「うか」094 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 これは15、6年前のことである。
 信仰の友・Bさんとわたしは、礼拝のとき何時も並んで座っていた。病弱な彼女は、教会の大きな奉仕はできないけれど、聖餐式のとき、聖餐台までわたしを連れて一緒に行ったり、点字の讃美歌を持ってきたりするくらいはできる、と喜んでしてくれていた。天真爛漫でお話の上手な彼女と会うのは、教会へ行くわたしの楽しみのひとつでもあった。
 あるとき彼女が言った。
 「姪がね、どうしても一度はわたしをイタリアへ案内したいって言うの。健康に自信がないって言ったら、おばちゃんのこと全面的に責任を持つ、おばちゃんの荷物も持つ、もし、今日はホテルで休みたいって言うならそれもかまわない。これまでおばちゃんの健康状態を見ていて、今が一番安定しているように思えるから、是非十日間の旅行をしよう。イタリアにはおばちゃんの興味を誘う美術も教会も一杯ある。それにどうしてもおばちゃんに見せたいところもあるからってしきりに言うのよ。どうしようかな?」
 「思い切って行ってらっしゃいよ。あなたのことずっと見ている姪御さんがそこまでうけおってくれるのなら、大丈夫よ。それがチャンスってものだわ」とわたしは大いに勧めた。

 その彼女から「無事帰って来たよ」と元気な声の電話があった。礼拝は、旅行中と、休養を含めて二度はお休みすると思ったのに、旅行中の一回の休みだけで現れた。自分でも驚くほど元気だと言いながら、「はい、お土産」と言って10センチ四方のゴツゴツした紙包みを手渡してくれた。お土産は「お話一杯」、と思っていたわたしは驚いてしまった。空けて見ると、彫刻であることは分かるが、何かは分からない。
 「何か、分かったことを言ってごらん?」
 「台があって、その上に人が、だけど頭かなあ、二つあるよ」
 「そうだよ、ピエタ」
 「ええええ!!!? あのピエタ?」
 わたしはまったく思いもかけない、すごいお土産に仰天!
 「帰って来て、電話したとき、お土産のこと言いたかったけど、我慢したの。それにこれを早くあげたくて、教会休まずに、今日来たの。あのね、あなたへのお土産何にしようかってずっと考えてたの。十字架も考えたけど、ちょっとぴんとこない。そんな毎日のある日、サン・ピエトロ寺院へ行って、この本物のピエタを見たとき、身体が震えたの。ああ、本当にイエス様に救われているのだ、これを見せてもらっただけで、この旅行は充分だって思ったの。他の人たちは、あちこち見て回っていたけど、わたしは引きつけられて動けずにピエタだけを見ていたわ。そして、木村さんにはこれだ、これ以外には無い、そう思って、寺院を出てから、あちこちお店を探したの。これがないはずはないって必死で捜したの。もう時間切れになりかけたとき、露天商のようなところで、やっと見つけたの。売っている人が、自分で彫って、幾つか貯まったら、ここへ売りに来るんですって。だから箱もなんにもなくて、その辺の紙よ、日本でいえば古い新聞紙のようなもので包んでくれたの。大きさも、大小三つ四つあったけど、これならさわって分かると思ったの。大きいのはわたしが持って行けない。小さいのは細工が細かすぎて、木村さんがさわっても分かりづらい、これならそこそこ彫りの形も分かってもらえるだろうって思ったの。ミケランジェロ25歳のときの物だって、すごいねえ。わたしピエタの前に一日中居てもいいと思った、ただ、椅子は欲しかったけどね」
