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点字から識字までの距離(128)
                                   
山 内  薫

  識字を巡って

 この連載のタイトルである識字(リテラシー)を巡って最近とても気になるテレビ番組があった。それは、今年4月16日にNHK総合テレビで放映されたクローズアップ現代「“ヤバい・エグい”は危険!? 注目される感情リテラシー」である。(https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014780551000)
 そう言えば、昨年あったパリオリンピックのスケートボード男子ストリート決勝で、堀米雄斗が大逆転劇の演技を終えた後、解説者が「ヤーバー」といった声が今でも耳に残っている。
 「やばい」という言葉はもともと「危険や不都合が予測されるさまである。危ない。もと、てきや・盗人などが官憲の追求がきびしくて身辺が危うい意に用いたものが一般化した語。」(『日本国語大辞典 第2版 13巻』2002年 小学館)だったが、「②程度が激しいことを表す語。はなはだしい。ひどい。(中略)<表現> 多く望ましくないことについていうが、近年、若者がプラスの評価に用いることもある。」(『明鏡国語辞典 第2版』2011年 大修館書店)と、最新の国語辞典では、プラス評価に使われることが記されていて、マイナス評価よりもむしろプラス評価で使われることの方が多くなっているのではないかと思う。番組では「喜怒哀楽の感情すべてがヤバイの一言ですんでしまう。」ことを危惧していた。
 闇バイトなどで検挙され矯正施設に収容されている若い受刑者に共通する課題を施設の教育専門官らの職員が一様に次のように述べている。
 「感情を出さない。怒りもしない、笑いもしない。感情をどう出したら良いか分からない。」
 「いわゆる出し子は言葉を知らないし、感情がない、表情がない」
 「極端に言えば、『気持ちいい』とか、『うざい』とかいう2つのことばしか知らないような人が割といて、犯罪をやるときはちょっと発散して気持ちいいし、思いどおりにいかなければうざいしみたいなことで、なかなか自分のコントロールもできない人が少なからずいます。」
 そして、収容されている闇バイトに関わった若者たちも次のように述べている。
 「単なる1つの作業としか思ってなかったので、何も思ってません。その時、感情はないですね。自分は9回したんですよ、それを。でも本当、何も思わなかったですね。結果を知っていても別に何も思わなかったです。今回の事件も、人に申し訳ないという気持ちも浮かばなかったですし、『強盗しろ』と言われたらたぶん普通に強盗していましたし、『人を殺して』って言われたら殺していましたし、たまに自分が怖くなります。4回目ぐらいのときに、指示役から『楽しいか?』って聞かれたんですけど、自分は、楽しいとか楽しくないとか感じていないし、ただ“こなすだけ”だったので『特にないです』としか答えてない」(25歳)
 「小さいころから自分の感情を押し殺してきましたね。何も感じないというよりかは、人の気持ちが分からなくなってくるんです。全部うわべだけの会話でしたね。喜怒哀楽とか考えたことがないから、ちゃんとした表現力もなくて、『ヤバい』。すべてがもう全部まるまる全部が『ヤバい』としか出てこない」(25歳)
 「小さいときから感情を押し殺して感情がない状態で人形みたいだなとかって思ってたんですけど、中学のときにボーカロイドがはやって、それで自分はボーカロイドに近いんだなっていうのは思いました。親の意のままに、親の求めるものに応えなくちゃいけないというか、そんな思いだったので、操られているなと感じてましたね。まず、泣きたいときに泣けないっていうのが1番ですし、怒りの感情がなかったです。笑うときもちゃんと笑えなかったので、笑う勉強をしたりとか、そういうのはしましたね」(24歳)
 一方で15人以上の若者を闇バイトに勧誘したリクルーターと呼ばれる人物は次のように述べる。
 「電話したときとか、『ちょっと最近どう?』『学校は大丈夫ですか?』と、親身に相談に乗ってあげるとホイホイついてくるっていうのは、つくづく思いますね。顔も名前も分かんない相手に、よくこんなことをこんなに話すんだなって思ったので、本当によっぽど周りに相談できてなかったんだと思いますね。つらいけど、誰にも理解できないけど、自分からは絶対に言えない。自分の気持ちを言語化できていない子とかって、すごく感情をコントロールしやすいというか、いいカモで、面白いくらいホイホイくっついてくる。本当にびっくりするくらいみんな引っかかる。」(19歳のリクルーター)
