「うか」080 連載初回へ  トップページへ

わたくしごと

                      木村多恵子

   ゆるし
                        
八木 重吉 
    神のごとくゆるしたい
    ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
    花のようになったらば神のまへにささげたい

 これは、ひたむきなキリスト教信仰者である詩人八木重吉の詩である。
 重吉は「許す」ということの難しさをこのように平易な言葉で表現している。
 人から投げつけられた憎しみや怒りや、いわれのない悪意をも、相手に投げ返さずに、まずそのまま受け止める。そうしてひとつひとつ、それらの憎しみなどを、自分に投げつけられる理由がどこにあるのだろうかと考える。自分に非があれば、当然その解決法を探すだろう。けれどもそれが、相手に通じない場合、理解してもらえぬ苦しさで、あるいはなお、深みにはまってしまって、修復が困難になり、なぜ分かってくれないのだろうと、かえって相手を攻めたくなるかもしれない。
 また、どう考えても他人が見てさへ、そのことについて許せないのは無理からぬことだ、と思えるほどのこと、たとえば愛する肉親にたいして危害を加えた相手などを、許すなどとても困難である。むしろ相手への憎しみが膨らむばかりであろう。
 そのほか、差別や偏見、さらには戦争まで含め、人間のもつ醜さや愚かさも許し難いこととして、重吉は、これらを石つぶてや氷の塊とし、自分の胸に抱き留め、時間をかけて温め、砕き、溶かし、完全に氷解させ、美しい花束に作り替えて神に捧げたいというのである。
 しかし、重吉自身、それがどんなに難しいことであるかをよく知っている。花にまで作り替えるなど到底無理なのだ。この花とは「やっと許し終わったもの」ではなく、もっと澄み切ったものでなければならない。なぜなら、「許す」という行為の前提には、最初、怒りがともなっているからである。その怒りをさへ発生しないように感情を抑制したりするのではなく、怒りそのものが最初からなかったかのような純粋さ、言うなれば無の境地にまで高めたいのだ。
 重吉は最初から、「これは至難の技だ」と言っている。「神のごとく許す」なんて、人間にはできるはずもない。だからこそ祈るしかないのだ。忍耐する意志、希望、「許したい」、「ゆるせる心を与えてください」と、その〈完成〉を切望し、憧れ、成就したいと願うのだ。
 そこまで純化させ昇華させられないとしても、その何百分の一なりとも、神の前にひれ伏してこの花を捧げたいという。
 キリストが、すべての人の罪を取り除き、それらの罪を許すために、十字架に架かって死なれたように、重吉も少しでもキリストに倣って、この困難な道を進んで行きたいと祈るのである。
 八木重吉は、明治31(1898)年2月9日、現在の町田市(当時の東京府南多摩群堺村)に生まれた。病弱ではあるが、冒頭で述べたように、キリスト教の深い信仰をもっていた。そして、教師をしながら、驚くほど沢山の詩を書き、詩人として次第に世に知られるようになってきた。
 ここに挙げた「ゆるし」は、大正14(1925)年10月8日の詩稿、『しずかな朝』の40編の中の1編である。[『八木重吉全集』第二巻、昭和57(1982)年10月26日所収、筑摩書房]
 詩集『貧しき信徒』[佐古純一郎選、昭和33(1958)年12月、新教出版]は、人々に広く読まれた。「ゆるし」はここに納められていた。わたしは八木重吉イコール『貧しき信徒』として記憶している。
 重吉は、富子と熱烈な恋愛をし、たった4年一緒に暮らした後、29歳という若さで病死した。昭和2(1927)年10月26日のことである。
 重吉は、新しい詩ができると、「おおい!とみこー!」と叫んで、「おれが呼んだらすぐに来い、一番最初に聞かせたいのだから」と言っていたという。富子は重吉の死後、歌人・吉野秀雄と再婚しているが、重吉のすべての詩稿を大切に守り、富子宛の手紙も含めて、戦争中も持ち歩いて今日に残している。
 わたしがこの詩に強く惹かれるのは、わたし自身の中に、様々な欠点があり、自分でも許し難いと思うものを沢山見出すからである。これは罪のひとつである。この罪を、わたしなりになんとか消し去りたいと必死に願う。けれどもこの願いは途方もなく難しいことが、日々の生活の中でよく分かる。重吉が命をかけて、清らかな花を神の前にささげようと努力したように、わたしもそんなまねごとを、できることならしてみたい。
 この詩に出会って、わたしの心に強く響くのは、わたしの傷みをも、重吉が背負ってくれているように思われるからである。
 重吉は、なぜこれほど複雑なことを、限りなく優しい言葉で言い表すことができるのだろう。重吉はほんとうに純粋で、豊かな、しかし激しい情感を持った詩人だったのだと想像する。
 わたしは、この「ゆるし」という詩に作曲されたものを聞いている。その他、この作曲家以外にも何人かが、重吉の詩に引きつけられてこの詩以外のものに作曲していることも知っている。
 今後も、人々の魂を揺り動かす詩として、八木重吉が残した詩の数々は永く読み継がれてゆくだろう。
                               2010年6月3日 木曜

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