「うか」078   トップページへ


    一 言
                    
岡田健嗣

   
漢字の森
 昨年11月30日、朝日新聞夕刊の、「ニッポン人・脈・記」の欄に、「漢字の森深く」というシリーズの1つとして、漢点字を取り上げていただいた。シリーズは11月25日から12月8日までの10回で、漢点字はその4回目であった。
 12月の半ばに、取材をして下さった朝日新聞の記者・白石明彦さんから、シリーズのカラーコピーが届いた。早速全文を漢点字訳していただいて、通読させていただいた。
 そこで驚いたことが2つあった。
 その1つは、漢点字の活動というのが、私が思っていた以上に地味な活動であったことである。勿論とても目立つ活動とは思っていなかったし、地道に積み重ねるのが王道だとも考えて来た。しかし如何にも当たり前のことを当たり前にやっているという、極めて日常の活動であったことに、改めて気付かされたのであった。
 もう1つは、これは誠に恐れ入るしかないことだが、漢点字の創案者の川上泰一先生や、横浜国大の村田忠禧先生のお名前と私の名が並んでいることであった。
 朝日新聞の白石さんによれば、週刊雑誌「女性セブン」の十数年前の記事に、漢点字が取り上げられているのを見つけて、これは珍しいものを見たと思われて、調べ始められたとのことである。そこで漢点字協会をお訪ねになり、会長の川上先生の奥様から私のご紹介があったとのことであった。
 「女性セブン」の記事というのは、1997年に本会で「漢字源」(藤堂明保編、学習研究社)の漢点字版を完成して、横浜市中央図書館に納入したことを朝日新聞やNHKテレビが取り上げて下さり、テレビ司会者の草野仁さんが司会をされていたテレビ東京の番組で、大きく取り上げて下さったのである。その内容を草野さんがエセイを書かれている「女性セブン」にご紹介下さったものである。その中の草野さんのお尋ねに「思い出に残る言葉はありますか?」というものがあった。そこで私は「慕情です。」と答えたのである。
 白石さんは、なぜ「慕情」が心に残ったのかと私に問われた。私は映画の題名として子供のころに聞かされていたが、それが何のことかよく分からなかった。ただ大変感銘深い映画の題名だと聞いていただけだったのである。漢点字を学んで、初めて「慕(したう)」と「情(なさけ)」という字でできた熟語だと知って、当時(昭和30年代)の映画界を支えていた人たちのセンスの豊かさを知った思いがした、と答えたのである。
 私の名が川上先生や村田先生のお名前と並んだことばかりで驚いてはいられなかった。
 カラーコピーを漢点字訳していただいて通読してみると、何と綺羅、星の如きお名前が並んでいる。そのお仕事も、その拘りも、並大抵のものではない。
 白川静先生については、改めて申し上げることもない。毎日のようにお世話になっている。『常用字解』(平凡社)の漢点字版も完成した。そのEIB版は、何時でもパソコンの中で私を待っていてくれる。これから先も、常に道の先を照らして下さるであろう。
 梅棹忠夫先生のご主張には、一理を感じない訳ではない。しかし視覚障害者の中には身の拠り所としている人も多い。稿を改めて考えて見る積もりである。
 「障害」を「障碍」となぜ書いてはいけないのか、白石さんから質問を受けたとき、私はきちんとした答えができなかった。「碍」も「害」も、訓読は「さまたげる」である。それならば「害」でよいではないかというのが、当用漢字選出に当たる考え方であったろう。また「障害者」というのは"Impaired Person"の訳語である。そもそも日本語にはない言葉である。このようなことを含めて、これも稿を改めて考えて見なければいけない課題である。
 「万葉集」の木簡が出土したという。「万葉集」は我が国最古の書物の一つとされている。しかし記紀と異なってその成立時期や事情は必ずしも明らかではない。大伴家持が編集したと推定されている。その収録歌が木簡に記されているのが初めて発見されたのである。これは驚きというより心が躍った。ますます「万葉集」が読みたくなった。(現状ではまだ叶わないことである。)
 太田治子さん、私にとって正にスターである。
 昨年は太宰治生誕100年とか、久々に太宰の名前を聞く機会が多かった。そんな中に、「太宰検定試験」とかいうのがあって、この試験でその人の太宰度が分かるというのである。ここに紹介されている問題を引いてみよう。
 〈私には、また別の専門科目があるのだ、世人は假りにその科目を( )と呼んでゐる。〉
 これは『津軽』にある一説だという。この( )に入る漢字1字を記せというのが問題である。
 幸いにして私は「愛」という字を当てることができた。太田さんは生まれながらにして「斜陽の子」として生きて来られた。それだけに濃厚な人生であったに違いない。私も同時代を生きて来たのだが、太田さんと同じ空気を吸っているなどと思ってもいないことだった。(勿論そんなはずはなく、どこかで擦れ違っている可能性が大なのであるが……。)

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