「うか」083 連載初回へ  トップページへ

               わたくしごと
                                   木村多恵子
 わたしには兄弟が4人いる。兄3人と姉である。5組の夫婦のうち、長兄が25年前に、わたしの夫が一昨年前に逝き、残る3組の夫婦と長兄の妻を含めて8人は、ほとんど年中行事のように兄弟旅行を続けている。
 もともと、わたしの夫は体が弱かったので、この旅行には数えるほどしか参加していない。みんなは「疲れたら車椅子を借りればいいし、もちろんおしてあげるから、一緒に行こう」とまで誘ってくれたのだが、夫はテレやで、そこまで皆さんに迷惑をかけるのを拒んでいた。それだけに、彼が亡くなった年は、喪に服すとまでぎょうぎょうしくはないけれど、旅行は止めた。そして彼のことを想い、また、子供のいないわたしのために、皆がたびたび我が家に集まったり、個別に訊ねてくれたりして、互いに会う機会は多かった。
 兄弟旅行を始めたきっかけは、長兄の13回忌の法事である。お経を上げていただき、墓参をしたその足で、兄弟だけでなく、それぞれの子供や孫も含めて、かなり多人数の、長兄に連なる親戚が、揃って熱海へ行ったのが最初である。
 この旅行がとても楽しかったので、これからは兄弟だけで遠くでなく、せめて一泊二日の気軽な旅をしようということになり、もう14、5年、春であったり、秋であったり、季節はまちまちながら、たびたび小旅行を続けてきた。
 8人というのは、電車の指定席を取るにも横並びのボックス席二列を取るとまことに都合がよい。
 まずどこへ行くか、8人の日程を合わせるところから当番幹事の仕事になる。もうみんな若くはないので、あまり遠くへは行けないし、なんといっても一泊二日であるから、関東地区に絞られる。幸い、東京、横浜、千葉から集まるので、集合地は決めやすい。
 今年は群馬県の水上(みなかみ)。晴天ならば、天神大良と決まった。
 上野で集合し、誰が一番早く来たかというところからワイワイと楽しみははじまる。昼食は車内で済ませることにして、上野駅でお弁当を買った。
 JR上野から、水上三号に乗車。 水上駅まで2時間24分。
 上天気に恵まれ、車窓を眺めながら、姉たちが「紅葉した木も、まだこれからという木も、お日様に当たって綺麗だ」、「鳥の羽根のような雲が飛んでいる」、「あの家の柿が綺麗だ」、「布団を干している家も見える」などというのを聞くと、訳もなくのんびりと穏やかな気分になり気持ちがよい。やはり地上を走る電車はいい。
 今日は早めにホテルへ入ってゆっくりお風呂と食事とおしゃべりをすることにした。
 朝早く目覚める。今日も晴天に恵まれたので迷うことなくホテルのバスで、水上駅まで送っていただいて、天神大良へ行く。
 水上駅から上毛バスで土合口(どあいぐち)駅まで約25分。わたしの後ろの席に乗り合わせたカップルが盛んに紅葉の美しさに魅せられて感嘆している。こちらもその声に刺激されて、想像できる限りの紅葉の色合いを思い浮かべる。一枚の葉っぱなのに、日の当たり加減で、紅は紅の、黄色は黄色の濃淡の紅葉。それが山全体に広がっているのだから、やっぱりわたしの想いをはるかに越えた美しさなのだろう。それだけにこんなふうに素直に感動している声を聞いているのはうれしい。
 土合口の駅に着いた。もうここは標高547メートルの高さだ。
 そこからロープウェイ「ふにてる」に乗って約7分。とはいうものの、丁度今乗り合わせてきたバスのお客様が一杯で、ロープウェイに乗るのに結構な時間がかかった。わたしたちは乗り込み口まで続く列の最後に並んだ。
 ロープウェイに乗り込むには、このゴンドラがゆっくりながら動き続けているので、まるでエスカレーターに乗り込むような感じである。ゴンドラはもちろん山を一望できるようにガラス貼りで、どの位置からも山容を楽しめるようになっている。ときどきガクガクガクという感じが足から伝わってくるが、多分その度にゴンドラの高さが上がっているのだろう。乗客の「至仏山(しぶつさん)が見える」「あれはなんていう山?」などという声が聞こえてくる。7分はすぐ経ってしまい、ゴンドラから降りるのも、エスカレーターから降りる要領で降りると、もう既に体だけが前のめりに先へ行きそうになる。この天神大良駅は標高1319メートルの地点だ。
 少し歩いて今度はペアリフトに乗ろうか?という段になって、リフトは怖いから乗らない、という吊り橋恐怖症のいつもの二人。そこでリフトに添っているなだらかな山道を歩いて登ろう、行ける所まで歩こうという意見がまとまり、ゆっくり歩き始めた。最初は最近降った雪の溶け水が流れて、いるので、滑らないように、流れる水をよけたり、またいだりして歩いた。「ああ、ロープウェイから降りたところに長靴が一杯並んでいて、〈どうぞご自由にお使いください〉って書いてあったのはこういうことなのね」と姉が言った。
 リフトに沿った山道は、もともと初心者用のゲレンデなので、傾斜は緩やかだ。なるほど、石は無く、草が生えていたり、小枝が程よく土を固めていて、足運びはスムーズだ。そう言えば、ゲレンデ作りは石ころを取り除くところからはじまると聞いたことがある。普通の山道は形も大きさも不規則な石が多い。神社のようなところは階段が一杯だ。石や階段は、いやでも決められたその高さに合わせて足を上げなければならない。けれども、少し急ではあっても坂ならば、自分の歩幅に合わせて動けるので、体への負担は少ない。
