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漢点字の散歩(38)
                    
岡田 健嗣

          万葉集初体験 (3)

      日本語のリズムとそのバイアス

 左は『萬葉集』巻き一、四五番の柿本人麻呂作の長歌です。いつものように、下にその読みを記します。読者諸兄姉におかれましては、多少読み難いかとは存じますが、音読を試みていただけますよう、お願い申し上げます。

 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて
 (やすみししわがおほきみ*Bたかてらす ひのみこ かむながら かむさびせすと ふとしかす みやこをおきて こもりくの はつせのやまは まきたつ あらきやまぢを いはがね さへきおしなべ さかとりの あさこえまして たまかぎる ゆふさりくれば みゆきふる あきのおほのに はたすすき しのをおしなべ くさまくら たびやどりせす いにしへおもひて)

 ここでは、この歌の鑑賞について述べようというのではありません。またこの歌を選んだ理由も、まずは人麻呂の作であって、歌番号がごく若い歌であることのみです。前後には人麻呂の歌は何首もありますので、それらの中から選出しても、全く異存ありません。ここで試みたいのは、誠に単純なこと、「人麻呂の長歌を音読」してみようということなのです。
 私ども視覚障害者がこのような歌に触れるとき、果たしてどういう状態であるか、まずお話ししなければなりません。この歌に読みを添えましたのは、勿論これを助けに読んでいただきたいという意図があってのことです。しかしそれに加えて、従来の点字でこれを読むとしますと、カナ文字の表記だけで表されたものを読まざるを得ないということを味わっていただきたかったと思ってのことです。ぜひ試しにカナ文字だけの部分をお読み下さい。その従来のカナ点字の文では、ここではお示しできませんが、さらにいわゆる分かち書きという、一定のルールに従った特別の表記法が採用されます。「カナ文字だけでも分かち書きするだけで、文の理解が充分できるようになる」という考えのもとに採用された方法と言われます。とはいえこのような表記法は、触読文字の文章を、一般の文字の表記法からさらに離れた表記としてしまいました。点字の使用者の、「読むこと」から何かを得ようとする興味を、削ぐ方向に働くものだったと、私は考えております。
 私は漢点字を習得した後、本会を立ち上げて漢点字の書物を作る活動を始めました。こうして会員の皆様のお力をお借りすることができるようになって、一つの試みに挑戦してみました。10年余り以前のことでした。それは、放送大学の国文系の講座を受講するものでした。会員の皆様は快く、印刷教材を漢点字訳して下さり、この試みの一歩を無事踏み出すことができました。これは、私自身の力と漢点字の力を、この国文学の勉強で試してみたいという気持ちがさせたことでした。
 目論見は見事に当たって、漢点字を使用することができる以前には思いもよらぬほどに、講義の内容を理解することができました。それも当然で、それまでは現代文であれ古典であれ、漢字仮名交じり文をカナの分かち書きにして読んで「勉強」していたのですから、読んで理解せよという方が無理というもので、今思えば、理解できなくて当然というものです。それに反して今回は、漢字仮名交じり文をそのまま触読文字にしてテキストを読むことができたのですから、理解できなければいけません。予想していた通りとは申しても、大変うれしい思いであったことを覚えております。
 盲学校では、従来の点字の教科書で理解できなければ、そのまま劣等生の評価が下されます。カナ点字だけの文章でも、国文学を理解し味わうことができるというのが、盲学校の評価の基準だったからでした。その盲学校の評価は、ついこの前の私にまで、何十年という間に渡って、重い軛となっていたのでした。この試みに至るまで、私は古典に対して苦手意識のトラウマに囚われ、読みと理解に関して、強いコンプレックスに苛まれていました。その重石がこの放送大学の受講を機に、フッと肩から外れたのでした。それは大変心地よいものでした。
 もう一つ、視覚障害者にとっての読書の手段として普及しているのが、音訳された書物を聴読する方法です。これは音訳者が書物を読み上げて、生で、あるいはそれを録音して、読者が耳で聴くというものです。現在ではこのような方法も、「読む」と呼ばれています。
 しかしよく見極めなければいけないのは、音声は文字ではないということです。本来「読む」という行為は、文字を目で見て、それが情報として脳に送られ、そこで何らかの分析が行われた後に理解されるものと考えられます。その間、一度ならず幾度も目の前の文字を見直すことも珍しくありません。その場合、目は、決して受動的に働いているのではなく、一旦達した理解を再度その文字の上に転写し、さらに受容するという、極めて積極的に、能動的に働きかけていると考えられます。そのような行為を、「読みのフィードバック」と呼んでもよいのではないか、そう私は考えています。
