「うか」097 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

  ある方とお話をしていたときのことである。
  「白鳥の歌を知っていますか?」と聞かれた。戸惑いながらも考えた。シューベルトの歌曲集の「白鳥の歌」のことを言っておられるのだろうか?もちろん正宗白鳥のことではない。「見にくいあひるの子」でもない。チャイコフスキーのバレー組曲「白鳥の湖」であろうか?サンサーンスの「動物の謝肉祭」の中の「白鳥」はどうだろう?いったいなんのことを言っておられるのかわからない。けれどもわたしの頭の中ではなにかが騒いでいる。白鳥、白鳥、白鳥。白鳥の歌。昔この言葉に心が捉われた記憶がもやもやと胸の中に浮かび上がってきた。が、今はそのことにこだわってはいられない。「分かりません。なんでしょうか?」とお聞きした。
  「白鳥の歌とは、人が死ぬ前に作った最期の作歌、または曲・演奏などをいうのです。 一般には芸術家が作り出した生前最期の作品をいうのですから、〈白鳥の歌〉は、陶芸や木工、染色、日本刺繍などあらゆる分野の人たちにも当てはまると思います。
  もっと広く言えば、専門家でなくても、ごく普通の人にも白鳥の歌を作れるとわたしは思っています。ですから、多惠子さんには多惠子さんの白鳥の歌があって当然だと思います」
  と、その方はおっしゃった。まさか!と、わたしはとんでもないことだと照れてしまった。ただ、このように広い視野に立って、ひとりひとりのことを大切に見つめるその方の暖かさを感じ取ることができた。
  「白鳥は死に瀕したとき、一声高く美しい声をあげるという神話があって、そこから転じて芸術家が最後に残した作品をいうのです。」

  この会話の後、わたしは一人で自分の心の引き出しのあちこちを探した。〈白鳥の歌〉は何時、何処でわたしと巡り会い、絡みついて、そして潜り込んでしまったのだろう。思い出せない歯がゆさ、じれったさを抱えたまま、高校時代に読んだドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(米川正夫訳 岩波文庫 1928年10月15日第1刷り、1957年4月5日改訳17刷り、1995年7月14日57刷り)を久しぶりに再読した。
  こんなに年をとっても、理解できないところが沢山あるのに、高校生のわたしはずいぶん背伸びをしていたのだなと思いながら読んだ。
  裁判所の場面である。カラマーゾフ家の4兄弟の長男、ドミートリー・カラマーゾフが父親殺しの下手人であることを論ずる、検事イッポリットの演説を際立たせるための解説が出てきたところで、わたしは「あっ」と小さく叫んだ。「これ、これ、ここだったわ!」

  (以下、『カラマーゾフの兄弟』米川正夫訳、6 検事イッポリットの論告・性格論 より引用)
  彼(イッポリット検事)は、この論告を自分の〈シェフデューブル〉(傑作)と心得ていた。自分の一生涯を通じてのシェフデューブル、すなわち〈白鳥の歌〉と考えていたのである。実際彼は9か月後、悪性の肺病に罹って死んでしまった。だから、もし彼が自分の最期を予感していたとすれば、彼は実際自分で自分を、臨終の歌を歌う白鳥にたとえる権利を立派にもっていたのかも知れない。彼はこの論告に全身を注ぎ、あらん限りの知識を傾けた。 …」(引用終わり)

  〈白鳥の歌〉についての説明はこれだけであった。
  この裁判所においての、あらゆる角度から論を立ててドミートリー・カラマーゾフが下手人であることを、多くのひとに納得させ、感動を与える熱弁は確かに傑作であった。が、わたしにはその言い分を全面的には納得できなかった。けれども、これは読者に楽しみを残すドストエフスキーの手腕にちがいない。それにしてもなぜこの論告が「イッポリットの〈白鳥の歌〉」であるというのか、その引喩の意味を当時のわたしは理解できなかった。
  かなり長い間この言葉を温めていたが、その謎を解く鍵を見つけることができなかった。今のように、最寄りの図書館へ行って教えていただくことはできなかったし、図書館はわたしにとって遠い存在であった。学校の教師や先輩に教えていただけそうな人は見あたらなかった。我が家には広辞苑や故事ことわざ辞典などなかった。なんという知的貧困だっただろう。
  シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」は、シューベルトの遺作の歌曲を彼の友人が集めて、一つの歌曲集にまとめたもので、白鳥が死ぬときに美しい高い一声をあげるという伝説にちなんでこの題を着けたのだという。したがって、シューベルトの他の歌曲集「冬の旅」のような一貫した物語性は無い。
  きちんと整理されてはいないまでも、わたしはこの言葉の破片を引き出しの片隅にしまっておいた。そして、この50年の間に、この言葉の周辺を巡り歩いて、少しづつ謎が解けてきていたのは確かである。そうして2013年の夏になって、やっと氷塊したのは遅きに失したけれどうれしいことである。
  最後にもうひとつ付け加えさせていただきたい。
〈白鳥の歌〉のドイツ語は“Schwanengesang”(シュバーネン・ゲザング)だという。正しい発音は当然わたしには表記できないけれど、こういうことを、図書館員や知人に教えていただけることの幸せをつくづく感謝している。

  * 訂正とお詫び、羽化93号の木村の「東京羽化例会報告とわたくしごと」の、〈わたくしごと〉の文中、座布団の正面は、縫い目のあるところの反対の位置のように記したが、正しくは、縫い目があるところが正面である。
大変失礼をいたしました。
                                     2013年12月26日(木)
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