 どのくらい登っただろうか。道がだんだん急坂になる少し手前で、一旦休憩しようということになり、地面が乾いていて、真っ平らではなく、休むのに楽な坂を探し、敷物を敷いた。座るもの、立ったままのもの、それぞれチョコレートを食べ、お茶を飲んだ。
 この先は急坂になるので、そのままここでのんびりするものと、もう少し登ろうという二つに分かれた。わたしは兄夫婦と姉と登り組。水上の駅のおみやげ屋さんに預けてきた荷物以外の小荷物を、休憩するグループに預けて更に身軽になって登りだした。
 しっかりした白杖は、そのまま登山杖になった。不思議なことに、全山紅葉するというのだから木は一杯あるだろうに、小鳥の声はひとつも聞こえなかった。もう真昼の真っ最中になっているからだろうか?それとも鳥たちは冬支度をはじめているのだろうか?そういえば軽井沢で山を登っていたとき、登りはじめは、確かに鳥の声が聞こえ、登るに連れてその声は足下から聞こえ、登れば登るほどさえずりは聞こえなくなった。そして、下って来たとき、だんだん鳥の声が聞こえだしたので、わたしは「もう山は終わりですね」といったことを思い出した。これはわたしが鳥の生態をまったく知らないから不思議がるのだろう。
 兄は先頭を切って少しずつ先に登って行く。ときどき「ここまで来ると、なになに山が見えるぞ」とか、「ここは平らで、少し休めるぞ」などと、一度に山頂を目指さず、少しずつ登っては「ここは綺麗だ、眺めがいい」というように、いつの間にか登らせてくれる。「おい、もうリフトの終点だぞ」の合図にわたしたち三人は「わあー」と歓声を上げる。リフトの終点天神峠駅は1502メートルの地点だ。
 兄の待つところまで行くと、「上に神社と展望台があるぞ」という。またわたしたちは登る。菅原道真を祀った神社が、なぜか分からないが三つも並んでいる。神社参拝用の清めの水があるので、少しだけお水を飲んでから、展望台に登る。
 展望台は360度の大パノラマだといい、あれは至仏山、これが笠ガ岳と、谷川岳連峰を望み見て、更にもう少し上にあずま屋があり、そこからは富士山が眺められるというのでまたも登って行ったが、あいにく今日は見えなかったようだ。
 結局リフトの終点天神峠よりさらに登って恐らく1520メートルくらいの地点に立ったのだと思う。
 中腹で待っている4人のところまでやや急ぎ足で降りて行った。ただ急坂なのでやたらには急げない。登りのときより杖が有効に働いた。4人が待っているところまで戻ると、「もう少し降りてロープウェイの駅へ行けば水上駅行きのバスに丁度乗れるだろう」と言う。なんてすごい!バスの時間は調べてあったようだが、無駄なく行動できた。
 お昼のご飯は天神大良の駅に、それこそ眺めのいいレストランがあるが、これはお値段も高そうなので水上まで降りて、帰りの電車の時間までゆっくり使って食べることにした。
 ロープウェイの駅へ着くと姉が、さっき話していた長靴の並べられたところを見せてくれた。大きさも3、4種類ありそうだ。帰りは待たずにロープウェイに乗り込めた。土合口からのバスも順調だ。わたしは知らぬ間に疲れたのかバスの中では眠ってしまった。
 昼食は水上駅で荷物を預かっていただいたお店の並びにある「おっきりこみうどん」といったか、お野菜たっぷりの鍋うどんをいただいた。熱々で産地特産のこんにゃくやお芋、ごぼう、甘い白菜がとても美味しかった。お出しは挽肉で薄味がわたしたちの好みにあった。このお店は古い土蔵を利用して使っており、わたしたちは丁度開いたお二階を使わせていただいた。おもしろいことに、洋服やバッグ、アートフラワーなどいろいろなものが商品として並べられていた。カラオケの用意もあるという。ここは地元の人たちも寄り合うのだろうか?おうどんができるまでこれらを見ながら飽きずに待っていた。
 帰りの電車の時刻にはまだ時間があるので、利根川沿いの遊歩道を、川を下る形に散策してから、預かっていただいた荷物を受け取りながら、おみやげを買ってさらに荷物を増やしながらも、後は電車で上野へ。わたしはそこからタクシーで我が家へ直行。兄弟たちに、無事に帰り着いた報告とお礼のメールや電話をし、持って行った衣類などを洗濯し終わると、わたしの旅は終わる。
 最後に、兄が用意してくれたパンフレットから、谷川岳天神大良ロープウェイ、通称「フニテル」についての解説を要約させていただくと、複式単線自動循環式ゴンドラで、厳冬期にも、強い風にも安全に輸送できるよう設計された、バリアフリー、段差無し、車椅子でも安全という、フランスで開発されたもので、フランス語の「フニキュレー(鋼索鉄道)」と、「テレフリーク(架空索道)」の造語だという。
 天神尾根をウォーキングすると、冬はパウダースノー、春から夏は高山植物、秋は紅葉と、季節を問わず楽しめるという。土合口には駐車場もあるので、お年を召した方もロープウェイに乗り、天神大良レストランで谷川岳連邦をゆったりながめながらのお食事も勧めている。
 わたしは花が好きなので、触るチャンスはなかったが、同じパンフレットから花の名前を教えてもらった。
 なによりも1500メートルのうち、最後の約200メートルを自分の足で登れたことがとてもうれしく爽快であった。大自然に抱かれるというのはなんと気持ちのよいことだろう。
                                  2010年11月20日 土曜
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