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漢点字の散歩 (3)

                          岡田健嗣


      3  どうして?


 識字教室の俳句作り
    読売新聞大阪本社編集委員 橋本誠司

 俳句作りをしている識字教室がある。その響きに引かれるものがあって、大阪府南端の岬町を訪ねた。/ 識字教室は毎週木曜日の夕方に開かれる。そのうち第3木曜が俳句の日だ。/ 文字を書き写すだけでなく、月に1回は俳句で自己表現してみませんか。そう呼びかけて、町教委の岡田耕治教育部長(52)が昨年6月に始めた。/ 生徒は60歳代、70歳代の女性が多い。学校に行くより家の用事が先。幼い弟や妹の面倒を見るのが大事。そんな理由から、鉛筆を持っただけでしかられるような子ども時代を過ごした人たちである。/ その日、教室にやってきたのは5人だった。みんなで思いつく限りの季語を書き出すことから俳句作りは始まった。花火、浴衣、かき氷、夏祭り…。「昔は古い浴衣の生地をおしめにしていたねえ」。思い出話に花を咲かせつつ、鉛筆を手に頭をひねる。

 浴衣着てよそよそしきは若い腰
 かき氷昔を思う星の下

 「みなさん快調ですよ」と岡田さんの声が教室に響く。「次々書けるようになったのでおもしろい」と女性たちは語った。/ 長じて学び取った言葉だし、なにより俳句を始めて日は浅い。でも、句を詠むことそれ自体が楽しくてしょうがない。そんな表情に見えた。/ 2003年から始まった「国連識字の10年」の、今年は中間年である。ユネスコの推計(07年)では、読み書きできない大人が世界に7億8100万人、学校に通えない児童は約7700万人いるという。/ せめて日本の子どもたちに、こうした現実と学ぶことの喜びを知ってほしい。識字教室の活気に触れて、思いをめぐらせた。
            (読売新聞 2007年8月27日付夕刊 「夕景時評」より)


 この記事は、本会会員の木下さんが入力して下さったものである。あえて全文引用させていただいた。
 木下さんは、「漢点字の普及活動も識字運動と考えれば、このような活動とも共通項が見出だせるのでは」というお考えで、ファイルを送って下さった。
 一般の健常者にも、文字を習得できないまま大人になった人が大勢おられることは、よく耳にする。つい最近、夫を送った老婦人が、夜間中学へ通い始めて、二度目の人生を生き生き満喫しておられる姿が、テレビで放映された。若い人(多くは学齢に十分勉強できなかった大人)に交じって、また昼間の中学生に交じって、体育祭に参加なさって、ご自身のできる限りを発散されておられた。将に童心に還ることの許された幸福を、テレビの視聴者にまで分けて下さったのである。
 授業の風景も、英語や数学という、実際は必ずしも容易でない教科に挑戦する楽しさを、感じさせて下さった。
 このような報道は、私の幼少時からテレビ・ラジオを通して、よく見聞きしていたように思う。「文字を知る」ということが如何にその人の一生に関わることか、あらゆる意味で人生を豊かに過ごすのに大きな力を及ぼすかを、そのような報道では繰り返し訴えていた。
 我が国の識字率は九九.八%と言われている。しかしこの岬町で俳句の会に集うておられる方々は、「非識字者」には数えられていないはずだ。というのも、識字率は決して「文字の読み書きができる人」の数から割り出されたものではないからである。「初等教育修了者」の数から計算されたものである。家庭の事情その他で小学校に在学していてもまともに通っていなかった人も、卒業すれば「初等教育終了」と見なされる、そして「識字者」の内に数えられることになる。そのようにして本来六年かけて養われるはずだった読み書きや計算の力を得られぬまま社会の浪にもまれることになる。
 私が盲学校の初等科に在学したのは、昭和三〇年代である。私は戦争を知らない世代であるが、戦後の混乱期の一端は知っている。横浜の野毛には闇市の名残があったし、横浜の広い地域が、米軍に接収されていた。現在根岸の森林公園として市民に親しまれている、元・根岸競馬場でも、アメリカ人がフェンスの向こうで、ゴルフクラブを振っていた。
 そんな頃、現在と異なって学校に通えない事情を抱えていても珍しくない頃−−勿論直後から始まる高度経済成長によってそういう情況は雲散するのだが−−、勉強したくともできない人たちは、小学校の修了証書をもらい、中学校へ入学し、卒業していったのである。
 私が盲学校へ通うようになったころ、視覚障害者(当時は「盲人」と呼ばれていた)にも義務教育が施されるようになった。勿論学齢に達した子どもには、盲学校へ通うよう、役所から指導された。それまで学校と縁のなかった人たちにも、適当な学年に編入されるよう取り計らわれた。そうして盲学校の小学部の教室には、どのクラスにも、学齢の生徒に交じって、年配の生徒が沢山入って来た。かなりの年齢に達している人たちは、五・六年生に編入されて、直ぐに初等教育を終えていった。
 …………

    しかし、なんでだろう??

