漢点字の散歩 (14) 岡田健嗣 |
5 点 字
本稿では、〈点字〉をご存じない皆様も、点字をパターンとしてお受け止めいただければ充分です。点字で何が書かれているかを読み取る必要はありません。 |
【余談】
この間何冊かの本を読んだ。
「英語点字」を3回、「ドイツ語点字」を1回分書いて、その都度考えるのが、「アルファベット」であった。拙稿で私は、「拡張アルファベット」という概念を仮想した。
ルイ・ブライユが創案した点字が欧米各国に伝播して、それぞれの言語にあった体系に仕上げられたが、ブライユが作ったのはアルファベット26文字と句読符号、そして引用符などの文章記号であった。が残念ながらこれだけでは、触読するには使用者の満足を得られなかった。各国の言語にマッチした、触読し易い点字が求められたのである。その結果として、アルファベットの概念を拡張し、音節を点字符号の文字とし、さらに単語の綴りを簡略化するといった工夫がなされた。そしてこの工夫は、英語にせよドイツ語にせよ、それぞれ語学上の解析が試みられて、初めて叶ったものであった。
ここに1冊の本がある。今年のベストセラーである「プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?」(メアリアン・ウルフ著 小松淳子訳、インターシフト)である。同書は、文字を読むという行為が、人の脳をどのように変えて来たか、について分析している。脳の活動電位の分布や変化を通して、読書という言語作用が脳の言語野を大きく拡張する様態を見出して、視覚言語である文字を、見直してみる必要があるというものらしい。
同書の前3分の1は、考古学上の成果を踏まえて、文字の発生からアルファベットの成立までを追っている。そこに極めて興味深い記述があった。
メソポタミア文明の発生は、シュメール文字によって確認される。それからギリシア文字の成立までに数千年を要している。しかもギリシア文字に直接繋がる文字は、まだ発見されていない。そこで欧米の考古学・言語学界では、まだアルファベットの概念が、確定されていないというのである。
ギリシア文字のアルファベットは、言うまでもなく子音と母音(音素)を表すもので、現在のアルファベットに直結している。ところがそれ以前の文字は、時代によっても場所によっても違うが、音素よりもむしろ音節を指示しているという。数も膨大だ。
そこで1つの考え方として、アルファベットを「音素」を表す文字符号として見る見方を採ってみる。するとアルファベットの成立はギリシア文字まで待たなければならない。逆に音節文字もアルファベットの祖型として容認して見ると、現在のアルファベットへの移行をどの時点と見るかが問われて来る。つまり古代文字とギリシア文字との断絶(ミッシングリンク)の部分が発見されれば解決されるのだが、現時点でどう考えるかは、議論百出だというのである。(もっとも私には、古代文字とギリシア文字とを結ぶ文字が見つかれば、全てがはっきりするかどうか疑問であるのだが…。)
この話から私に大変面白く思えたのは、現在ご紹介中の英語・ドイツ語の点字の成立が、ちょうどこの反対の道筋を辿っているように見えることにある。ルイ・ブライユはアルファベットと句読符号を創案した。その後、それを受けて触読の便宜をはかる目的でアルファベットに準ずる音素符号を、次に1マスで表す音節符号を、そして1マス・2マスの符号で単語を表し、最後に縮字・縮語が考案されて、現在の体系が成立した。英語点字とドイツ語点字は、構成上多少の相違はあるものの、基本的に構造を共有している。つまり、アルファベットの概念は、極めて流動性に富んでいると見てよさそうだ。
そして同書を読んでもう1つ感じたのは、欧米人の考え方の基本に、アルファベットに対する強固な信任と自信が存在することである。26文字という、極めて少ない文字で、全ての言語を書き表せるというこのアルファベットが、最高度に進化した、最も優れた文字だという強固な信念が、一貫していると読めた。
たとえば日本語のカナ文字については、「漢字で表せない日本語固有の文物を表すために作られた音節文字」であるとするだけで、日本語の表記が漢字仮名交じりを基本としていることには、ほとんど言及されない。フランスの構造主義哲学者は、「日本人は、漢字にカナでルビを振っている積もりだが、本当はカナに漢字でルビを振っているのだ」と言っているという。さすがである。