 このようなフィードバックは、一般の文字にばかりに行われるものでないことは、先に述べました。視覚障害者は文字を読むに当たって、視覚を頼ることができません。そこで触覚という知覚器官にその機能を求めますが、従来の日本語の点字は、カナの体系、しかもひらがなとカタカナの区別のない体系であることから、極めて不十分な文字と言わなければなりません。そこで故・川上泰一先生の考案になる漢点字を使用してみますと、ほぼ一般の文字に求められている機能に相当する機能を充分果たし得ることが証明されました。「読みのフィードバック」に、充分耐え得る文字の体系であることは、現在まで行ってきた全ての漢点字の活動が、証明してきました。
 ただ惜しむらくは、視覚が果たし得る機能と触覚の果たし得る機能には、大きな相違があります。触覚に視覚の全ての機能の代替を求めることはできないのです。「読む」という行為は視覚のもので、それを触覚に代替させようとしますと、どうしても果たし得ないところが現れてまいります。その最も大きなものは、速度です。視読では、黙読しますと、薄い文庫本は数時間で読み終えると言われます。漢点字書の触読では、同じ規模の書物を触読するのに、数日かかってしまいます。音読を比較してみればさらにその相違が明らかになります。視読では、音読は余裕を持って行われるのが普通ですが、漢点字書の触読では、ほとんど不可能です。つかえつかえしながら読むしかありません。欧米の点字では、触読の便をはかるために、点字の開発当初から「略字」と呼ばれる、アルファベットの綴りをグループ分けして一つの点字符号にして表す文字が考案されています。その略字体(グレードU)で表された書物の規模は、アルファベットのフルスペリングで表されている文書と比較しますと、30パーセントも小さいものになります。また、綴りをグループ分けして点字符号一つにまとめることで、発音への変換が極めて容易になっているのが特徴です。これによって音読の速度が、私どものように母国語でない者にも、つかえずに声に出せる程度にまでに早めることに成功しています。
 しかしこのことは欧米の言語に言えることで、日本語に当てはめることはできません。残念ながら漢点字仮名交じりの文書は、音読の速度を速めながら、しかも内容の読み取れる触読文字とはなり得ませんでした。速度を早めることは、どうしても断念せざるを得ませんでした。欧米の点字は音声記号であるアルファベットをさらに開発することでそれを実現しましたが、日本語の点字である漢点字仮名交じり文は、意味を表す文字を点字符号化したものですので、欧米の点字のような略字の体系を実現するとすれば、恐らく速記法の開発を試みるほかないでしょう。そうであるならば、漢字仮名交じり文を点字に実現しようという、川上先生の掲げられた目標から、さらに遠離ることになるに違いありません。従って漢点字仮名交じり文では、その意味・内容を読み取ること以上を求めないとしなければならないと、私は考えます。
 その二つ目は体力です。触覚は直ぐに疲労してしまいます。通常視読されているものと同量の資料を触読で読了することを求められると、その達成は極めて至難です。たとい漢点字の資料が揃っていたとしても、それを全て読みこなすことは、容易ではありません。一般に「読む」ということは、質と量とが求められます。両者ともに果たし得なければ、読んだとは認められません。たとえば普通の大学生が卒業論文を書くに当たって、100冊の本を読まなければならないとしますと、視覚障害者の学生にもそれが求められて、達成しなければなりません。果たして可能でしょうか?一般に求められているものを視覚障害者にも同様に求めるのは当然ではありますし、それを果たすべく努力するのも当然と考えます。しかしそれならば、触読の可能性と困難さについて、もっと検討されてしかるべきと私には思われてなりません。
 昭和30年代後半から、わが国では磁気テープを利用した音源を使った、録音図図書の製作が始まりました。それに先だって欧米では「ムーン」と呼ばれる音源を使用して、音訳書の製作が進められていました。ムーンとは、1960年代に安価なアナログの音源として普及していた、ソノシートと呼ばれるレコード盤の呼称です。音訳書を聴読するための音源ですので、音の質は問われません。むしろ一枚の盤に如何に多量に録音できるかが求められて、一般のレコード盤より少ない回転数で録音されていたことを覚えています。わが国ではソノシートの時期を経ぬママ、磁気テープから音訳書の時代が始まりました。
 現在ではアナログの磁気テープも既に使用されなくなりつつあります。今日、メディアとしてはデジタルのCDが使用されておりますが、これとて既に一般では使用されなくなりつつありますので、遠い将来でない時期には、次のメディアが模索されることになりそうです。
 音訳書の聴読の大きな特徴は、先にも述べましたように、文字を介さない読書だということです。文字の仲介なしの読書(?)、これを読書と呼ぶなら、読書という概念が大幅に変わらなければならないはずですが、残念ながらこの点も、ほとんど検討されずに済まされております。そこで既に以前にも試みたことですが、読者の立場から、音訳書の特徴と、あるべき姿、あるいは音訳書に何が求められているかを、考えてみたいと思います。
