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漢点字の散歩(59)
                    
岡田 健嗣

      カナ文字は仮名文字(10)

 『台湾万葉集』という歌集が編まれて、我が国に紹介されてから30年を超える年月が経ちました。日清戦争によって我が国の植民地となった台湾に生まれて、強いられた日本語教育のもとに植民地教育を受けて成人となり、第2次世界大戦の終戦を迎え、大陸の国民党軍の敗北の結果として、島に渡ってきた国民党の支配を受けることとなった台湾の人々の心の歌として、植民言語である日本語で、日本の歌謡である「和歌」(短歌)を詠もうという方々が、これほど数多くおられたということは、驚きのほかありません。恐らくここに歌を寄せられておられる方々も、決して日本語を手放しで受け入れておられるのではないであろうことは、想像に難くありません。にもかかわらず、このように「和歌」の形式で心の内奥を詠われるということを思いますと、言葉というものの中に、不可思議な力が蔵されていると思わざるを得ません。
 現在では、外国人の方々が日本語で文学作品を著すということは決して珍しくなくなってきて、何人もの方々が文学賞を受賞されておられます。このことは、日本語が国際化してきたと、これまた手放しで喜べることとも言い切れないことではないか、私にはそう思われます。単に日本語の上手な外国人の方が増えてきたというのとは少し違う、確かに外国語の訛りのない日本語を話される外国人の方が増えてきて、相撲の解説などで、何方の解説かお名前を聞かない内は、外国人の方だということに気づかないということもあります。勿論このような変化が、世界的に日本語の裾野を広げているのかもしれませんが、しかし「和歌」を作ったり、日本語で文学作品を著したりということは、私の知る限りの日本人が外国で暮らすというのとは少し違うのかなと思われます。しかしながら現在では、外国に住んで、外国語で作品を著しておられる日本人の方も、決して少なくないということを、思い起こしております。恐らく外国人の方々が、日本語に向き合って、日本語でものを書くということと、日本人が外国に住んで、その場所の言語でものを書くということの中には、共通する困難さや克服すべきプロセスがあるのかもしれませんが、日本人である私が、外国人の方が書かれた日本語の、それも文学作品を読んで、日本語の作品として鑑賞できるということは、とても新鮮であり、不思議な感興を催させられます。
 しかし一般論として、日本語は外国人にとって難しい言語だということが言われました。が、どうもそうではないのかもしれない、そんな風にさえ思われて参ります。
 しかしここではっきりしていることは、日本語で「和歌」を詠み、日本語で文学作品を著すということは、それを試みられる皆様は、取りも直さず日本語の表記法を我が物にしておられるということに他なりませんし、日本人一般よりは遙かに、日本語の達人と言わなければならないほどの使い手であることは申すまでもありません。日本語の表記法と言えば、「漢字仮名交じり」という方法です。
 確かにこれまでも、日本語を流暢に操られる外国人の方々は、どこかで漢字をマスターし、かな文字とともに「漢字仮名交じり」文を読み書きしておられましたし、そのような方が、「漢字は確かに取っ付き難い文字ではあるが、理解してしまえば大変分かり易い文字だし、日本語も漢字さえ分かれば、決して難しい言語ではない」ということを書いておられたことを覚えております。つまり外国人の方が日本語を習得される場合、まずは話し言葉を習得し、その次に文章言語を習得するという2段階のプロセスを踏まなければいけないということなのでしょう。そして文章言語を我が物にできれば、ほぼネイティヴ・ジャパニーズと遜色のない日本語の使い手となり得るということなのです。

 そういう中、ネイティヴ・ジャパニーズであるわが国の視覚障害者が、なぜ「漢字」の世界に触れられないのか、その辺りを考えたいと思い、本稿に筆を染めました。
 約50年以前に、故・川上泰一先生によって、点字の漢字体系である「漢点字」が世に問われました。私はそれを習得して初めて漢字の世界を知ったのですが、50年経っても、この「漢点字」の普及は見られません。
 なぜに普及しないのか、そう考えながら視覚障害者の内に耳を傾けておりますと、「日本語の表記をなぜかな文字だけでできるようにしてくれなかったのだろうか?」という声が聞こえてきました。しかもこういうことを言われる人が、大変多いのに驚かされたことがありました。また思い返せば、私の出身の盲学校では、晴眼者の先生方から、「漢字を覚えておかないと、社会に出てから大変だぞ」などという言葉を何度も聞かされていましたが、後になって確かにそれは真実だということを身をもって知ることになりました。それとともに、そういう言葉をかけて下さった先生方も、私どもに、1度も漢字の教育を施そうとされなかったことも思い起こされましたし、その先生方と一緒に教壇に立っておられた視覚障害者の先生が、漢字の勉強をしておられるということもなかったということも思い起こしたのでした。
 情況は私が盲学校に在学していたころと、どうやら変化していないようです。勉強しなくて済むなら苦労して勉強したくない、というのがどうやら盲学校、そして視覚障害者の福祉に関わっている施設と職員を覆っている「空気」だと言ってよいように思われております。

