「うか」057  トップページへ

  点字から識字までの距離(53)

        
みどり学級へのサービス(2)
             
K君のこと

                              
山内 薫(墨田区立緑図書館)

 K君が椅子に座ってお話しや紙芝居を聞けるようになったのは、夏休み明けの九月に訪問してからだった。この時には担任のT先生がK君の後ろにいて絵本について説明したり、歌の時には彼の肩に手を置いて一緒に唄ったりと付きっきりだったおかげで、ずっと椅子に座っていた。この日は「月」がテーマで「出た出た月が」を歌ったり、絵本の『つきよのかいじゅう』(長新太作、佼成出版社)を読んだが、この時以降、この本が彼のお気に入りの絵本の一冊となった。

ヘビでSを作る
ヘビで数字を作る

 翌十月には『ヘビのクリクター』(トミー・アンゲラー作、文化出版局)というヘビの絵本を読んだ。主人公のクリクターというヘビが学校へ行き、自らの長い身体を使ってアルファベットや数字の形になる場面が数ページ出てくる。丁度、巳年のお正月、図書館で行っている小さい子どものためのお話会で使った、布製のヘビ(全長7メートル程)があったので持って行き、この長い蛇を使ってみどり学級の子どもたちに数字やアルファベットを作ってもらった。この時にはみんな結構その遊びに乗って、教室中を走り回っていたが、K君は今一つ乗ってくれず、補助教員の人と手を繋いで見ているだけだった。
 みどり学級でのお話会はこの10月で5回目を迎えたが、この時に初めてお話しの後に簡単な工作を行った。図書館では毎月1回第2水曜日の午後3時から子どもを対象とした工作会という催しを行っている。この工作会ではお正月にはその歳の干支をワインのコルクで作ったり、12月には松ぼっくりでクリスマスツリーを作ったり、消しゴムスタンプや貝のペンダント作り、ろうそく作り、ハンカチ染め等々、様々な工作を行っている。この工作会には多い時で百人以上の参加があるので、材料を余分に用意している。その材料をみどり学級に持って行って、時々お話会の後に工作をやるようになった。この日は黄色い紙で蝶の形を切り抜く工作を行ったが、K君は先生に手伝ってもらってやっとはさみが使えるという状況だった。
 11月に訪問したときにはお話会の後、学芸会でやるというバンブーダンスをみどり学級全員で披露してくれた。この時にはK君もみんなと一緒に2本の竹の間で踊るバンブーダンスができるようになり、やっとクラスに馴染んできたという印象を持った。
 丁度この頃、みどり学級の子供たちがいろいろな質問に答えてくれたことがあった。「好きな食べ物は何ですか?」と質問したとき、K君が即座に答えたのは「ナムル」だった。「えっ!ナムル」と思わず聞き返してしまった。何でナムルなのかと聞くと、補助の先生が「彼の家はお好み焼き屋さんなの」と助け船を出してくれた。そこで担当職員で1度彼のお好み焼き屋さんに行こうということになった。

「いかつりぶね」を読むK君
みどり学級で見たビーズの暖簾

 翌年の6月、図書館の特別整理(昔は曝書といって本が実際にあるかどうかを点検する期間で、大掃除や大規模な本棚の移動などもこの期間に行うことが多い)があり、最終日の打ち上げを彼の家のお好み焼き屋さんでやることになった。当日お店に行くと彼も居り、宴会が始まると私の座っている席の隣に来て私のカバンの中から本の入っている紙袋を取りだした。その中にあった丁度発売されたばかりの福音館書店発行の月刊絵本「かがくのとも」の新刊『いかつりぶね』(田内英理子・文 堀越千秋・絵)を取り出すと彼はページを開いて読み始めた。この本は絵本なので見開きの絵の中に四行程の文章がすべて仮名で書かれている。その文字を左手の人差し指でなぞりながら彼は文章を読んでいった。K君は、ゆっくりでもたどたどしくもなく、普通に文字を目で追って文章を読むように声に出して読むことができるのだった。以前もイミダスの一項目を指で文字をなぞりながら読んでいたのを目にしたが、目で文字を追うことが困難だけれども指で文字をなぞりながらだと読めるというのはディスレクシアの人に見られる特徴の一つである。だからといって彼が学習障害の1つであるディスレクシアであるかどうかを問題とするよりも、図書館が資料を提供する際どうすれば彼にとって読みやすくなるか、そのためにはどのような資料が求められているかを知ることが必要なのだろう。当時みどり学級には6人の子どもたちが籍を置いていたが、新しく1年生になったN君は入学当初にはK君の時よりもっと手がかかり、教室内を走ったり、教室の隣の畳の部屋で1人違うことをしていた。それでも7月になってようやく席について話を聞けるようになったが、彼は言葉によるコミュニケーションが困難なので、2人の担任と1人の補助教員の内必ず誰か1人がN君に付いていなくてはならず、それだけK君に目がいく機会が減ってしまっていた。指で文字を指しながら本を読む彼の姿を見て、マンツーマンでしっかり彼と取り組める教師がいたならば彼の学習能力は飛躍的に伸びるのではないかと考えてしまった。
 さて、彼の家は四階建てのビルで、1・2階がお好み焼き屋さん、3・4階が彼の家になっていて、宴会の途中自分の家を案内してくれた。特に押し入れには模型の自動車と一緒にビーズをつなぎ合わせて作る暖簾のキットが沢山入っており、それを得意げに見せてくれた。箱の入っているいくつものキットを見せてもらい、このビーズの暖簾はお母さんの趣味なのかと思った。(彼はお母さんと2人暮らしで、お母さんがお好み焼き屋さんを切り盛りし、おばさんが手伝いに来ていた)このビーズの暖簾の秘密が解けたのは今年の3月になってからだった。3月のみどり学級のお話会の後何気なく戸棚を見ると、ビーズの暖簾が目に入った。それはハローキティーの暖簾だったが、補助教員の説明によると、以前手先の訓練と落ち着いて一つの仕事に取り組む訓練をかねてビーズの暖簾をみどり学級でやっていたとのことだった。あの押し入れの中のたくさんの暖簾のキットは、学校からのすすめでお母さんがK君のために購入したが、手をつけられないまま眠っていたものだった。

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