漢点字の散歩 (4) 岡田健嗣 |
3 どうして?(承前)
(T)
一八二五年、フランス人のルイ・ブライユ(一八〇九〜一八五二)は、多くの困難を乗り越えて、盲人のための触読文字を完成した。そこにはアルファベットだけでなく、句読符号や数字も揃っていて、それを指先に触れるだけで読み分けることのできるものであった。このブライユの触読文字の体系は、一九世紀の内に世界の隅々まで広がって行った。そしてそれは、あらゆる言語の、盲人のための触読文字の開発の気運を呼び動かした。どこでもこの触読文字の体系に沿って、その地域の言語に見合った文字が作られて行ったのである。
ドイツではシュトレール博士が、一九二五年に「ブライユ方式の総綴りによる基本書式)」を世に問われた。それが今日一般に使用されている「マールブルク体系」の基となったものである。一九七一年にウィーンで開催された「ドイツ語略字書式改訂作業部会」の検討の中から、ドイツ語点字の基本書式にも標準化が要請されて、この新版「マールブルク方式による盲人用書式」が刊行される運びとなったのである。ここでは、総綴りの規則とその働きの枠組みを、改めて提示している。この点字システムは、言うまでもなく標準的な国際点字に沿うよう留意が計られた。と言うのもこの改訂では、句読符号やアポストロフには小さな変更を加えることになったが、ドイツ語固有の発音の表記は従来通りとし、その他は変更しなかったからである。
この手引き書を送り出すに当たって重要と考えたのは、その構成をシステマティックに組み上げることと、ドイツ語の総綴りの特徴を豊富に例示することによって、独力でこの表記法を学習し易くすることであった。このような試みから私たちの得たことは、ドイツ語の表記の本質に迫ることができたことである。それがこの手引き書の墨字版・点字版両者の編集の作業に関わった成果だと言っても過言ではない。
(後略)
(Leitfaden der Deutschen BLINDENVOLLSCHRIFT 1977 Deutschen Blindenstudienanstalt)
(U)
カール・シュトレール博士の起草になる「ドイツ語点字略字使用法の手引き」が、「マールブルク体系」として、ブリンデン・シュトゥディーエン・アンシュタルトゥから刊行されて、ちょうど五〇年になる。その二五年後の一九四八年には、その第二版が改版された。さらにそれから二五年を経た後、マールブルクのブリンデン・シュトゥディーエン・アンシュタルトゥでは、「ドイツ語点字略字書式法改訂協同部会」の一〇年に余る協議の成果として、この「ドイツ語点字略字書式法の手引き」を世に問うこととなった。この作業部会には、ドイツ語圏諸国であるドイツ連邦共和国、ドイツ民主共和国、オーストリアおよびスイスの四カ国から、それぞれ委員が参加した。この改訂がもたらした成果は、点字による表記法をより単純にできたことと、その規則に対する例外を少なくできたことである。またこの協議では、この略字法が、語彙や語法の変化にうまく適合し得ることと、コンピュータで行われる変換のように、他のデータとの互換性を確保し得ることを、充分考慮した。それゆえにシュトレール博士の手引き書の基本の部分にも、改訂を加えることになった。
手引き書には、整った規則で書式を紹介することや、多様な事例で説明したり、また独習だけで充分習得可能な教本であることが求められているが、本書はその前に、ドイツ語点字の略字のまとまった使用法を提示して、視覚障害者諸氏が読み書きする際に、座右に置いて役立てられるようにと工夫した。
ウィーンの「協同作業部会」では、会議を終えるに当たって、この改訂された略字書式の有効期間を論議した。そして必要に応じて、発表後一定年月を経た後に、再検討することを確認した。従ってこの後、諸氏がご使用されることで、この書式法の不足・不備を発見されることもあるはずである。そんなときは、是非とも当方までお知らせいただきたいと願っている。
(後略)
(Leitfaden der Deutschen BLINDENKURZSCHRIFT 1972 Deutschen Blindenstudienanstalt)
上は「ドイツ語点字基本書式」(T)と「ドイツ語点字略字法」(U)両書の序文の拙訳である。私が漢点字に出会う少し前に手にした本である。
前号でも述べた通り、私たち視覚障害者も学校で英語を学んだ。その折りに、不十分ではあるが英語の点字には「略字」という文字があることを知る。不十分というのは、盲学校の中学部・高等部の先生方で、点字に通暁する方は極めて少なく、生徒は独学で学ばなければならないことと、現在の事情は分からないが、当時はしっかりした解説書がなかったことによる。
しかし略字を勉強しているうちに分かって来たことがある。英米の点字の関係者が、当然と言えば当然至極であるが、英語の構造を熟知しておられることである。表記の規則が簡明で、例外というものがない。そして何故に英語点字に「略字」が開発されたかである。
