「うか」092 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 わたしの体形は小柄である。洋服を買うには、いわゆる「小さいサイズのコーナー」に行かなければ身体に合うサイズのものは見つからない。
 Tシャツやセーターのようなものはそこで探している。
 けれどもスーツなどはどこかわたしにはしっくりこない。袖が長すぎたり、どことなく見頃が大きすぎる。たとえば上着のボタンをかけるために、合わせようとすると、自然に、わたしの手はボタンの位置より深く重なり合ってしまい、そのずれに気づいてきちんとはめる。つまり、それほどその上着は、わたしには大きすぎるのである。
 そんな訳でスーツなどの洋服は、幸運にも姉が洋裁を趣味にしているので、昔から、わたしの洋服はほとんど全部といっていいほど姉が作ってくれている。
 姉はプロではないけれど、わたしにとっては「お任せデザイナー」である。姉の仕事はわたしを連れて生地探しに行くことからはじまる。最近では生地屋さんがめっきり減ってしまったので、お店はおおよそ決まっており、そのお店の「特売日」に焦点を合わせて二人のデート日を決める。二人とも結構忙しくしているので、デート日を合わせるのも難しい。それでも必要なときは二人とも頑張って日程を調整し、二人が落ち合うのに都合のよい地点で待ち合わせていそいそとお店へ繰り出す。反物はきれいに並んでいるので、並べられた順にさらりと探す。既に一着分に、あるいは反物の最後を適当にまとめられた端物が重なり合ったところでは、これまたわたしの手は活躍し、この手で自分に気に入った手触りのものを探す。ふくれ織り、ジャガード織り、綾織り、平(ひら)織り、ひとこし縮緬(ちりめん)風、ニット。サッカーやリップルにしてもいろいろな手触りのものがあり、選ぶのに迷うことはしばしばである。二人の楽しみはここが「生地探し」の醍醐味である。
 生地選びはわたしの手と姉の目で、感触と、色と模様を吟味して探す。

 わたしの生地選びに欠かせない条件は、冬物は「軽くて暖かくてチクチクしないもの」!夏物は「涼やかで軽やかで肌を刺激しないもの」!と決まっており、色と柄は姉の意見が優先される。なんといっても「決めて」の最大条件は「お値段」によるのも当然である。
 一般にスカートと長袖の上着を作れる分量の生地を「着分(ちゃくぶん)」として用意されているものから探したり、反物として並んでいるものから探すのは実に心楽しいものである。姉はなかなかの倹約家で、「着分」として用意されているものから、わたしのためにスカートと長袖の上着、それに半袖のものかベストまで作り出してくれる。これは、多分型紙を起こして、生地を裁断するときに、いかに無駄なく生地を生かすか工夫をしているのだろう。ときには共布でバッグまでそろえてしまう。これは手品のようだ。
 もちろん必要な分量だけ計算して、反物から切って買うことも沢山ある。二人はおおよそのデザインは決めているが、多くは選んだ生地の雰囲気で決めている。姉は長年お世話になっている洋裁の先生にも相談に乗っていただいているという。
 生地探しは実に楽しい。姉はお店のフロワ全体を見る。わたしは、めぼしい生地のありそうな一角に一人で立って、この手を生かして探す。色と柄については姉のチェックが入る。「それはあなたには色がきつすぎる」とか、「模様が似合わない」とか、たまには「色を変えればいいかな?」と言ったりする。「お買い得品」として積み上げられた生地の山の底の方から引っ張り出すようにして見つけ出して、「これは?」と聞くと、「あれ?どこから見つけたの?」と言われることもある。これは宝ものを探し出したようなもので、まあめったにはない。生地探しは結構エネルギーを使うので大変だ。そのためにこれまでにも体力が無くなって、なにも探し出せないこともあったり、「ハイ」な気分に乗せられて、一点に絞り込めずに、何枚も買ってしまうこともある。むろん姉は一度も無駄にしたことはないので、結果として後悔したことはない。
