「うか」100 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子
(以下、引用)
          巻第一
        雑歌(ざふか)
 初瀬の 朝倉の宮に 天の下 知らしめす 天皇の代
 [はつせの あさくらのみやに*Bあめのした しらしめす すめらみことのみよ 〔大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと〕]

 天皇の 御製歌

 籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ居れ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
 [こもよ*Bみこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへのらせ なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそをれ われこそば のらめ いへをもなをも]
 (伊藤博(はく)著、『萬葉集釋注』)


 以前わたしは、この稿で『万葉集』について書いた。(羽化79号・2010年4月発行)。
 そのときは友人に週に1回、おおよそ2時間ずつ、詞書きも、歌の訳も解説も、訳注も語釈も、もちろん白文の漢文も、ただ読んでいただくだけで、わたしは歌のみを、しかも仮名書きで点字で書かせていただいたときのことを書いた。歌のみを写し取ったとはいえ、8年を要した。大満足とは言えないけれど、当時としては精一杯のことで、書き終えた日のあの興奮は忘れられない。
 ところが、今現在、横浜の皆様が伊藤博著『萬葉集釋注』を漢点訳し、東京の皆様が校正のお手伝いをしてくださっているのである。冒頭の引用は、その第1巻第一首である。
 この原文は、万葉仮名で書かれている。対面朗読の形で読んでいただいていたときにも、主な言葉に使われている漢字を教えていただいていた。けれども今回、4巻まで漢点字データをいただいて、そのうちの第一首を見ているだけでもワクワクしている。とくに、原文の漢字を見ると、やはりこれは確かな「仮名読み」と解説が無ければ、万葉仮名は読めないと思った。
 たとえば、
 「籠もよ み籠持ち」は、原文では「籠毛與 美籠母乳」とあった。「掘串もよ み掘串持ち」の原文は、「布久思毛與 美夫君志持」となっている。「掘串」は、多分菜を取るために土を掘り起こすためのヘラのような道具ではないかと思うのだが、原文では二度目はことなる文字を使っているのはなぜだろう。とはいえ、それでもここまではわたしにも読めた。わたしが読めなくて困った文字は、読み始めてすぐに出てきた。原文の、「岳尓」に当たるところを、本文に戻って読むと、「岡に」とある。わたしの心に「岳」が大きく広がった。
 歌を暗唱していなければ原文を読みこなすのは苦労する。この歌は、あやふやながら、おおよそ全部そらんじていたと思っていただけに、「これは大変だ」と、当然な衝撃を受けた。
 「やまと」という書き方も「山跡」という文字を見つけた。「大和」、「倭」だけではなかった。

 わたしが最初に『万葉集』に興味を持ったのは高校時代のことである。
 国語の教師が、我が国の宝である『万葉集』が教科書に、ほんの少ししかないことを残念に思ったようで、点字製版、印刷ができる教師と組んで、巻1の1番の、「こもよ みこ もち ふくしもよ みぶくし もち この おかに な つます こ いえ のらめ な のらさね …」を初めとして、おおよそ200首あまりを、各巻から主立ったものを選んで、プリントして配ってくださった。
 わたしはこれまで古典に触れたことがなかった。ましてや古代の歴史など更に知らなかった。ただ、持統天皇の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」と読んだとき、「あれ?春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山、ではなかったかしら?」と、子供のころ遊んだ百人一首を思い出していた。するとわたしの疑問が、教師に伝わったかのように、「これは、少し言葉は替えられていますが、藤原定家が、小倉百人一首を編纂したときに、この万葉集から選んだものです。みなさんはカルタ遊びで知っていると思います」と説明してくださった。
 だんだん読み進んでいくうちに、他にも、「あ、知っている」というのが何首も出てきて、次に配られる点字用紙10枚ほどのプリントが待ち遠しくなった。
 有間皇子(ありまのみこ)の悲劇、壬申の乱の話…大伯(おおく)の皇女と大津皇子の、姉と弟の深い愛情…。
 香具山と、畝傍(うねび)山と、耳成山を擬人化し、畝傍山を女性と見立てて、香具山と耳成山が、畝傍山を取り合ったというけれど、昔から、今と同じようなことをしているものだ、というすこしユーモラスな歌、「香具山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき神代より かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき」の歌など、次々と楽しみながら、K先生の話に聞き入った。先生はその他、額田王(ぬかたのおおきみ)や、鏡の大君のこと、但馬(たじま)の皇女と、穂積(ほずみ)の皇子との相聞歌、など、歌に纏わる話とともに、彼らの歌の魅力について熱心に語られた。
 「傘の郎女(かさのいらつめ)の歌が好き」、「わたしは大郎女(おおいらつめ)の歌が好き」、と女生徒たちは放課後にワイワイ語り合った。
 大伴旅人(おおとものたびと)の「酒をほむる歌13首」が配られて、その解説を聞いた日の午後は、男子生徒も加わり、話は盛り上がった。特にお酒好きな男子は、「俺は旅人を知っただけで万葉集の偉大さ、すごさを知った」などと妙な関心ぶりにわたしは興味を覚えた。
 この高校時代に漢点字で『万葉集』を読んでいたら、もっと楽しかったであろう。けれども、わたしはそのころ漢字で読めるなんて夢のまた夢だと思っていた。
 今回の「羽化」百号では、わたしが漢点字で読みたかった『万葉集』を読み始めることができた喜びを、会員の皆様にお伝えし、まだ漢点字の世界を知らない人々に、ぜひぜひお勧めしたいと願うものである。
                                        2014年10月1日 水曜
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