 闇バイトに勧誘するリクルーターのマニュアルは
 「▽この仕事(闇バイト)で重要なのは受け子・出し子との「信頼関係」。
 ▽傾聴して悩みや弱みをとことん聞き出す。こちらの話は一切しない。
▽「さみしかったんだね、つらかったんだね」と相手がことばにしなかった感情を言語化して安心させる。」というものだ。
 龍谷大学教授の浜井浩一氏等が佐賀少年刑務所と多摩少年刑務所で行ったアンケートによれば
 「犯行時の被害者への意識を聞いたところ」
  ・逮捕されて初めて被害者のことを考えた 44.7%
  ・被害者のことは考えたことがない    19.7%
  ・被害者がいるとは思わなかった      6.6%
 「自分の気持ちが分からないときがありますか」
  ・いつもそうだ    13.2%
  ・だいたいそうだ   22.4%
   計         35.6%
  ・どちらともいえない 22.4%
 さらに、誰かに悩みを相談することを「ほとんどしない、全くしない」と答えた人は55%と半数を超えた。その理由は
  ・言ってもむだ         34%。
  ・自分の気持ちをうまく言えない 27%。
  ・悩みを言う人がいない     22%。
 そして、アンケート結果から見えてきた特徴について次のように述べている。
 「大きな犯罪が行われてるんだけれど、その犯罪を担っている人たち1人1人が実は何も考えていない、マニュアル通りにロボットのように動いているだけという状況になっているのが、闇バイトの最大の特徴。今回の調査でもやっぱり被害者のことを全く考えていない傾向が見えてきた。自分の気持ち、自分が今どんな状況に陥っていて、どんな問題を抱えているのということをうまく表現できないという。あるいはそれをちゃんと突き詰めて自分自身理解して考えようとしていない」
 「日ごろ相談することがない、ほとんど何かあっても人に相談しないって回答している人が圧倒的に多い。気持ちがわからないだけではなくて、そもそも信頼できる相談相手が周りにいないというのが大きな特徴として、今回の調査で見えてきたのかなという気がする。
 闇バイトのグループも含めて、人間どうしの交流が全くないということが闇バイトの1つの特徴。要するに人の気持ちが分かるかどうかです。だから、そういった形で自我関与(※自分の考えや感情、行動についてよく考えたり、どうすればもっとよくなれるかを考えたりすること)しなければ相手の気持ちも分からないし、相手を人間として見なさない。だからこそ効率よく、なおかつ被害者に対してもひどいことができてしまう。ある種、自我関与がしにくくなっているのが現代社会の大きな特徴で、闇バイトってのはそこにつけ込んでる。こうした社会構造をうまく利用して、精巧なマニュアルを作って犯罪を成立させてるんだというふうに思います。」
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 番組の後半では、かつて校内暴力でけがをする生徒が100人を超えた年もあったという大阪市立南市岡小学校で行われている「気持ち」を話すトレーニングが紹介されている。
 どうすれば校内暴力を減らせるか、対策として取り組んできたのが、「国語教育の充実」。1年生の国語の授業で「気持ちを表すことば」のイラストが必ず使われる。これをもとに、物語の主人公や登場人物の感情をことばにすることを学んでいく。
 1年生の担任は次のように話す
 「3年連続1年生を持っているんですけど、だんだん幼くなっているような感じがして、自分の気持ちを1個ぽんって言えない。入学当初は、ことばが出ないことでかんしゃくを起こしていたり、教室から出て行ってしまうこともあった子どもたちが、自分の気持ちをことばにすることができるようになることで、気持ちを伝え合ったり、互いの気持ちに折り合いをつけられるようになった。」そして、「ことばを最大限引き出すことと、『こういうことばを使うとあなたのモヤモヤは解決されるんじゃないかな』っていうことばの提案。この2つがめっちゃ大事だと思います。」と話す。
 女児の母親も「優しさだったり、いろんな気持ちの伝え方が、すごく豊か認知される日をになったなというのは感じます。感情もいろいろあるんだって知れたということは、本人にとってすごくよかったなと思います」
 と述べている。
 校長は「まず学校で安心してモノが言えるという、心理的安全性がないと『ことばで自由に気持ちを言える』ということもできないと思うのです。そのために、まず教員が信頼される大人にならないと、子どもは自由に話をしてくれない。自分の気持ちをはっきり相手に伝えるということがやっぱり一定、訓練がなかったら誰かに教えてもらわないとできないことやなって思うんですよ。国語の授業で新しく出てきたことば、すぐ使いたいんですね。だから使い出すんですよね。で、このことばをどういう意味なのかっていう、それを使っているうちに、そのことばと意味のつながりの精度があがっていくんです。言語化できたら大概のことは解決するんですよ」と話す。
