「うか」063 連載初回へ  トップページへ

  わたくしごと

                      木村多恵子


  「お母さんは生まれたばかりの赤ちゃんをだっこしています。ゆっくり、やさしく、あやしています。
  ゆらーり、ゆらーり、ゆらーり。 そして、赤ちゃんをだっこしながら、お母さんは唄い出します。
  アイ・ラヴ・ユー、いつまでも
  アイ、・ラヴ・ユー、どんなときも、
  わたしが生きているかぎり、
  あなたはずっと、わたしの、あかちゃん」

 こんな書き出しではじまるのは、ロバート・マンチ作、乃木りか訳の、『“Love you forever”』と言う、アメリカの絵本である。この本は、子供を育てる限りない喜びと、日々の生活の中での苦労と、命の引き継ぎの神秘と喜びが、見事に描かれている。
 赤ちゃんの成長の過程で、2歳では、本棚の本を全部放りだし、お母さんの時計をトイレに流すいたずらをはじめる。後かたづけをしながら、お母さんは、ときどき、「この子のせいで気が狂いそう」と叫びながらも、夜、赤ちゃんが寝てしまうと、その子を抱いて、冒頭の歌を唄う。
 9歳になった男の子は、お風呂は嫌い、訪ねて来るおばあちゃんに憎まれ口を聞く。ときどき、「こんな子、動物園にでも売っちゃいたい」と思うお母さん。でも、夜になると、そっと子供の部屋に入り、静かに子供を抱いて、「アイ・ラヴ・ユー、いつまでも」と唄う。
 ティーンエイジャーになった少年は、変な友達を作り、変な服を着、やかましい音楽を聞いている。お母さんは、「まるで、動物園にいるみたいだ」と思う。けれども、やはり夜になり、少年が寝静まると、お母さんは、子供の部屋のドアを開け、そおっとベッドに近ずき、ぐっすり眠っているのを確かめて、大きくなった子供を抱いて、
 「アイ・ラヴ・ユー、どんなときも」と唄う。
 やがて、息子は大人になって、隣町に住むようになる。それでもお母さんは、あたりが真っ暗になると、ときどき、車に乗って、息子の家に行き、明かりが全て消えていたら、息子の寝室の窓から入り、ベッドに近寄り、

  「アイ・ラヴ・ユー、いつまでも、
  アイ・ラヴ・ユー、どんなときも
  わたしが生きているかぎり、
  あなたはずっと、わたしの赤ちゃん」

と唄う。
 お母さんは年を取り、ある日、息子に「逢いに来てちょうだい、病気なの」と電話をする。息子が逢いに行き、お母さんの部屋に入ろうとすると、お母さんは歌を歌おうとしている。

  「アイ・ラヴ・ユー、いつまでも、
  アイ・ラヴ・ユー、どんなときも」

でも、その先を歌うことができない。息子は、お母さんの部屋に入り、お母さんを抱いて、ゆらーり、ゆらーり、ゆらーり。息子は唄う。

  「アイ・ラヴ・ユー、どんなときも
  ぼくが生きているかぎり、
  あなたはずっと、ぼくのお母さん」

 その夜、自分の家に帰った息子は、二階にあがり、暫く部屋の前で立ち止まり、それから、部屋に入り、生まれたばかりの赤ちゃんをだっこして、ゆっくり、やさしく、あやす。ゆらーり、ゆらーり、ゆらーり。そして唄いだす。

 「アイ・ラヴ・ユー、どんなときも、
  ぼくが、生きているかぎり、
  おまえはずっと、ぼくの赤ちゃん」。

 これは、乃木りか訳を、わたしが乱暴なまでに省略してしまったが、おおよその筋はわかっていただけると思う。できるなら、文章だけでも、ここに写したいところだが…、著者たちに、許していただきたい。
 わたしが最初にこの本を読んだとき、ページのはじめは少しほほえみながら、次のページでは、お母さんは大変だな、と思い、子供が成長する度にケラケラ笑い、息子が母に感謝と尊敬を込めて、病床を見舞うときの涙、そして、娘(これはわたしの勝手な推測であるが)を抱くときの、命の受け継ぎの喜びが胸に染みた。
 このストーリーを味わっているとき、「あれ!?」と、なにか気になるものがあった。何だろう。そっくり同じではないけれど、どこか共通している何か。そう、シチュエーションも時代も、所もまるで異なるのだが、母親が、一人息子に「あらざらん、この世の他の思い出」に「逢いたい」と歌を送る。それに対して、息子から、返歌を送る。まるで、相聞歌のようであった。あれは確か「伊勢物語」とは気づいたものの、さて、どの段であったかは、どうしても思い出せない。それが、今度のテキストで、偶然引用されていたのである。「伊勢物語」八四段であった。これは短いので、引用させていただく。

  むかし、をとこありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。その母、長岡といふ所に住みたまひけり。子は京に宮仕へしければ、参(ま)うづとしけれど、しばしばえ参うでず。ひとつ子にさへありければ、いとかなしうしたまひけり。十二月(しはす)ばかりに、とみのこととて、御文(ふみ)あり。

  老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな

 かの子、いたううち泣きてよめる。

  世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため

 宮仕えに急がしかった「をとこ」は、長岡に住む母のもとを尋ねる機会がなかなか作れなかった。
 一人子であったので、母はその子をいたく可愛がっていた。母から手紙があり、その中に、自分も今は避けられぬ死を真近とする身になり、あなたにぜひ逢いたい、との意の歌があった。子は、つまり「をとこ」は、いつまでも生きてほしいと願う私という子供のためにも母の身に避けられぬ死などというものがなければいいのに、と泣きながら返歌をした、というのである。
 『“Love you forever”』は、1997年の発表である。原書でも“mama”ではなく、“mother”と書かれている。絵は、日本のものと、アメリカのものとでは、かなり違い、邦訳のものは、淡いトーンで、絵そのものも優しいという。原画は、一瞬「や、これはグロテスクだ」と思った、と説明してくれた人が、素直な感想を伝えてくれた。息子の居る町に車で行くにも、梯子を担いでいるという。邦訳ものは岩崎書店なので、色使いも優しく、息子の家の窓のところでは、確か夜空の星が美しく描かれているという。
 表現方法は大変違うとはいえ、親が子を思う気持ちは、千年以上前も、現代も、洋の東西、本質は変わらないと思う。
 わたしには子供はいないけれど、いまわの際に、思いを託したい人はいる。それは、必ずしも肉親にかぎらなくても、「愛を注ぎ続けたい」人がいることの幸せを思う。わたしが、この絵本を探したのも、いってみれば、その延長である。

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