 日本語の表記がなぜ「漢字仮名交じり」の形に定まったのか、『万葉集』を読みながら考えて参りました。どうしてもかな文字だけの表記にはならず、「漢字仮名交じり」にならざるを得なかったには、何か理由があるはずです。
 このように考えている内に、幾つかの私の勘違いに気づかされたのでした。今から思えばこれは勘違いというしかないもので、このバイアスの強さから、中々理解が進みませんでした。
 第1の勘違いは、わが国の言語を表記する文字は、「かなもじ」から始まったものではないということです。視覚障害者の中の声である「なぜかな文字だけで表記するようにしてくれなかったのか?」というものは、言い換えれば、「かな文字があるのだから、漢字を使わずに表記できるはずだ!」という考えがあります。つまり漢字よりかな文字の方が先にあるのだから……というものです。
 しかし常識的に言って、これは全く誤りです。
 かな文字は「仮名文字」と書かれます。またそれには「ひらがな」と「カタカナ」の2種があります。現行の日本語の表記は、この「ひらがな」と「カタカナ」、そして「漢字」を組み合わせて表記されますし、それぞれに役割を分担しております。
 第2の勘違いは、『万葉集』は日本語で書かれている書物だということです。これも大きな誤りでした。
 これを言うなら、『万葉集』は、日本語の表記の始めの書物である、となります。また当時ほぼ完成していた漢字の「訓読」も、日本語の表記のために考案されたものではありません。あくまで「漢文」を如何に読み下すか、というために編み出された方法だということです。
 『万葉集』も、決して日本語で書かれた書物ではありません。歌の部分以外、題詞や左注は、漢文で書かれております。日本語の表記の試みは、歌謡に始まったということができましょうが、しかしその表記も、「日本語の表記」ではなく、「漢文の読み下し」を日本語の表記に応用したというのが適当な表現ではないかと思われます。
 時系列で申せばまず、「略体表記」と呼ばれる助詞・助動詞・送り仮名を抜いた、訓読される漢字を並べたもの、漢文によく似た形式ではありますが、語の並びが日本語のものになっております。次に「常体表記」と呼ばれる、「略体表記」の漢字の間に助詞・助動詞・送り仮名を音仮名・訓仮名で挿入したもの。最後に音仮名だけの総仮名で書かれたものの順で、「和歌」が表されます。
 そして日本語の表記は、平安時代に入って、仮名文字の表記の隆盛を迎えます。いわゆる王朝女流文学です。当時の作品は仮名文字だけで表されていたと言われますが、現在私どもが読んでいる王朝文学は、仮名文字だけで書かれてはおりません。しかも仮名文字も、現在ではひらがな・カタカナの形が定まっていますが、当時の仮名文字は、多様な書体が乱立していて、1つの音を表すのに、幾つもの仮名文字が当てられていたと言われます。
 そのように表記された文章を、より読み易くする努力がなされて、現在に残る王朝文学が存在してきたというのが真実のようです。印刷技術のないころから書写が繰り返されてきて、その都度表記が改められて、現在読んでいる「漢字仮名交じり」の文学が成立してきたというのが真実のようです。そこには、この仮名文学の流れである「和文脈」と、中国から渡ってきた漢文を読み下した「漢文脈」の流れがあって、「和文脈」は、いつでも「漢文脈」から創意を借りながら、表現の工夫をしてきたと言うことができます。そして明治に入って、欧文脈の流入とともに、日本語の表記法の大改革が行われて、いわゆる「言文一致体」と呼ばれる文体が成立して、現在に至っています。
 このようにして日本語の表記が「漢字仮名交じり」の形を取っているのですが、従って視覚障害者の、またその周辺の人々の言うような、「かなもじだけの表記」は、その実現の余地はなかったということになるのではないでしょうか。このことを、視覚障害者がわが国の文化を享受しようとするならば、真剣に問い直す必要があるのではないかと、私は思っております。
 私は漢点字を使用して漢字の世界を知ることができました。このことによって、手応えのある人生を歩ませていただいたと思っております。そのことを他の視覚障害者の皆様にお伝えできたらと思っております。
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