文芸評論家の柄谷行人氏は、明治時代の「言文一致」運動について、興味深いことを述べておられる。幕末から明治にかけて、欧米から大量に文物が流入した。その中に言葉があった。欧米の書き言葉はアルファベットで表されるが、それは言葉の音を、視覚的な記号に置き換えたものであると理解し、それが独り歩きして、欧米の書き言葉は、話し言葉をそのまま文字に定着したものだという見解に辿り着いた。だから欧米の言葉は整理され、効率的であって、無駄がなく優れているのだ。それに引き替え日本語は、話し言葉と書き言葉が離れ過ぎているから、非効率で遅れている。話し言葉の音を表す文字で、書き言葉も表されるべきだ、というのがその運動の発端だったという(「日本近代文学の起源」)。このような見解はアルファベットへの大きな誤解と、先進諸国への圧倒的な劣等意識と、国際競争への言い知れぬ不安が導いたものと言ってよい。一般論としては、明治40年代には「言文一致体」が完成して、その後の日本語の表記は、それに従って行われているとされている。しかし柄谷氏は、「言文一致体という、新たな文体が創出されたのであって、言と文が一致したのではない」と言われる。欧米の書き言葉も、決して話し言葉をそのまま文字に定着したものではなく、「書く」という意識のもとに書かれたものであることには、我が国の文章と変わりはないと言われる。
加えて氏は、西欧の言語はギリシア以来、発音が文字に優先していて、文字は言語の音を記号化したものに過ぎないと考えられて来た。そのために文字の機能は、音声言語を保障するものと位置付けられていると言われる。日本語とその表記を欧米の考え方で理解しようとすれば、必ず破綻すると言われる。
さて点字に関して言えば、現在も「言文一致」以前の情況が続いている。拙稿では、欧米の点字が、言語学上の検討を経た後に、現在使用されているものが成立したことを明かしたいと考えるものである。というのは我が国の従来の点字は、極めて心許ない情況に置かれているからである。2009年現在でも、カナ文字だけの表記に甘んじて、日本語の表記の基本である漢字仮名交じり法を、触読文字に実現しようという動きは、公式には全くない。唯一漢点字の運動だけが、その非力にも関わらず、継続しているのである。
2. ドイツ語点字 (2)
* 本稿では、ドイツ語の点字表記をご紹介するのだが、ドイツ語の表記について、2つの約束事を決めておきたい。1つは、"a・o・u"のウムラウトである。通常タイプライターではeを後置して表すので、ここでもそれに倣う。従って"ae・aeu・oe・ue" という表記になる。またドイツ語では"sz"を1文字で表すが、通常タイプライターでは"B"を代用して当てる。しかし本稿では本来の"B"との混同を避けるために、"β"を使用する。
B音節略字
ドイツ語点字でも英語点字と同様に、拡張アルファベットの次に、1マスで表される音節略字がある。
ach(〜 s
e d
) al
(
pc b
d 〜) an
(
f
g b
k 〜) ar
(
t w
t 〜) be
(
tt he
t 〜) ck
(〜 ku
u
le
) eh
(〜 m
l 〜) ein
(
w
d Rh
l
d w
) el'y'(yfe wyt juwy) em
(
s fr
d at
) en'c'(cde scse trcnc) er
(
bc g
n l
r
) es
(
pc w
c
n
) ge
(
bot
bc waa
) ich
(〜 l
t
r
) ig
(〜 f
ur l
pz
) in
(
dic w
d h
) lich
(〜 pf
t h
f
) ll'q'(〜
oqe nuq) mm'x'(〜 Saxyn lax) or
(
dnc d
t 〜) te
(〜
n
t wet
) un
(
ruhe m
d katt
)
以上の23個が音節略字である。ただし"eh"は長母音、"ck
、ll'q'、mm'x'"は重子音であるので音節略字とは言えないが、ここではその中に含めて数える。
◇英語点字との相違
ドイツ語の単語は、多くが「語頭・語幹・語尾」の3つの部分に分けられる。そのために英語に比較して、音節略字を多数必要とした。またそのために点字符号の分類が、英語点字とは別様になった。
a.英語点字では、"lower 4 dots sign"「」は、優先的に句読符号に当てられ、また"right side 3 dots sign"「
」は、主に2マス略字を指示する符号であった。「
