わたくしごと 木村多恵子 |
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ヨハン・セバスチャン・バッハの『マタイ受難曲』に目覚めたのは、わたしが40代の頃である。それまで部分的には知っていたし、讃美歌の中にも有名なコラールが入っているので無縁ではなかった。 けれども、ある年の受難節の、ある日曜日、ラジオでこの曲を全曲放送した。しかも、わたしはそれと知らずに偶然全曲聞くことができた。実際の放送は3時間だったと思う。アナウンサーが、受難曲が終えた後、少し時間があるので、と言ってマタイとは関係のない曲をかけた覚えがある。 『マタイ受難曲』は約2時間半、CDでいえば3枚組で1曲というのであるから長い曲である。 この曲は新約聖書の中の4福音書の第1番目に配されている、『マタイによる福音書』の26章、27章を題材に、テノールの語り手(エヴァンゲリスト)や、イエス(バス)や、そのほかの登場人物、そして、群衆は合唱によって物語風に進められている。 ラジオで聞いた演奏者についてはなにも覚えていないが、放送に触発されて、初めて買ったCDが、カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団、ミュンヘン・バッハ合唱団、ミュンヘン少年合唱団、テノール(エヴァンゲリスト アリア): エルンスト・ヘフリガー、バス(イエス): キート・エンゲンミュンヘン、ヘルクレスザールにて、1958年6〜8月録音の『マタイ受難曲』である。 早速地元の点訳グループの皆様に付録の解説書を点訳していただいた。まだ仮名点字だけであったが、その解説を読みながら、何度かCDを聞いた。 『マタイ受難曲』は、紀元30年頃、エルサレムで起こったこと、キリスト教徒が救い主と信じるイエスの捕縛と裁判、十字架上の死と埋葬を描く音楽である。 おおよそのストーリーの流れは聖書で分かっている積もりであるが、各楽曲の内容をキャッチするにはどうしても解説が必要であった。最初に書いたように、長い曲なので、じっくり時間をかけて読みながら聞くには時間が足りなかった。かといって、切れ切れに聞くのも、流れが滞って落ち着かない。そんな、不満とまで大げさではないけれど、なんとないモヤモヤが続いていたとき、この解説を点訳してくださったグループの中のお一人が、「『マタイ受難曲』、東京でも全曲演奏」というホットな新聞記事を見つけて教えてくださった。 演奏曲目: 『マタイ受難曲』(全曲) 演奏者: 鈴木雅明(まさあき)、バッハ・コレギウム・ジャパン 演奏会場: 台東区上野学園内、石橋メモリアルホール 開催日: 1991年3月28日 木曜 開場: 18時 開演: 18時30分 チケット代: 一枚1万2千円」 (このチケット代については絶対の記憶ではない) ただ、当時のわたしの生活レベルから考えるととてつもなく高かった。それを自分の分と、付き添っていただく方の分の2枚を買うにはとてもとても難しかった。チケットを買う手段さえ知らない。それでも生の演奏を聴いてみたい。自分との反問が続いた。 チケットピアという所へ電話をして買うのだと教わり、ドキドキしながらかけてみた。するともう既に売り切れだという。がっかりしたのと、ほっとしたのとがごっちゃになって訳がわからない。けれどもまた、なんとかして聞きたいとの想いが頭をもたげてくる。まずお金の工面である。夫には済まないと思いながら1枚分を家計からひねり出した。さて、どこで買う?わたしは考えた。バッハ・コレギウム・ジャパンは芸大のオルガン科が関わっている。なにしろ夫には内緒のことなので、近くの公衆電話へ行って芸大のオルガン科に電話をし、何とかして生の演奏を聴かせていただきたい。チケットピアも売り切れている。どうしたら、どこへお聞きしたらチケットを手に入れられますか?とお聞きした。すると「一枚でよろしいのですか?」と言われる。「はい」というわたしの胸はドキドキであった。お代は当日受付でわたしの名前を言えば分かるようにしてくださると言い、わたしの住所と電話番号をお伝えして受話器を置いた。 さて、演奏会場の石橋メモリアルホールが何処なのか?1人で行けるだろうか?建物までは行けたとしても、指定の座席へはどうやって行く?あれやこれやと思案しながら、芸大に続けて思い切ってホールへ電話をした。上野駅からの道順を聞き、場所はなんとか分かりそうなので、わたしは視力障害者であること、1人でホールの正面玄関へは行けるけれど、会場内の座席までの案内と、場合によっては洗面所への案内、そして帰りは遅いので、タクシーへの乗車まで面倒を見て頂けますか?とお願いした。応対してくださった方がとても気持ちよく即座に請け合ってくださった。こういう面倒なことを依頼すると、たいてい少なくとも1度や2度は「係のものに変わります」と相手が変わり、また同じ話を繰り返すことが多いが、このときはすんなり請け負ってくださったのでほんとうにうれしかった。 その期待の当日は雨であった。しかも、持病の緑内障による眼圧が上がり、ひどい頭痛と吐き気、これにはホトホト困り果てた。