「うか」072   トップページへ

 
 点字から識字までの距離(68)

   『日本語が亡びるとき』を読む

                         
山内薫(墨田区立あずま図書館)


 水村美苗の『日本語が亡びるとき−英語の世紀の中で』(筑摩書房 2008)は、今、最も話題になっている本である。最近も文芸誌『ユリイカ』(2009年2月号)が、この本を巡って「日本語は亡びるのか?」という特集を組んでいる。
 この本は言語の三つの概念を中心に展開されている。まず「普遍語」は、遠い昔はギリシャ語、中世にはラテン語が果たしたように、文化や技術を伝達したり継承するために存在した言葉である。それに対して個々の地域で話される母語は「現地語」と呼ばれる。そして「普遍語」を学んだ二重言語者が、翻訳という行為を通じてその内容を「現地語」に移し替え、普遍語と同じレベルで機能するようになった「現地語」を「国語」と呼ぶ。筆者は日本語が「国語」として成立した条件として、「普遍語」としての漢文を漢文訓読法などによって翻訳することで「現地語」が成熟していたこと、印刷資本主義が発達していて識字率が高かったこと、もう一つ欠くことのできない条件として西洋列強の植民地にならなかったことの3点を挙げている。こうした条件が重なって日本は明治以降奇跡的に二葉亭四迷、鴎外、漱石などの日本近代文学という宝を手に入れることができた。
 しかし現在、インターネットの普及などによっての英語の世紀に入り、近い将来、文学ですら「普遍語」である英語で書かれるようになるのではないか?という危機感がこの本の提起する危惧である。
 実際、医学、物理学といった自然科学の世界では、どこの国の研究者であっても、論文は英語で書き、英語で読むのが当たり前になっている。ある県立病院の図書室に勤務している司書の話によれば、病院図書室に異動が決まったとき、ドイツ語ができないので医者への情報提供ができるのかと不安になったそうだが、実際に要求される論文等はすべて英語の論文で、今ではカルテさえも英語で書いているという。
 この本の中でポーランドのカレツキという経済学者の悲劇が紹介されている。カレツキは1933年に、ケインズの『一般理論』にある原理を先に発見したが、その論文はポーランド語で書かれたもので、その2年後にはフランス語にも翻訳したのだが、翌1936年、ケインズが『一般理論』を英語で出版し、経済学の流れを大きく変えることになった。これに対してカレツキは、ケインズに先駈けること3年前に自分はその理論を発表していたと、いわゆる「知的所有権」を主張したが、その論文もポーランド語で書いたために誰の目にもとまらなかったという。そして現在「普遍語」は英語という形を取り、地球全体を覆い尽くしている。そこで思い起こしたのは、昨年のチベット問題の時、ダライ・ラマがテレビのインタビューに英語で答えていたことだ。世界に自分の考えを発信するためには英語で発信するということがどれほど大きいことかと考えさせられた。
 さて、こうした状況の中で今後とも日本語が「国語」としての魅力を持ち続けるための方策として著者は、世界に向かって英語で発言力を持てる二重言語者のエリートを育てること、日本の国語教育は日本語が「国語」として成立した原点である近代日本文学を読み継がせることを主眼とすべきである、という2点を挙げている。
 ところでこの本の終わりの方で、著者は日本語の表記法の複雑さについて言及する中で「表記法を使い分けるのが意味の生産にかかわる」という日本語の独自性について、朔太郎の詩を例にして述べている。
  ふらんすへ行きたしと思えども
 ふらんすはあまりに遠し
 という詩を
  仏蘭西へ行きたしと思えども
仏蘭西はあまりに遠し
 では、なよなよと頼りなげな詩情が消えてしまい
  フランスへ行きたしと思えども
 フランスはあまりに遠し
 では、あたりまえの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまい。蛇足として
  フランスへ行きたいと思うが
  フランスはあまりに遠い
せめてあたらし背広をきて
きままな旅にでてみよう
と口語に変えたら、JRの広告以下である。と述べ、「このように表記法を使い分けるのが意味の生産にかかわる<書き言葉>は、朝鮮語がハングルに漢字を交ぜない限りは、日本語以外に存在しない。(中略)日本語や朝鮮語のような<書き言葉>は一見例外的な<書き言葉>に見えるが、実は、その例外的な<書き言葉>こそが、<書き言葉>は<話し言葉>の音を書き表したものではないという、<書き言葉>の本質を露呈させるものなのである。」と結論づけている。
 漢点字の必要性も自ずと明らかであると言わねばならないだろう。

 トップページへ