「うか」089  連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子
 わたしは家事仕事が大好きだ。
 本を読んだり、パソコンを使ったりして、疲れた頭をほぐすのは、なんといっても家事仕事が1番だ。本当は植物が一杯の自然の中を1人で散歩したいのだけれど、それはままならないことなので、手近で、当たり前の家事仕事に切り替えるのがうってつけである。
 とくにいろいろなお野菜を刻んでわたし流の料理、というにはおこがましいけれど、にんじん、大根、蓮やお芋の類などの根菜類、椎茸、シメジその他の茸類、きゃべつや白菜、ほうれんそう、からし菜、わさび菜、せり、三つ葉、その他の葉物や香味野菜など、なるたけ沢山の種類をそろえて、お気に入りのまな板で煮物用、炒め物用、お浸し類など、使い方に併せて切り方を決めて、トントンと刻んでいるうちに、頭も身体もリラックスして、豊かな気分になってくる。凝り固まった肩もほぐれてゆく。
 煮物やお味噌汁用に、これもお気に入りの、手触りのよい木組みの美しい、鰹節削り用の鉋を入れた木箱を出して、かつ節を丁寧に削る。
 お魚は焼くか煮るかに決めている。 少し時間に余裕があるときは、これも大好きな厚手のテフロン加工の四角い、厚焼き卵用のフライパンを使って、たっぷり厚焼き卵を焼く。そんなとき、焼き上がった卵の形は、少々崩れてもリッチな気分になれる。
 てんぷらのような揚げ物は、ここ数十年やっていない。てんぷらは食べ手が少ない2人分といっても、沢山の種類をひとつ、ふたつずつ、イカもお魚も、当然お野菜の何種類かもそろえたいので、それらを揚げているうちに、お腹が一杯になってしまい、肝心な食事のときにはもう、てんぷらもカツも食べたくなくなるほど、脂の臭いに辟易してしまう。そして本当に美味しいはずの、出来たてを実際には食べられない。
 もう1つ、揚げ物をやらなくなった理由がある。それは、お餅をアラレ状に切ってカキモチを作っていたときのことである。カキモチを揚げ終えて、丁度火を消したところで、突然大きな地震が襲ってきた。揚げ物をするときわたしは、何時も、脂が少なくてすむ、中華鍋を使っていたので、このときとっさに、この中華鍋がガス台から転げ落ちたら大火傷をする、と思った。この程度の揺れならわたしの手で鍋を持って流しに移した方が安全だ、と判断した。ガス台と流しとの距離は約1メートルほどである。わたしは必死に鍋を持って流しの中に脂を捨ててから、その鍋を流しの中に置いた。恐ろしさと緊張から身体が震え、冷蔵庫に背をもたせて床に足を投げ出してヘナヘナと座り込んでしまった。胸の動悸と腰のキンキンする痛みが同時にやってきた。地震は収まっているのに、10分か20分以上は動けなかった。やがて拍動性の腰の痛みが徐々に治まり、そろりそろりと立ち上がって、揚げあがったカキモチを、お塩を振るものと、お砂糖を絡めるものとに分けて処理し、流しに置いた中華鍋と、脂まみれの流しを洗い終えて一息すると、恐ろしさがよみがえって、寒気がするほど身体が震えだした。居間へ行って、布団も敷かずに、炬燵に足を入れて寝転んでしまった。
 最初の揺れがきたとき、「大丈夫か?」の夫の一声に、やっと「大丈夫」とだけ応えた。むしろそばへ来て、わたしの行動や衝撃を知られたくなかったからである。夫が聞いているラジオから、震源地は八王子で、 震度は、東京都区内は4というのが微かに聞こえていた。あれは真冬でも真夏でもない。いいえ、お正月のお餅をカキモチにしたのだから、まだ寒い季節だったが、ストーブ類を使っていなかったのは助かった。
 この恐ろしい体験をしてから、揚げ物はパッタリと止めてしまった。
 そんな訳で、今年の3月11日の東北大震災直後にわたしは自分の、この体験を思い出した。言ってみればわたしの恐怖は一過性のものであったのだ。けれども東北の方々だけでなく、関東でも大きな地震に遭遇し、被害の大きかった皆様の恐怖とその後の困難さは、わたしの想像以上と思う。