英文を点訳するとき、全てをフルスペリングで表されると、大変読み難いのである。音読ができない。略字を使うとどうか、極めて快適に読めるようになる。このことは略字を習得した者誰でもが感じることである。略字が使用された文章は、ほぼ音読に相当するかそれ以上の速度で触読できるのである。
それはどうしてか(?)、少し英語点字の略字の構造について述べてみる。
点字は立て三点・横二列の六つの点が基本構成である。日本語ではその単位を「マス」と呼んでいる。英語ではcell、ドイツ語ではFormである。点字は指に触れるとき、この一マスを単位として読みとられる。触読する指は常に移動していて、手前のマス、次のマス、さらに次のマスと、移動しながら比較し把握するのである。
英語点字の略字は、大きく二つに大別される。その一は綴り字を表す略字で、日本語では「略字、略語」と呼ばれている。もう一つはアルファベットや綴り字を表す略字を組み合わせて作られたもので、日本語では「縮字、縮語」と呼ばれている。
綴り字を表す略字の構成は、“ch, gh, sh, th, wh, st”を表す六つの点字符号を除いては、一つの音節を表すものである。母音が前に来るか後ろに来るかはともかく、母音と子音の組み合わせから成っているが、このことが英語点字の略字の特徴と言えるのであろう。さらに言えば、母音を含まない六つの略字も、アルファベットが六つ増えたと理解できるものである。これはドイツ語の表記で、“sz”を一つの文字(英文タイプライターでは“B”で代用する)で表すのに比較し得る。
「縮字・縮語」と呼ばれる略字は、単語を構成するアルファベットや「略字」を、一つ・二つ・三つ…使用して表されるものである。たとえば“q”は“quite”、“ll”は“little”、“brl”は“braille”のようにである。
略字を使用した英語点字の文章が何故に読み易いのか、この拙文に取り組みながら考えた。単に速度が速いばかりではあるまい。確かに読みの速度は大きな要因に違いない。が、触読は何故遅いのか、速読みできる方が何故読み易いのかが分からない。
音読のプロセスを考えてみると、墨字では先ず目の網膜に映った文字の形態の情報は、知覚神経である視神経を通して視覚中枢に送られる。視覚中枢で形成された視覚像はさらに上位中枢に送られて、文字として認識され解読される。また解読された文字は、言語中枢に送られて相当する音韻に変換される。ついで運動神経を通して声帯・口腔・舌・口唇などに送られて発語される、となる。これだけのプロセスを踏みながらも、普通音読は停滞したり中断したりはしない。
触読はどうであろうか。点字の情報は指先の触覚から知覚神経を通して中枢神経に送られる。触覚の中枢では恐らく触覚の情報として処理されるのであろう。その情報がさらに上位中枢に送られて、「点字」という文字として認識され解読される。さらに言語中枢に送られて、相当する音韻に変換されて、運動神経を通して発声器官に送られて発語される、のである。
つまり目で見て読もうが、指で触れて読もうが、読むという、しかも声に出して読み上げるというプロセスには、さほどの違いはない。何が違うかと言えば、知覚の受容器と知覚中枢である。「目」という受容器と視神経、そして視覚中枢は、人間の持つ感覚器官の中でも最も大きな処理能力を示す器官である。キャパシティ、アビリティともに大変大きな能力を持つ器官であるし、視覚神経も脳の中枢に直接接続されているのである。
触覚器官は感覚器官としては、欠くことのできない器官である。視覚器官とともに働く場合は、大変特徴のある働きをする。
しかし視覚障害者にとっては、視覚の代替を担って欲しい器官である。が代替をするには、視覚器官の能力に遥かに及ばない。指先の触覚受容器、頸髄を通して脳に至る知覚神経、大脳の触覚野、何れも視覚器官の代替をするには、あまりに機能が違い過ぎる。これを何とか補おうとするのが、英語点字では「略字」の体系作りだったのである。
私たち視覚障害者が点字を使用して英語を学ぶとき、この「略字」の体系が大きな力になってくれた。それは決して偶然や思い込みではない。アルファベットの綴りをそのまま読むのでは、文字の解読や発語にタイムラグを来す。せめて音読と同程度の速度の処理能力が可能であれば、それはなくなる。そのようにして開発された「略字」の体系の方法は、音節の符号化と単語の短縮であった。
このことは私たち日本の視覚障害者が英語を学ぶに当たって、大変幸運なことでもあった。「略字」を習得することが、そのまま英語の構成を学ぶことになったからである。
私はこの体験から、ドイツ語も同様にして習得できるのではなかろうかと考えた。そこで冒頭の二書の解読に挑戦したのである。
ご覧のようにこの二書は、時間的には(U)が先に、(T)が後に刊行された。がしかし、(U)を検討するうちに(T)にも手を着けなければならないことに気付いて、ドイツ語点字の基本から再検討されたものという。つまり(T)がしっかり固まっていなければ、(U)もなりたたないという関係にあるのである。