 幼少期、学業に恵まれなかった人たち、確かに「子どものころ勉強できていれば…」という思いは強いであろう。だから既に人生の終着点が見えようとしていても、何かをやりたくなったのではないだろうか?しかも必ずと言ってよいほどに教育関係者が手を差し伸べている。
 振り返って視覚障害者はと言えば、触読用の文字である〈点字〉には、〈漢字〉がなかった。日本語を、普通の文字(〈墨字〉と呼ぶ)と同じように表記できる文字がなかった。なかったときは「仕方がない」と言っていればよかった。
 だが一九六九年に故・川上泰一先生が〈漢点字〉を発表されて、「文字がない」情況は変化した。「文字がない」情況は変化したが、なぜか習得し、学習や研究、職業に生かそうとする人は、極めて少数に留まっている。さらに教育関係者の積極的な関与も極めて少ない。
 これはどういうことなのだろうか?

 本会の活動の始めは、まず我が国の文化に触れる資料を作ろうというところから出発した。我が国の文化?私は色々考えた。恐らく冒頭の記事のような識字活動をテレビ・ラジオから聞き知っていたのであろう、視覚障害者が短歌や俳句を嗜む姿を思い出した。漢点字にするなら短歌や俳句の資料から始めるのがよいと思いついて、朝日新聞の「朝日歌壇、俳壇」の漢点字訳に着手した。私自身は短歌や俳句をやってみようという勇気は持ち合わせていないが、この活動の中から、漢点字使用者で、短歌・俳句に造詣の深い人が現れて、漢点字による短歌・俳句の教室のようなものができればよいが、と夢想もした。漢点字をよく知り、短歌・俳句にも通じた人が、漢点字を使っての「座」のようなものを企画してはくれないものか、そんなことを考えていたのである。
 しかし程なくその夢想も「夢だった」と気付かされた。よく考えれば無理もない。視覚障害者誰しもが、文字を学ぶ機会がなかったのである。短歌や俳句の指導のできるほどの力を養う機会がなかった。一緒に漢点字で短歌・俳句運動を起こそう、とまでは行かなかったのである。
 一般の識字運動であれば誰かが音頭を取るにしても、教育関係者がその経験を生かして指導に当たるのである。また町には、一芸に秀でた人が溢れている。視覚障害者にもそういう人がいるはずだ、と考えた。それは間違っていなかったと今も思う。しかしそれまでの経験だけでは、漢点字を使用しての指導は、叶わなかったのである。漢点字の力を付ける、という基本的な姿勢につまづいたのであろう、漢点字を学んでいながら、漢点字を使おうという気運が萎んで行くのを、そのとき感じざるを得なかった。
 そして漢点字使用者の多く、盲学校の先生からも、漢点字を使って学習や研究を進めようという声を聞くことができなくなったのである。

 二〇歳代後半まで漢字を知らなかった私が、漢字の知識を強く求めるようになったのは、社会生活では、言葉の使用がその帰趨に関わることを思い知らされたからに他ならない。社交場のレトリックのテクニックも必要だし、そういうものは習慣づけることで身に付く場合もある。しかしメッキは直ぐに剥げる。テクニックではない、何かもっと根っこを持たなければ、そう思うようになっていた。
 社会生活とは直接繋がらないが、漢字の知識への要求の具体的な切っ掛けとなれば、幾つか挙げることができる。中でもそのままでは全くのお手上げのことがあった。
 点字使用者なら誰もが感じていることであるが、英語の勉強に、点字の〈略字〉の習得が、案外大きな味方になったのである。〈略字〉は、英語の綴りの法則をうまく利用したもので、フルスペリングではリズミカルな読みができなかったのが、略字を使用した文章では、普通の速度で音読できるのである。しかも、英語の力も自動的にアップしたように感じたのも、錯覚ではないと思う。英米の点訳書は、この〈略字〉を使用しているのが通常であって、「触読」を配慮してのことと謳っている。
 このような英語学習の経験から、学生時代に勉強したドイツ語の点字も同じようにできているのか、ドイツ語も点字を勉強すれば、結構読めるようになるのか、やってみようと考えた。
 しかしドイツ語の点字の解説書は、我が国にはない。翻訳されていない。勢い自ら翻訳しようなどという気を起こした。
 しかしまたもや大きな暗礁を目の前にした。他でもない、国語の力不足で、思うような訳語が出て来ない。訳語ばかりでなく、ドイツ語の表現を日本語の表現に置き換える力がない。さらにドイツ語の基本構造の知識がない。原本を読みとる力がない。
 例えば音節という概念、欧米の言語では基本構造となっている。が日本語では、外国語と比較する時以外には、あまり前に出るものではない。テキストには、二重母音を一音節と見るか、二音節と見るかと記されている。ドイツ語圏では常識かもしれないが、私には十分つまずきの石になった。
 いずれにせよテキストの読み込み不足である。取りも直さず「国語力」の不足である。「隗より始めよ」、「国語力」を鍛えるところから始めなければならない、「国語力」と言えば〈漢字〉の力だ。
 折良く漢点字の通信教育の募集記事に出会った

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