「うか」062  トップページへ

  わたくしごと

                      木村多恵子


 少学4、5年の、今にも雪が降り出しそうな、どんよりとした日曜日の昼下がりのこと、二人の大人の話を、聞くともなく聞いていた。話し手は、一方的に一人であった。
 「今ねえ、こんな寒空が一層身にしみて、心まで冷え冷えとして、おなかの中まで寒くなっちゃった。だけど止められなくて、とうとう最後まで読んでしまったわ。
 平家物語。平家が敗れて二位の尼に抱かれて、安徳帝が壇ノ浦で入水して、平家の武将たちも、それぞれ帝を追って入水したり、源氏と戦って死んでしまうのは、まあ歴史の一齣として習ってきたから、それは事実として読んだのですが、わたしが堪えたのは、残されたその後の女性たちの行く末です。たとえば、平清盛の長男重盛の二番目の息子資盛`すけもり*B、そう、平清盛から見ると孫に当たるのですけど、その資盛の恋人に建礼門院右京大夫という女性がいましてね。この建礼門院右京大夫というのは、建礼門院のところに仕えている、右京大夫という、当時の役職名で、昔は女の人にはよほど身分が高くないと名前は記録に残っていないのです。それで、建礼門院右京大夫というと、誰もが、あの人だと分かるようになっていたのです。その右京大夫が仕えた女主人、建礼門院徳子という人は、さっき話した、二位の尼に抱かれて入水した安徳天皇の生母です。しかも、この建礼門院徳子は、平清盛の娘なのです。今をときめく清盛の娘で、天皇の母のお屋敷に仕えていたのですから、右京大夫が美しく、賢い、才女だったのは言うまでもありません。この女性は資盛の正妻ではないのだけれど、誰もが認める恋人でした。この資盛が生きながらえるとは思えませんでしたが、恋する人のことですから、一日も長く生きていて欲しい、と願っていましたが、入水したという知らせを受けると、彼女は泣き暮らしたのです。けれども、彼女はとうとう、ある決心をしました。泣いてばかりいてはなんにもならない、資盛のためにどうしたらよいか。そう、恋人の菩提を弔おう。ただ尼になってしまうのでなく、何かある。そして、右京大夫は、これまでに資盛からもらった手紙を全部漉き直して、薄様にして、その紙に写経をするのです。写経というのは、難しいお経を一字一字書き写すことです。あなたたちも、点字で写し書きをするわね、あれと同じです。」
 最初は、自分の世界に浸って話していた彼女は、わたしが話しに引き込まれていることに気づいてからは、話しぶりも丁寧になり、「正妻ではないけれど」と言ってから、「本当の奥さんではないけれど、昔、この時代は正式の奥さんの他に、恋人がいるのは普通で、どんなすばらしい人が、恋人になっているかで、その人の評価が決まるのです。今とは考え方が違い、大切にされる恋人ほど、ほとんど奥さんと同じような生活をしていましたし、周りの人たちもそのことを非難などしなかったのです。通い婚といって、正式に結婚しても今とは違い、男の人が、女の人の家に通うので、恋人が一人や二人いても問題はなかったのです。」とか、紙漉の方法はとくに丁寧に、また出家して尼になるとはどういうことか、写経とはなにか、など、大人には説明の必要がないようなことまで話してくれた。
 彼女はこうも言った。「キリスト教の世界とは違うけれど、わたしは、やはり田舎の古い家で育ったせいか、こんな仏教的な表し方も理解できるし、いいなあとも思う。尼にならない生き方、しかも写経までしながら、その後、後鳥羽天皇のそば近く仕えているのです。当時としては現代的な生き方、もしかしたら、世間の古い人たちからは非難されたかもしれないです。」
 今考えると、かなり長い時間だったと思うが、全て初めて聞くことばかりで、しかもちっとも飽きることはなかった。それどころか、話が終わってしまった、というより「夕食です」の知らせで中断させられたのだから、残念でならなかった。とはいえ、子供のこととて、次の機会をねらって続きをせがむには、なんとなく大人の話を盗み聞きしたような後ろめたさもあり、さらに、大人の世界に立ち入りすぎているかもしれない、というどことない気恥ずかしさもあって、それ以上踏み越せなかった。
 愛しいひとからの文柄を全部水に溶かし、漉き直す。紅梅、薄紅、うす桃色、桜色、萌葱色`もえぎいろ*B、梔色、薄青、朽ち葉色。相手への心の深さに合わせて、紙の質と色を選び、季節に合わせて梅や撫子、萩や紅葉の一枝を添えて、届けられたものが、その人の手(筆)の跡もすべて、彼女の涙とともに薄墨色に漉きあげられたのではないだろうか。
 この嘆美な世界を教えてくれた彼女には、もう何十年と会っていないし、何処にいるのかも分からない。あの「語り」は教えでも導きでも、まして押しつけではなかった。素直な彼女の情熱の発露であった。だからこそ今わたしは、日本の古典の世界に魅せられているのだと思う。本の中でしか味わえないこの世界をさまよい歩きながら、楽しんだり、嘆いたり、人と人との複雑さに驚かされながら、彼女の痕跡の大きさと、不可思議さを思い、何より彼女に逢って感謝の思いを伝えたいと願っている。多分、わたしがあの数時間を心の種に育てているとは気づいていないと思う。それだけに、何とか訪ね当てて、彼女の情熱には及ばないけれど語り合いたい、いいえ、もっと深めている彼女の話を聞かせていただきたい。

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