が、何としてでも行きたい。夫には体調の悪さは気取られたくない。幸い演奏会は夜なので、怠け者を装って出かける間際まで眠りに眠って、会場の方との約束の時間ギリギリに間に合うように出かけた。 第1部の長いコーラス中は、音楽そのものが頭に響いてガンガンする。「この頭の痛いのは我慢しますが、どうか吐き気だけは襲ってきませんように!」と念じながら聞いていると、睡魔が襲ってきた。なんということか!大変な思いをしてチケットを手に入れたのに!けれどもそれが功を奏して、目が覚めると、頭痛は少し残っているものの、吐き気は治まって安心して演奏を聴くことができた。第1部の半分は過ぎてしまったようだ。 筆頭弟子のペテロは、イエスに対し、「たとえあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と誓ったに関わらず、人々から「あなたはイエスの仲間だ」と言われると「知らない」と3度も否定する。そのとき鶏が鳴く。ペテロは「鶏が鳴く前に、3度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、激しく慟哭する。そしてこのことはペテロだけのことではなく、信徒1人ひとりの問題としてバッハは、アルトのアリアで主の哀れみを希い、その後のコラールで神の深い愛と恵みを唄うのである。 また、十字架上でイエスが息を引き取り、その死を確認する番兵の百卒長(ひゃくそっちょう)が「誠に彼は神の子なり」と告白する場面など、幾度も涙を流しながら聞いた。 バッハの信仰の深さから溢れる音楽の美しさ、清らかさが、わたしを慰め、浄化させてくれる。 演奏が終わり大きな大きな拍手が起きているのに、わたしは拍手もできずに呆然としていた。そこへホールの係の方がいらして、「演奏は終わりました。予定の時間にタクシーを呼び、もう来ています。お客様で混み合わないうちに、よろしかったらご案内致します。」と迎えに来てくださった。名残惜しくもあったけれど、感動を持続させるためにもすぐ帰ることにして立ち上がった。タクシーに乗り込みながら、ホールの方に今日の全ての感謝を込めてお礼を陳べた。 家に帰り着いて、夫には、行かせてもらった感謝の挨拶のみで、済まないと思いながらも、興奮と疲労とですぐ床についた。 あれから20年の間に『マタイ受難曲』を5、6回、演奏者は異なるが、生のものを聞きに行っている。そのたびごとに感動のありようは異なるが、つい最近聞いた『マタイ』もまたこれまでと違った感動と感謝の思いで聞かせていただいた。 ひといきに20年というけれど、解説を必要とする宗教音楽やオペラなどの生演奏の場合、各個人が解説プロを繰って耳障りな音を出さずに済むように、正式な機械の名称も、いつ、どの会場ではじめたのかも、わたしは知らないけれど、最初は舞台の正面の上の方に、字幕スーパーのようなものが設置され、最近ではさらにそれが舞台の 両脇にセットされて、観客はかなり見やすくなったようだ。 わたしがはじめて『マタイ』を聞きに行ったときは、曲が進むに連れて、あちこちでがさごそと紙をめくる音がして気になったがそれが解説を見るためだろうと気づくと、これは仕方ないなと思ったのだった。ところが2千年の5月に行ったときは、それが聞こえないので、友人に尋ねると事情を説明してくれた。 何れにしてもわたしたち視力障害者は、鑑賞するものの内容について事前に知っているかいないかで、普通の人たちとの差がますます大きくなっている。もっともその場で字幕を追うことに必死で、本当の音楽から耳は遠ざけられ、音楽の響きから発せられるスピリットを聞き逃すこともあるかもしれない。(これはわたしの傲慢である。) 『マタイ受難曲』のテキストはマルチン・ルターのドイツ語訳であるから、ドイツ語が分かり、聞き取れたなら最高である。言葉を理解するために日本語訳された『マタイ』はやはり無理がありそうだ。バッハがドイツ語の響き、イントネーションに合わせて音の配列を決めた以上、日本語がそれにぴったり当てはまるわけにはいかないだろう。 わたしは2度ばかり日本語訳の『マタイ』を聞かせていただいているが、わたし個人の加齢もともなって聴力は衰え、せっかくの日本語もよく聴き取れない。それに、歌手たちも本来ドイツ語で、イタリア語で、というように、西洋言語発声法をトレーニングしてきた人たちである。母国語とはいえ、日本語で唄うには、日本語の発声法を新たに学ばなければならないであろう。日本の歌曲さえ、西洋音楽を学習した人たちの言葉は聞き取り辛いことが多いからである。 大変横道に逸れてしまったが、日本語訳『マタイ』を聞かせていただいたわたしとしては、どのみち分からない言葉であるなら、いっそのことまったく分からないドイツ語で聞かせていただいた方が、音楽に没頭できる気がした。その代わり、日本語での解説、対訳、書き手の思い入れが過ぎない確かな解説をしっかり読んでおきたいと思った。 2010年10月10日 日曜 |
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