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点字から識字までの距離(102) 野馬追文庫(南相馬への支援)(20) 山 内 薫 |
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Yさんからの寄稿 今回と次回はKさんからの提案で、この野馬追文庫の本の選定をして下さっている地元福島のYさんとSさんに、震災、そして原発事故から今までのことを振り返って、それぞれ思いの丈を書いて頂こうということになった。今回は本宮市しらさわ夢図書館に勤務しておられるYさんから寄せられた原稿を掲載する。 「ここで生きていくということ」 本宮市しらさわ夢図書館 Y 先日、久しぶりに大きな地震が福島県にありました。早朝で、まだ息子と布団の中にいた時でした。震源地は福島県沖、東日本大震災の余震とのことでした。もうあれから六年になろうとしているのに、まだ余震かと思いましたが、大きくて長い(時間)の地震が来ると否が応でもあの時を思い出してしまいます。でも、あの時と違うことがひとつあり、私の隣に息子がいるということです。 あの大地震のときは、職場にいました。結婚して間もない主人とメールで無事を確認しながら、しかし職務上職場を離れることはできずに自分の家族や相手の家族の安否を心配していたことを思い出します。ひとしきり、そうした心配が払拭された2日後にあの原発事故が発生しました。私たちは職場のテレビであの映像をリアルタイムで目にしたのですが、いったい何が起こったか一瞬理解ができませんでした。そして、その後のことは今思い出しても鳥肌の立つ思いです。これからの私の人生にあんなに大きなことが起こることはないと信じたいですが、あの時ほど生命の危険を身近に感じたことはなく、人の命や人生はほんとうに儚いものだとあのときはつくづく感じました。 あのときから、早6年の歳月が経とうとするなんてほんとうに信じられません。6年といえば、小学生が入学し卒業していく期間ですが、私の気持ちはまだあのときに留まっていて、表面上は平静を保っていても何かあるとその感情が蒸しかえってきて、とてもあの震災のことを「卒業」することはできません。しかしあの時と違うこともあります。あれから私たちには息子が生まれ、自分が母となったということです。普通なら子どもを授かったときには、無上の喜びを感じるのでしょう。私たちももちろんそうでした。しかし、一方ここで子どもを生み育てていくことへの不安もありました。あの震災後は福島を離れて遠くへ行く家族もいました。私たちの住む町でもそうであり、そういう状況下で子どもをどうやって育てていったらいいかと悩んだこともありました。でも、だからといって私たちにとっての子どもをあきらめるということはできませんでした。ここで生きていく上では心配なこともあるかもしれませんが、子どもにはそのことも含めてここで生まれ生きていって欲しいとも思いました。そのためには、親としてできるだけのことをしようと話し合ったことがつい最近のことのようです。 そうして、生まれた長男ももう四歳の誕生日を迎えました。毎日保育所へ行きながら、先生や友達と楽しく遊んでいるようです。保育所では少し無口のようですが、家に帰ると口から言葉が機関銃のように出てきます。時々「どうしてそんな言葉知っているのか?」と思うような大人顔負けのおしゃべりを聞いていると、おかしくなって笑ってしまいます。震災の影はまったくないように見えますが、そんな息子の通所のリュックには、線量計がついていて、放射線量を測定しています。年に数回取り替えていますが、その都度「影響がない」という通知をもらい、それを見るときまたあのことはまだ続いているのだとはっとするときがあります。いつまで、と区切りがないのがこの問題の深刻さかと思います。将来、子どもが大きくなったときに何かあったらどうしようかという不安はきっとこれからも同じ子どもを持つ福島の親たちにつきまとっていくのだろうと思います。 私の仕事は図書館員です。福島の小さな町で小さな図書館で子ども(赤ちゃん)から高齢者までいろいろな方が本を借りにいらっしゃいます。