 お掃除の時間は頭の疲れをほぐすというより、むしろ自分の思いに耽ることの多い時間である。掃除機を使うのも、床拭きも、動作は単純だからだろう。床の拭き掃除はよほど汚したときでなければ日に1度か2度で、たいていは朝食をすませてから、台所の後片付けの仕上げのように、床拭きをしながら、今日すぐやらねばならないこと、今日の外出のことなど考える。その日家に居られるときには一層自分の思いに沈む。苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、自分自身が情けなくて落ち込んだりして、その喜怒哀楽は様々だ。もちろん楽しいことうれしいことにも心が動き、幸せな気分になることだってある。
 あるとき、ふと床拭きをしながら、わたしがこの家に越してきたころの、この床掃除の大変だったことを思い出した。
 このフローリングは荒削りのもので、そのころわたしは、暇さえあれば床拭きをしていた。わたしの手はごっついのに、手のあちこち、指といわず手の平にも甲にも、棘(とげ)が刺さる。皮膚が切れてお湯や水が沁みる。ぞうきんを絞っても、そのぞうきんに刺さった棘でわたしの手はさらに切れた。それほど最初のフローリングはひどかった。ところがあれから8年経った今日このごろでは自分でもびっくりするほど床はスベスベになっている。もともと粗末な素材なので見た目はたいして変わらないのかもしれないけれど、少なくとも、わたしが触れるかぎりは表面のささくれだったガサガサはなくなっている。残念ながら、まだ押し入れの敷居は、ぞうきんを往復させるとかならず棘を刺してしまうので、一方方向にぞうきんを動かさなければならない。この押し入れなどの敷居は未だにわたしを悩ませているが、さすがに台所の床板は、どの方向にぞうきんを動かしても、もうとげを刺すことはなくなった。それに気づいたとき、「積み重ねの結果」なのだと、こんな小さなことでうれしくなった。
 ただ、我が家のフローリングは特別なのだろうか?ひどく静電気を呼んで、埃が付きやすく、今拭いたばかりだというのに、何か床に落したものを拾おうとすると、目的の捜し物より先に埃が手についてくるのである。 これにはがっかりして、最初は何度でも繰り返し拭き直していたが、さすがに諦めて、近頃は日に1度か2度の拭き掃除ですませている。
 この家に越す前の家は、昭和25、6年頃に建てられたものなので、特別いい素材ではないけれど、間違いなく本物の木なので埃が付くことはなかった。この点だけは古い家が懐かしい。

 家事仕事の3大要素は、掃除、洗濯、料理といえようか?さてその洗濯は?
 わたしが結婚する頃はもう既に洗濯機はほぼどこの家にもあったけれど、早くから父親代わりの兄は、「冷蔵庫も洗濯機もそろえてやりたいけれど、ちょっと大変なのでどちらか1つにしてくれないか?」と言った。わたしは即座に、「冷蔵庫の方が高いので申し訳ないけれど、洗濯なら自分でできるので、冷蔵庫を買ってください」と頼んだ。兄は「なるほどそういう理屈か、じゃ、冷蔵庫を買ってやるぞ」と言ってくれたのだ。
 従って結婚してから長い間、シーツも布団カバーも手で洗っていた。特別苦労とも思わなかったが、かなり経ってから、引っ越しなど家の事情が変わり、洗濯機を買おうと決めたとき、わたしは兄に、なんとなくすまない気がして、「洗濯機を買ってもいいですか?」と話してみた。兄は「おう、よかったな」と喜んでくれ、むしろ、「そろえてやれなくて悪かったな」と言わせてしまい、ちょっとわたしは困ってしまった。
 そんな時代を経て、近頃では手で洗うものはウールのセーターや特別の衣類だけと、限られたものに減っている。

 洗濯というのは、洗って、干して、取り込んで、たたんで、箪笥に仕舞うまでをいうのだと思う。ところが、ときどきわたしは朝干したものを、慌ただしく、もう乾いたかな?と今すぐ着たいものの乾き具合を確かめて、そのまま身に付けそうになる。すると優しかった懐かしい母の声が聞こえる。「せめて1度はたたんでから着なさい」と。わたしははっとして時間がなければ、急いで簡単に袖畳みだけでも、形ばかりの真似事をしてから着ることにしている。母は、乾いたら、きちんと畳んで箪笥にしまうもの、着るときは箪笥から出すものだと常々言っていた。確かに自分以外の人(たとえば姉や姪親子)の衣類は丁寧にたたんでいる。
 この「衣類をたたむ」という行為には特別な意義がありそうだ。食事をともにすることより、その人の衣類を畳むという実質的な行いは、その人と、より近しい関係が生じているからだろう。たたみながら持ち主のことをごく自然に考え、その人の魂を包み込み、わたしからの愛も注ぎ込んでいるからである。

 このことに深く気づかされたのは、フランクルの『夜と霧』を読んでいたときのことである。
 「あのアウシュヴィッツの捕虜収容所で、最後まで精神を乱さずにいられた人の日常の行動をよく観察していると、日々の小さなことがらを忠実に丹念に、しかも黙々とやっていた人たちだった。たとえば、あてがわれた粗末な衣類を毎日丁寧に畳み、衣類のほつれは小さいうちに、とれそうになったボタンは、落ちないうちに修復する、という人たち」
 と書いている。ここを読んだとき、わたしは深い感動と衝撃を受けた。簡単そうなことが、人の生き方を大きく担い、日常の小さなことを誠実に行うことが、大きな支柱になるのだと!
                                2011年11月28日(月)
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