「うか」074  トップページへ

    一 言
                    
岡田健嗣

 上方落語の笑福亭伯鶴さんが電車の事故に遭ってから、半年を過ごした。これまでにも知名度の高い視覚障害者が、交通事故などの災厄に遭遇して、その都度メディアは注目して見せたものだが、このような事故は、止む気配はない。
 点字毎日が手元に届いた。そこには伯鶴さんの、「ご機嫌さんです」が載っていた。文章からだけだが、大変お元気そうに見える。幸いである。
 この中に、面白い文があるので、引用して見る。原文はカナの点字であるので、ひらがな表記、カナ点字に倣った分かち書き、棒引き仮名遣いにする。
 「びょーいんで いろいろ たいけんしましたわ。さいきんの けいこーでしょーが 『わかもの ことば』と いう もんわ どー しよーも おまへんなあ。にゅーいんを して おそらく 10だい こーはんの みならいか 20だい ぜんはんと おもえる かんごしさんの ことばづかいを きいてると わけ わからんし ぎゃくに わかったら むかつきまんなあ。とにかく よーじごが おおいですわ。じぶんの ばいほど としうえの かんじゃさんが はを みがく ときに せんめんの どーぐを もって いって 『さあ こんど おくちを きれい きれいに しましょーね。ゆすいだ おみずわ のまないで ぺっぺ しましょーね』。いうなら 『しょくじの あと うがいです。みずわ のまずに ちゃんと はきだして ください』で ええや おまへんか。…
…」
 伯鶴さん、気張ってまんなあ!

    
異文化
 今年は点字の創案者であるルイ・ブライユ生誕200年に当たる年である。1月4日が誕生日で、年初から各メディアでは、色々な企画があったようである。残念ながら全てを知ることはできなかったが、点字毎日や一般紙の特集を読むことはできた。
 本誌に転載させていただいた木村多恵子さんの、点字毎日の募集に応じた原稿(残念ながら不掲載となったが)も、木村さんの、触読文字である点字への思いを、規定の字数に収めたものである。
 木村さんの稿をお読みいただいた皆様には、点字という文字が、視覚障害者にとってどんな位置にあるかをご理解いただけたものと思う。だが驚いたのは、今回のブライユ生誕200年を記念した各紙の特集には、私の知る限り、我が国の文化に関心を寄せる視覚障害者の視点は、全くなかった。
 何年か前に、私のお話しした漢点字のお話をお聞き下さった女性からいただいたメールに、面白かったという好意的なお言葉とともに、「異文化である視覚障害者の方から、漢字のお話をお聞きすることに、戸惑いを感じました。」という感想が述べられていた。正直私は驚いた。まさか同じ日本人であって、同じ日本語を話しているはずの私が、先方からは「異文化」な人と受け止められていたのである。瞬間的に反応してしまった。私の未熟故である。以来この「異文化」という言葉が、心から離れなくなってしまった。
 「異文化」という語が、いったい何を指しているのか、今1つ分かり難い。私の愛用している電子ブック版の「広辞苑」(第4版)には、この項目はなかった。第6版にはあるが、「生活様式や宗教などが自分の生活圏と異なる文化。」と、読んで字の如し以上の説明はなかった。(もっとも「文化」という語からして、使う人によって、いくらでも都合よく使われる語ではあるが。)
 私がカチンときてしまったのは、私は生まれ落ちてから日本を離れたことのない、日本語しか話せない、私と同じような境遇の人たちとの付き合いが多いという、とても普通と異なった生活をしている積もりはなかったにもかかわらず、「異文化の視覚障害者」と括られたからに他ならない。がもう1つショックがあった。そのカチンときてしまったことそのものである。視覚障害者である私は、一般の健常者の皆さんと同様に評価され扱われるということが、これまでの経験に照らせば、むしろ通常ではないのである。見かけからして違うし、行動も違う、できないことも多い、このような常態から「異なる」という答えが導かれたとしても、ちっとも変ではないではないか、そういう考え方を充分理解していた積もりが、何故かスーッと私のなかから抜け落ちてしまっていたことに、強くショックだったのである。
 今回のブライユ生誕200年を記念した各紙の特集は、大方が点字の意義を讃えた論旨の文章を募集するか、ブライユの足跡を訪ねるといったものである。そこにあったのは、触読文字が視覚障害者に如何に大きな福音をもたらしたか、論者がその習得に如何に苦労し、どう享受し、感謝しているかというものであった。それはそれでいい。だが私には食い足りなかった。
 我が国ばかりでない、全ての民族、全ての国々は、その歴史とともに文化を育んで来た。その「文化」の基層には、例外なく「文学」がある。詩人の大岡信さんは、化学や技術は、歴史を経れば経るほど豊かになるが、2千年前、3千年前の人々の考えていること、悩んでいること、憂い、喜びは、案外現在と共通するのである。当時の人々の遺した詩や散文に現代の私たちが惹かれるのも、人の変わらないものを、そこに感じ取るからであろう、とおっしゃっておられる。「文化」の基層をなす「文学」とは、そのようなものなのであろう。
 視覚障害者にとってそういう文字であるはずの点字を創案したルイ・ブライユを讃え、感謝しようというなら、当然文字で表現したものをどう享受したか、どのような表現を心がけているかなど、書くべき視点はいくらでも見つかるはずなのだ。が残念ながらそのような文章には、お目にかかれなかった。
 現在人の成長を語るには、学校教育の過程を無視できない。その学校教育で、ものを考える力の養育として、国語教育が位置づけられている。国語教育とは、読むことと書くことの教育である。初等教育では読み書きに欠かせない文字とその使用法を教え、読み方を教え、文を作らせる。(私はこの作文が、最も苦手であった。)
 中等教育・高等教育の課程では、現代文の理解と鑑賞、古典の理解と鑑賞と歩を進める。このような過程を「教育」と言う。これをドイツ語では"Bildung"と言う。人間の成長、人格の形成を指す語である。このような過程を通して、1人前の人間になると考えられている。我が国の文科省も、そのように考えているようである。
 この6月11日の毎日新聞に掲載された記事に、「かなしい」ときに、「悲しい」と書くか「哀しい」と書くか、あるいは「かなしい」とカナ書きするか、こういう選択は文字を知らなければできない、ということを書いて下さった。これは大上段に構えた物言いになる私に代わって、本会の会員のお1人が言って下さったものである。一般の日本人には、この選択は保障されている。うまくできるかどうかは、個人差の範疇である。
 ところが視覚障害者の教育課程では、その基本となる文字、読み書きできる文字の教育がなされていない。そこで私は気がついた。視覚障害者を「異文化」な人たちと捉えている彼の女性は、決して視覚障害者に反感を持っているのではない。彼女の周辺の視覚障害者(彼女の周辺には、大勢の視覚障害者がいるようなのだ)たちが、「異文化」と理解しなくては理解できない人たちなのではなかろうか?
 翻って私自身も、考えて見る必要があるようだ……。

 
トップページへ