市街地から離れたところにあるので、車でしかおいでになれないのですが、熱心に通ってくださる方々に支えられています。また、保健施設での乳幼児健診の読み聞かせや、幼稚園・保育所・小学校での読書活動のために図書館から出張して行う仕事もたくさんあり、多くの子どもたちに出会う機会が日常的にあります。震災の前も後も子どもたちは元気です。基本的には変わりはないのではないかと感じます。 しかし、周りは異なってきています。震災直後は外で遊ぶことが制限されていました。本来であれば、遊びざかりの子どもたちが外で遊べないのです。ストレスがたまらないはずはなかったと思います。それで屋内の遊び場というものがあちこちにできました。私たちの町にもそうしたものができ、多くの子どもたちがそうした施設に親子で来ている姿を見かけます。私たちも何度かそういう施設を訪れ、子どもと遊びましたが何かが足りないのではないかと感じるようになりました。それは、「自由」だと思います。作られた施設は、きれいで衛生管理がなされています。でも、子どもはそんなふうにすべて作られたものを与えられるのではなく、自然の中で自由に遊ぶことのほうが本当は大切なのだと思います。私たちの幼いときは、遊具などはあまりなくても、田んぼや畑がまわりにたくさんあり、遊ぶものも自分なりに工夫して作った覚えがあります。道端の草をつんだり、虫や小動物を捕まえたりすることだけでも一種の遊びでした。しかし、そんな自分がしてきたあたりまえのことを子どもにさせようと思っても躊躇する自分がいます。それが今の現実です。 そんな中、せめて私ができることは、子どもの心の自由だけは担保してあげることです。心の自由、すなわち自由な想像力を身につけてもらうことです。子どもたちに本を読んであげると、子どもは本の世界に入っていって主人公と一緒にハラハラドキドキしたり、泣いたり笑ったり、不安になったり喜んだりしています。本を読んだ後に「はぁー」という大きなため息をついて、「もう、終わり?」という子どもたちのキラキラした目を見ていると、彼らがこれから生きていく社会をより安全で安心な世界にすることが大人の重要な責任だなと思います。子どもにとって本の世界は虚構の世界ではなく、本当にある世界であり、彼らの未来の世界でもあります。そうして考えると、子どもに本を提供する私の仕事もとても責任が重いといえます。これから幾多の困難を乗り越えていく福島の子どもたちにどうやって本を好きになってもらうか、よりよい本を読んでもらうかということが、今の私の当面の課題になっています。 そんな四角四面に考えていた、ある日曜日、自宅で息子がお父さんに本を読んでもらおうとしていました。それは、私が借りてきたある絵本作家のエッセイでした。その作家の絵は絵本で知っていたので息子はきっと絵本だと思ったのでしょう。しかし、お父さんは「それは大人の本だから、絵本じゃないから」という理由で読むことを拒んでいました。すると息子は、「お父さんは、本を開いて字だけよめばいいんだよ。ぼくは絵を見て読むんだから。」と説得して、とうとうお父さんは根負けし、その本を読み始めました。私はそれを見ていて、「あぁ、そうか。」と妙に納得してしましました。大人の役割は、子どもが本を読めるようにサポートすればいいだけなのかもしれないと思ったのです。私は、これまで子どもの本は「読んであげるもの」「与えるもの」と思っていましたが、きっと子どもはある時期から自分の読みたい本を自分で選ぶことができるのだと思います。どんな本を彼らの心が欲しているかを見極めて、その本を読むことができるようにするだけで子どもは能動的に本を読むことができるようになるのかもしれません。もちろん、そうなるまでに環境整備も含めて、大人が関わる必要はあるかもしれませんが、彼らの読む自由(読んでもらう自由)を保障することが私たちの大切な役目なのかもしれないと気づかされました。 そんな毎日を私はここで過ごしています。私たちの生活はこれからも、ここで続いていきます。そして、私はここでこれからも、子どもたちに寄り添いながら、一緒に本の世界を楽しんでいきたいと思っています。 2016年12月28日 |
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