 視覚障害者が音訳書を聴読するということは、触読文字を触読することでは果たし得ないこと、如何に大量の書物を、如何に短時間に通読できるかを実現するのに適した手段として採用された方法と言えます。先に「音訳書を聴読することを読書と呼べるか?」という問いを提示してみました。しかしより大量の資料を、より迅速に、より容易に読むという目的の下には、疑問ともされないまま過ごされてしまったのでした。
 点字を触読するという場合、これは目で文字を見て読むのと、さほど代わらないプロセスを踏みます。漢字仮名交じり文の点字を触読する場合のプロセスは、指先で触れて文字を追うと、触知された情報は求心性の知覚神経を通して脊髄から大脳へ達して、そこで文字としての認識、次いで文章の要素という認識と判断の後、一つの文章に結晶して理解されます。勿論そのプロセスには、視読と同様のフィードバックも行われて、積極的な、能動的な「読み」が実現されます。視読と異なるのは、触覚の情報量が極めて乏しく、そのために読みの速度が極めて緩慢なことです。また、触覚は大変疲労し易く、短時間に触知に耐えられなくなることです。
 音訳書を聴読して理解するというプロセスは、文字を視読あるいは触読するのとは異なった事態を予想させます。少し考えてみましょう。
 まずは文章の構築です。文字を読む場合は、その文字を読み取り、理解し、文字と文字とを接合し、最後に文章を組み立てます。しかし聴読では、既に音訳者がそのプロセスを代行して、音声化して下さっています。音訳者の脳で理解され、構築され、音声化された文章を耳で聴き、理解するのが聴読の主なプロセスと言えます。つまり聴読者の文章の構築への関与は、極めて小規模にしか許されないのです。
 フィードバックは全く行われないかと言えばそんなことはありません。しかし文字を相手にするときとは異なり、強力に意識を集中して、意識の力でフィードバックを実現しなければなりません。このことは、文字を客体とした読書にはないプロセスと言えます。本来の意味のフィードバックとは異なるのかもしれません。そしてかなり困難な道程ですし、かなり徒労を覚悟しなければならないプロセスとも言えそうです。
 しかし音訳書は、触読に比べて大量の情報をもたらしてくれますし、優秀な音訳者の音訳は、過不足のない情報と分析をもたらして下さいます。聴読者の側に、文字の知識と大量の情報の蓄積があれば、漢点字書の触読だけでは叶わない、量的な読書を担ってくれるに違いありません。
 さて冒頭の人麻呂の長歌について考えてみます。
 私は盲学校で学んで社会へ出ましたが、ずっと古典には苦手意識を抱き続けていました。その理由は、カナ点字のみの従来の点字では読み取れませんでしたこと、音訳書でも、この長歌のような歌は、全く理解の外だったことにあります。
 ところが放送大学の古典文学の講座を受講しますと、ひどく驚かされたことがございました。勿論テキストは漢点字で読めるように会員の皆様が計らって下さいました。大学の講義も、放送を録音して、何度か聴講しました。
 放送教材では教授の講義とアシスタントの朗読で進められます。この講座のアシスタントを務めておられたのが、もとNHKのアナウンサーであった加賀美幸子さんでした。そこで万葉集のある長歌が朗読されたのですが、それまで私が聴いていたものとは全く違った朗読だったことに身体が動かなくなりました。文字の読みが違うとか、アクセントが違うとかいうのではありません。
 加賀美さんの朗読は、実にシンプルに、書かれている通りに読んでおられたのでした。そこで私は何に驚いたかと申しますと、長歌の音韻の構成が、「五・七、五・七、…五・七・七」であること、加賀美さんは、正しくその通りに読んでおられること、そしてその長歌の内容が、万葉の言葉でありながら、水が流れるように、私の耳から身体へと、そのまま流れ込んでくるように感じられたことでした。その朗読が、そのまま私の中に染み入ってきたのでした。実に不思議な感覚を味わいました。
 そういう体験の後、音訳書の中から古典を選び出して、長歌の音訳を聴くようにしました。そこでおや!とおもわされました。加賀美さんの朗読とはどこか違う、そうだ、リズムが逆だ、ほとんどの音訳者が、「五、七・五、七・五、…七・五、七・七」のリズムで読んでいたのでした。
 その後私は、盲学校在学中から現在に至るまで、このようなリズムに関して、誰か何か言っていなかったか、思い出そうとしてみましたが、残念ながら思い当たりませんでした。この時点ではっきりしたことは、私は古典が苦手なのではなく、難しくて分からないのでもなく、正しく教えてもらえなかったのだということに気づかされたということでした。その後は全て、私の納得の行くような理解に至まで、常に白紙に戻ることを繰り返すことを厭わないことにして、事に当たることにしようと考えるようにしました。このリズムがどこからきて、現在どのように存続しているのか、これは私にとって興味の失せない課題と言っても過言ではありません。
 最後にもう一首、八〇三番、山上憶良の「嘉摩三部作」の第三群をご紹介して、拙稿の結びとさせていただきます。この歌は、憶良が「情苦・愛苦・老苦」の最後の「老苦」を歌ったものと言われます。ご精読下さい。