」のパターン・九個の点の組み合わせの符号で1つの単語を表し、単語の要素となった場合は、"
(sometimes)
(everyday)
(Germany)"のように、1点分の幅のスペースが前置される形になる。1マス略字は、原則として単語のどの位置にも使用できる。"ing
、ble
"の2つだけは、語頭に置くことができない。これは例外的処置である。
ドイツ語点字では、「」と「
」の点字符号も、音節略字として使用される。そのために句読符号やその他の符号との混同を避ける目的で、精緻な約束事が定められている。(ここでは、最小限のご紹介に留める。)
この音節略字の使用に当たっては、事例の単語のように、「語頭音、語中音、語尾音」全てに使用できる訳ではない。"low sign"「」は語頭音、あるいは語尾音のどちらか、または両方ともに使用できないし、"right sign"「
」と「q、x、
」は、語頭音には使用できない。
b.アルファベットの"c・q・x・y"の4文字は、ドイツ語の表記に使用される頻度が少ないという理由で、音節略字として使用されることになった。
英語点字では、アルファベット1文字を、1つの単語を表す符号として使用するが、ドイツ語では、さらに音節符号としても使用することに踏み切っている。
頻度は少ないとは言っても、本来のアルファベットとして使用することもある。そんなときはどうするか?そんな場合は点字の常套ではあるが、符号を前置して表す。"Aufhebungspunkt"(返還符号)「」(6の点)を"c・q・x・y"の四つの文字に前置すると、略字ではなく、本来の文字であることを示すのである。
C
bon(Carbon) A
quam
(Aquamarin) Te
xt(Text) S
y
(system)
c.英語点字では、"and、for
、of
、the
、with
、in
"の六文字が、音節文字として、また単独の単語として使用された。
同様にドイツ語でも、"an・ein
・er
・es
・ich
・in
"の六文字は、音節文字として、また単語として使用される。
d.英語点字にはなかったことだが、ドイツ語の単語は、「語頭、語幹、語尾」に分けられることが特徴である。そしてそれぞれの綴りには、決まった形式がある。例えば、"β"("sz")は、必ず語幹か語末にあって、しかも母音を背負っている。その条件に合わないところでは、"β"は現れない。従って"β"を表す点字符号「」は、"β"の現れる条件でないところでは、別の綴りを表す略字として用いることができるのである。このような考え方を他の文字や点字符号にも拡大して、その機能を複合化した。
以後ご紹介する略字は、以上の考え方に基づいて定められている。
C前綴り略字
ドイツ語では、単語の語頭部の綴りを「前綴り」、語幹部を「中綴り」、語尾部を「後綴り」と呼ぶ。これまでにご紹介した略字は、ドイツ語の文章・単語全般に適用されるが、ここでは前綴りのみに適用されるものをご紹介する。
aus=
ruhe(ausruhe) ent=
f
nc(entfernen) ex='x' xamc(examen) pro='q' qbl
(problem) ver=
b
d(verband)
この5個の点字符号と文字が、「前綴り略字」である。これらは全て、既に使用されている点字符号である。1つの点字符号の機能の多重化が、ここに見られる。
"aus"を表す点字符号「」は、"Vollschrift"(総綴り字法)の重母音"aeu"を表す点字符号である。"ent"を表す点字符号「
」は、"β"("sz")を表す点字符号である。"ex"を表す"x"は、文字"x"であり、音節略字として、"mm"を表す文字である。"pro"を表す"q"は、文字"q"であり、音節略字として"ll"を表す文字である。"ver"を表す点字符号「
」は、ドイツ語点字の「ハイフン」を表す点字符号である。
以上のように、これらの点字符号と文字は、従来の意味で語頭に来ることはない。従ってこれらが語頭にあれば、必ず「前綴り略字」として読むことができるのである。
("Leitfaden der Blindenvollschrift" und "Kurzschrift" 1973 Blindenstudienanstalt Marburg Lahn)
(続く)
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