 もう30年ほど前のことになるが、わたしの生地探しの自慢話のような体験がある。あるデパートで例のごとく探していたとき、わたしはすっかり気に入って「ねえねえ、これは何色?」「クリーム色よ」「この生地をたっぷり使ってワンピースを作ったらすてきね」と言った。ややあって、「あなた、そんなものをさわらないでよ」と姉が低い声で言った。「1メーター14万円よ」という。二人は店員が側へ来ないうちにそそくさと、でもさりげなくその場を離れた。姉が言うには、その生地は100パーセント絹なのだという。今思い出してもわくわくするほど柔らかく、手にしっとりとまとわりつくしなやかな感触で、優雅に着こなせたらすてきだな、と今だに忘れがたい一品である。
 こんな風に、わたしの洋服作りには、わたしと姉の思い出の中にエピソードがたくさん詰まっている。
 「小さいサイズのコーナー」へ立ち寄るのもデザインを決めるための目的のひとつでもあり、探検でもある。同じようにデパートの洋服売り場を歩くこともある。これは、姉が考えているデザインを具体的にわたしに教えるためで、「ペプラムというのは、こんなふうに上着やスカートの裾を切り替えたりすることよ。いろいろなやりかたがあるけれどね」と言いながら、お人形に着せかけているものをそっと触らせてくれたりもする。ことなる素材の上下の組み合わせ、ブラウスと上着とスカートの組み合わせ方などを教えてくれるのも、楽しみのひとつである。ただ、買う積もりはないので、「ご免なさい」と心でつぶやいている。
 姉は生地に合わせてデザインを決め、型紙を起こし、裁断し、仮縫いをする。そして、たいていはわたしの家に仮縫いの調整をしに来てくれる。ときには仮縫いが二度になり、わたしが姉の家へ泊まりに行くこともある。若いときはそんなとき徹夜でおしゃべりもしたが、さすがにこのごろではそれはできなくなったが、もちろんこれも二人の楽しみである。
 仕立て上がりを着るうれしさ…!
   いったいいつ頃から姉がわたしの洋服を作り始めたかというと、姉が小学校6年生のときで、家庭科の時間にわたしのブラウスを縫ってくれたのである。化繊ではあったが、ジョーゼット風の、白地に朱い熊の模様だった。わたしには多少の識別はできたが、模様の形までは分からず、ただ朱と白の色分けだけはわかった。このブラウスと、近所の、わたしを特別にかわいがってくれたおばさんからいただいた、白いスカートは、わたしの最高のお気に入りで、誰彼にとなく、「これはお姉ちゃんが縫ってくれたブラウスなの」と自慢していた。
 あれから60年、ずっと姉に頼り切ってきた。これまでの洋服のすべての端切れを取っておけばよかったと思っている。中にはオーバーも、夏のコートもある。
 どの洋服にも思い出は染みこんでいる。これら全ての端切れを見るだけで、姉とわたしの人生絵巻が綴られるだろう。あの姪の結婚式、友人の結婚式、わたし自身の結婚式、どこそこへの旅行、あの日の音楽会、もう現実には遠に陰も形もなくなってしまった洋服たちの一枚一枚にも、思い出は一杯詰まっている。せめて端切れだけでも残してあったら、楽しいことも、悲しいことも、その断片から、もしかしたら忘れかけた「なにか」をその服の襞のどこかに残してきたことを思い出すこともあるかもしれない。
 姉がこれまで縫ってくれたこれらの洋服は、まったく本当に、ほんとうに、「世界に一つ」しかないものばかりである。
 ふと思えば、わたしにはほかにも「世界に一つだけ」のものがたくさんある。たとえばお手製のセーターやカーディガン、ハンドバッグ、たくさんのかわいらしい袋物、象牙の根付け、わたしには縁遠いものと思われるもののようだけれど、とても大切な方が書いてくださった、自筆の書(聖句)なども、「ただひとつのもの」なのである。
 これらの人々に、わたしはどれだけ沢山の、心と現実の贅沢をさせていただいているかということを、つくずくと考えている。そして改めて感謝している今日このごろである。
                                    2012年5月30日 (水)
前号へ 連載初回へ  トップページへ 次号へ