを乾かしたものである。これもこうして立派に生かされている。
わたしはしゃがんだままで、刈り取って束ねるだけで、「はい、お願いします」と声を掛けると、仲間だけでなく、初めて会った方でも、どなたかが、「はい、いただきます」と言って受け取って、稲束の所定の置き場に運んでくださる。つまり、この立ち仕事をわたしは省略しているのである。ところが皆さんは、自分で刈り取り、束ね、決められた手順で稲の山を作ってゆく。稲束は90度に回転させながら、平らに一メートル四方、百二、三十センチの高さまで積んでゆく。従って、立ったり座ったり運んだりで汗だくだ。
皆さんとの比較はともあれ、思いの外わたしなりに刈り取り、束ねることができ、大満足だ。
畝に添って歩けば、一人でも仲間の声を追って、危険なく歩いて行ける。とてもいい気持ち。
1時間は瞬く間に過ぎた。幾山出来たのだろう?
Aさんの声がした。
「今度は落ち穂を拾ってください。ほんとうはこの落ち穂は貧しい人、外国から来た人のために、イスラエルやヨーロッパでは残して置く習慣になっています。」
事実ここでもAさんは、落ち穂だけとはいわず、インドネシアやその他の外国から来ている人に沢山援助しておられる。
わたしも落ち穂を探した。五、六本拾って大事に持った。落ち穂を拾いながら、切り取った稲の切り株が少し濡れていることに気づいた。台地から栄養と水分を稲に与えるために、まだ吸い上げているのだろう。
「さあ、みんな、水を飲んで記念写真だ。この杭からこっちの杭の中に立たないと、写真には入らないよ。さあ、子供たちは前に座って」
大勢の集合写真の例に漏れず、ここでも誰が入らない、こっちは重なり過ぎている、と苦労しながら、時間もかかったが、とにかく予定の作業は終わり、みんなぞろぞろとAさんの家に戻って行った。
「名前を書いてください!書かない人はここには入れません」とスタッフの一人が言う。さらにAさんが「みんなよく手を洗ってから好きな飲み物を取ってください。綺麗に手を洗わない人は食べられませんよ」と言う。わたしたちは笑いながら冷たい水に満足しつつ手を洗い、わたしは紅茶を希望した。
稲束が、そう落ち穂拾いで集められた束だろうか。スタッフがわたしの側を稲束を持って通って行った。やっぱりいい匂い!
Aさんが話しはじめた。
「今年は雨が多く、実り具合がどうか心配しましたが、どうやらここまできました。後はこの近くの農家の方に刈り取り、脱穀などやってもらいます。まず太陽と土と水に感謝しましょう…。これから、インドネシヤの本格的なカレーを作って下さったマリカさんに、食べ方を教えてもらいましょう」
マリカさんは中年?の男性、静かな日本語でカレーを手で食べるのだと言う。ちょっと周辺でざわめきが起きた。にんまりしているのはわたしだけだろう。三本の指でご飯とカレーを混ぜながら食べるのだと言う。Aさんがことさら「きれいに手を洗いなさい」と言った理由がここにあったのか?愉快だった。「今日はフォークもスプーンもみんな隠しちゃったからね。カレーもサラダもおかわり自由です。一杯食べて下さい」とAさんが補足する。
大皿に一杯盛られたカレーを抱え、冷たい紅茶は椅子一脚を、何人かで机代わりにした椅子に置き、大きな骨付き鶏肉や豚、にんじん、ジャガイモ、何種類ものスパイスにおいしい空気と太陽も加え、大っぴらにこの指で持ち、零す心配もなく、しかも野外で食べるのは開放的でことさら気持ちがいい。直接手を使って食べるのは、体に入れるのに丁度いい温度になるからだとドライバーの女性が説明してくれた。なるほど、と素直に納得する。「木村さん、サラダもあるよ」の声には、「サラダはこのカレーを食べ終えて手を洗って改めて挑戦する」とニコニコ顔。
誰かがクラシックギターを爪弾き始めた。ラジオもラウドスピーカーもない、百人近くいる人声さへ、沢山の木々に囲まれた野外では騒音にはならない。ギターの音色が心地よい。鳥の声と、少しやかましい蝉は、これも自然の一部だ。
さて、そろそろお暇(いとま)を、とAさんに挨拶に行くと、「待って、今ゼリーが出てきたよ」と言い、ものすごい大きなボウルにオレンジ、ナシ、ブドウ、パイナップルが一杯のゼリーを手渡された。まるでどんぶりのような深鉢に気持ちの良い冷たい感触のフルーツは、また不思議とお腹に入る。「え?これいったい何人分?」と大騒ぎをしながらも結構食べるのには、我ながら笑ってしまう。
今度こそお礼の挨拶に行きおずおずと「あのう、これいただいて行ってもいいですか?花瓶に挿したいのです」と、五、六本の落ち穂を見せると、Aさんは「おお、もっとあげるよ、待ってなさい」と言って大きめの束と、わたしが持っていたのとを取り替えてくださりながら、「これはね、花瓶に挿さずに、下に向けて壁に下げておきなさい」と言われた。そこへ奥様も出て来て、カレーを持って行きなさいと、またこれも沢山袋に入れていただいた。
わたしたち三人が車へ戻るために歩いていると、Aさんが後ろから車で通り、窓を開けて、「あのね、この辺りの畑から何でも取って行っていいですよ。きゃべつでもなすでも何でも」と言って行かれた。わたしたちは車に戻り、紙袋を一つ持って来て、喜喜として、ピーマン、なすキュウリなど採り、さらにかぼちゃを見つけて、「ほら、木村さん採ってごらん?」と言われ、ほどよいお美味しそうなかぼちゃを蔓から折り採った。収穫のやり方として、このもぎかたでいいのか心配だったが、やはりうれしい。さらにわたしはその辺りの、名前が分からない小さな花を見つけては触って楽しんでいた。そんなところへほどなく用事を済ませたAさんが戻って来て、また車を留めてて、「そのお芋の茎を採って皮をむいて甘辛く炒めるとおいしいから採って行きなさい」と言う。仲間の二人は、どれがAさんが言うお芋なのか分からずにいると、車から降りて来て教えてくれた。
あまり欲張らずに帰ろうとしたところ、一人がモロヘイヤを見つけ、わたしと彼女は大喜びで柔らかいところをつまんで引き上げた。
帰路、ものすごい雷雨に遭い、ドライバーは大変だ。しかし、我が家へたどり着く頃にはすっかりその雨から抜け出し、降りる時には傘一本も要らなかった。
年一度の稲刈りの企画を知っていたドライバーを務めてくれた友人が、まだ喪失から抜け出られずにいるわたしを、この台地の贈り物の行事に誘ってくれたのだ。頂いて来たお野菜とカレーは我が家で三人で分け(多分わたしが一番いただいているのだろう)、稲はわたしの大切な人の写真の向かい側に、素敵なインテリアとして飾ってくれた。
これは9月6日土曜日の、阿蘇敏文(あそとしふみ)さんが無農薬、有機農業にこだわる、COSMO(こすも)農園でのことである。