 正確な素材は分からないけれど、石の一種であろう。正面にマリアが座っている。マリアの頭は、自分の右手で背中を抱えているキリストを見つめるように、少し右に傾げている。マリアは、普通の子供を、その膝に横座りに座らせるのと同じように、キリストを抱きかかえている。マリアの右手は、キリストの背中から脇の下を通って抱えているので、キリストの右肩は少し高く上がっている。キリストの右手は、自然に垂らされているが、左手はマリアの身体と接しているので見えない。マリアの左手は、キリストの左足を押さえているので、キリストの左足はマリアの左側の膝から自然に座っているように、膝を曲げて下ろしている。右足は、マリアの手からは外れているので、左足から少し離れて下ろされ、その先は、左足より下がった位置で台座に着いている。マリアの足先は、マリアの衣裳から少し出ていて、これもさわれる。マリアの衣裳の深いひだと、ベールの自然なドレープも見事にさわれる。
 「姪が、わたしにどうしても見せたかったものは、このピエタだったんですって。だからピエタ見学の日に、わたしが元気でいて欲しいって、それだけは願っていたんですって。それでわたしがこのピエタに魅せられているのを見て、自分の予想通りだった、無理をさせても誘ってよかったと思ったんですって。でも友達のために夢中でこれを捜すとは思わなかったって言うの。」
 実物のピエタの大きさは、台座を含めて、高さ174センチ、横幅195センチ、奥行き69センチだという。わたしのミニチュアレプリカは、高さ9センチ、横幅8センチ、奥行き5センチである。
 我が家へ来てくださる友人たちにこれを見せると、誰もが、マリアの悲しげな様子、ただの悲しみではない、清らかな崇高な顔、単なる人間の母子でなく、キリストへの感謝のまなざしと、キリストの、全てのものに降り注ぐ愛を感じ取れると、ノンクリスチャンの人も言ってくださった。
 当時、わたしが住んでいたところは狭くて、この小さなピエタでさえ飾れるところは無かった。やたらなところに置いてそそをして壊したくない。そうかといって、きちんとしまい込んで、ときどき出して見るのでは寂しい。考えた末に決めたのは、わたしがいつも自然に触れるところ、それは普段使いの下着やシャツをしまう箪笥の引き出しである。ここなら毎日触れる。大切なピエタを縮緬の袋に入れて傷を付けないように、衣類の間に挟んだ。
 こんな扱い方をしては気を悪くするかもしれないと思いながらも報告の電話をした。最初はやはり驚いていたが、わたしの詳しい説明を聞いて、だんだん納得してくれた。そして次に教会で会ったとき、「驚いたわよ、でもそうか、そうやって喜んで大切にしているんだってわかったらうれしくなってきたわ」と言ってくれた。
 その後、現在地に引っ越してから、わたしなりに都合のよい場所を作って、ピエタを移し、飾ったことは言うまでもない。その報告をすると、やはり彼女も、ほっと安心したような吐息をついた。あるべきところに置かれたからである。
 「今までご免なさいね、でもずうっと大切にしていたし、この人には、と思う友達ができると、引き出しから出しておいて見せていたのよ」と言うと、「うんうん」とうれしそうにうなずいていた。
 それにしても、わたしが触って分かるもの、意義深い物を一生懸命捜してくださったことへの感謝は、日を重ねるごとに増している。
 形あるもの=その中に彼女のやさしさ、信仰、このレプリカを彫り上げた人の祈り、ミケランジェロの想像力の豊かさ、高い芸術性と、卓越した技が、信徒一人びとりの思いをくみ取って、キリストへの感謝を形として表したのがこの「ピエタ」である。
 この贈り物をいただいてから、もうかれこれ15、6年近くなる。そして彼女も、わたしの夫が逝った後、およそ2年足らずで神の許へ旅立ってしまった。

 (注 = ピエタとは、十字架から下ろされたばかりのキリストの身体を抱く母、マリアの像である。
 台座の正面に、「PIETA、ピエタ」と彫ってあり、背面の台座の中央よりやや右寄りに、「A. C.」と彫ってある。これはラテン語の、「Ante Christum」、アンテ クリストゥム、キリスト以前、紀元前」の略称であると教えてくださった方もいた。)
                                    2013年3月21日 (木)
前号へ 連載初回へ  トップページへ 次号へ