 世の中の すべなきものは 年月は 流るるごとし とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る 娘子らが 娘子さびすと 韓玉を 手本に巻かし よち子らと 手たづさはりて 遊びけむ 時の盛りを 留みかね 過しやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ 紅の 面の上に いづくゆか 皺が来りし ますらをの 男さびすと 剣大刀 腰に取り佩き さつ弓を 手握り持ちて 赤駒に 倭文鞍うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし 世の中や 常にありける 娘子らが さ寝す板戸を 押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖 腰にたがねて か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ 老よし男は かくのみならし たまきはる 命惜しけど 為むすべもなし
 (よのなかの*Bすべなきものは としつきは ながるるごとし とりつつき おひくるものは ももくさに せめよりきたる をとめらが をとめさびすと からたまを たもとにまかし よちこらと てたづさはりて あそびけむ ときのさかりを とどみかね すぐしやりつれ みなのわた かぐろきかみに いつのまか しものふりけむ くれなゐの おもてのうへに いづくゆか しわがきたりし ますらをの をとこさびすと つるぎたち こしにとりはき さつゆみを たにぎりもちて あかごまに しつくらうちおき はひのりて あそびあるきし よのなかや つねにありける をとめらが さなすいたとを おしひらき いたどりよりて またまでの たまでさしかへ さねしよの いくだもあらねば たつかづゑ こしにたがねて かゆけば ひとにいとはえ かくゆけば ひとににくまえ およしをは かくのみならし たまきはる いのちをしけど せむすべなし)
                    (以下次号)
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