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 以上見てきたような感情のリテラシーについて、感情について研究している法政大学の渡辺弥生教授が番組の中で次のようにコメントしている。
 「だんだんデジタル化して文字媒体のコミュニケーションが多くなってきたので、いわゆる『ヤバい』とか、短い言葉でやり取りするだけということ。なかなかお互いの気持ちを深いところまでコミュニケーションできてないということ。ライフスタイルが変化してきて、家族でリビングに集まるということ自体も少なく、集まったとしても、みんな、それぞれスマホを持って、それを見ているだけというふうな、そういうところが感情リテラシーが乏しくなった原因になっているかなと思います。」
 また、高校生への調査で1日2時間以上スマートフォンに接触していると語彙力が下がる傾向が見えてきたことに関連して
 「スクリーンを眺めている時間が多く、見てる内容が、ボキャブラリーが限られたような内容であったりすると語彙力を学ぶということが少なくなる。受け身で見ているだけなので、自分から表現するということもできない。語彙力を獲得するためには表現したり聞いたりということが必要で、それが少ないと、結局、考えるための材料となる語彙力がないので、こういう気持ちになるのは何でだろうという原因を考えたり、解決をするということができなくなるので、基本的にこういうところが乏しくなるんだろうと。」と述べている。
 さらに、PATCH THE WORLDというサイトで秋吉紗花という記者が次のように書いている。
 「感情リテラシーは、老若男女問わずあらゆる人々が身につけたい能力である。不安定な社会情勢が続く中、鬱憤を自分の中だけで晴らせず、残虐非道な犯罪に手を出してしまう人も少なくない。近年では闇バイトのみならず『誰でもよかった』と言って簡単に見ず知らず人を殺してしまう通り魔事件も相次いでいる。殺伐とした世の中では、どんな人でも感情的になりやすく、それによって相手との関係が悪化してしまうこともあるだろう。コミュニケーションの方法も多様化し、今後ますます人間関係は複雑になっていくと予想される。そんなとき、感情リテラシーが身についていれば、自分も相手も傷つけることなく、円滑なコミュニケーションが築けるだろう。『感情的にならない』『我慢すればいい』のではなく、自分や相手がいま抱えている感情をしっかり理解し、その場で適切な表現を判断することを意識してみよう。」(ウェルビーイング 2025・06・11「感情リテラシーで変わる人間関係。感情に振り回されないためには」https://mannen.jp/patchtheworld/21246/)
 最近のニュースで「誰でもよかった」と言って簡単に見ず知らず人を殺してしまう通り魔事件が毎週のように起きていること原因はこのあたりにあるのだろうか。
 スマートフォンが普及してから、電車の中でそれを見ている人が多くなってきたことを日々実感している。5年ほど前は、座っている人の半数以上がスマートフォンを見ているという状況だったが、最近の印象では、ほぼ9割の人が見ており、さらに立っている人までスマートフォンを見ている。隣にどんな人が座っているか、前にどんな人が立っているかなどには全く関心を示さずにスマートフォンの画面に見入っている状況は異様に見える。
 人と人とのコミュニケーション能力がどんどん下がっていき、言葉の持っている力がどんどん希薄になっていくことを危惧する。字を読むこと(音声に変換すること)はできても、その意味が理解できなければ、それは詰まるところ非識字ということになってしまう。AIが、様々な場面で浸透してきている現在、改めて識字(リテラシー)について考えなければならないだろう。
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 とうとうこの連載も終わることになりました。当初は表音文字である点字について、その後は東日本大震災を経て、南相馬への支援などについてたくさん紙幅を頂きました。今号にも書きましたが、言葉で生きる私たちが今後どこへ向かっていくのか、まさに混迷の時代だと感じています。また、とても残念なことは、未だに漢点字の必要性が認められていないという現状です。明るい見通しはありませんが、点字をより識字に近づけるための漢点字が普及することを願ってやみません。

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