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わたくしごと 木村多恵子 |
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わたしが少女だったころ、発端はどこからはじまったのか分からないけれど、お花や星に纏わる伝説が小説やものがたり、歌、そしてブローチなどまで、いろいろな形で、はやっていた。わたしにとっては英語の教科書にあったギリシア・ローマ神話の「アポロンとヒュアキントス」の物語からはじまる。 (引用1) アポロンは美少年ヒュアキントスを大変かわいがり、彼の行きたがるところなら、山でも川でもいつでもついて行って世話をし、一緒に遊んでいた。 ある日、鉄の輪投げ遊びをしていたとき、アポロンが投げた鉄の輪が、地面に落ち、それが跳ね返ってヒュアキントスの額に当たってしまった。ヒュアキントスは気絶した。慌ててアポロンは彼を腕に抱え、手を尽くしたが、ヒュアキントスは死んでいった。音楽の神であるアポロンは、「わたしの竪琴と歌で、お前を讃え、お前の運命を語ろう。そしてお前はわたしの悲しみを表す花になるであろう。」 と言っているあいだに、ヒュアキントスの血の滴りが草を染め、紫貝で染めたデュロス染めよりも美しい紫色の一輪のヒヤシンスの花になった。アポロンはその花びらに、「AI AI」と書き付けた。それはギリシア語で「悲しい 悲しい」という意味である。 ある学者によれば、この花はヒヤシンスではなく、アイリスあるいはひえん草(そう)、またはパンジーだろうともいう。(引用終わり) この物語の他に、「エコーとナルキッソス(スイセン)」の物語や、アンデルセンのけなげな『ひなぎく』の話、星座「カシオペア」の物語、宮沢賢治の『よだかの星』なども友人たちとのあいだで話題になった。 中でも今なお心に残るものは、スイスに伝わる話である。 (引用2) わすれなぐさ (スイス) ある小さな村にとても仲の良い男の子と女の子がいた。二人はどこへ行くにも一緒で、ある日彼らは山へ遊びに行った。ゴウゴウと流れる川のほとりに着いたとき、女の子はかわいらしい花を見つけて、 「ねえ、見て、とってもきれいなお花が咲いてる」 「あ、本当だ」 男の子は、そのきれいな青い花を女の子にプレゼントしたくなり、 「ちょっと待ってて」 と言って、服が汚れるのもかまわず、男の子は花を取りに、川べりを下って行った。 ところが、花に手が触れたとき、足が滑ってしまった。男の子はとっさに、摘み取った花を女の子の元へとほおり投げた。 「君のこと、ずっとずうっと大好きだよ。どうかぼくのことを忘れないで」 川に流されていく男の子の声が、激しい水音の中で遠ざかってゆき、とうとう見えなくなってしまった。 女の子は泣きながら、もらったばかりの青い花をそおっと胸に抱いて、 「わたし、ずうっとずうっと忘れない」 と言った。 それ以来この花を「わすれなぐさ」と呼ぶようになったという。(引用終わり) クラスのひとりが言った。 「ぼくはその花を女の子にあげられたらそれでいい。その子が、その後幸せに暮らせればなおいいけれど、ぼくは、花を受け取ってもらえただけで、この少年のようにおぼれ死んでもいい」 わたしは衝撃を受けて、ただ黙っていた。するとひとりの少女が言った。「それは自己満足じゃないの?」 少し考えてから彼は言った。 「そうかも知れない。けれども、ぼくはそれでいい。だって、その時にできる最高のことをしたのだから」 少女たちは納得しきれない憤懣を浴びせかけた。「何でそんなことで満足できるの?」 「もっとほかにも方法はあるでしょ?」「なんという意気地のないことを言うの?」 「だって、言葉にはならないけれど、女の子はその花を欲しかったんだよ」 「花なら他にもあるさ」とか、「たった一輪の花と自分の命と取り替えられるか?」などと混ぜっ返す男の子もいて、総攻撃を受けた彼は、だんだん黙ってしまった。そして次の授業は体育だったので、この話題はそれきりになった。 けれども、「そのときに人のためにしてあげられる最高のことをする」といった彼の言葉は、わたしの胸に重く響き続けた。わたしならお花などいらない。それより一緒に生きて行きたいと単純に考えていたのだ。 (引用3) 詩 わすれなぐさ ウィルヘルム・アレント 作 上田敏 訳 ながれのきしのひともとは、 みそらのいろのみづあさぎ、 なみ、ことごとく、くちづけし、 はた、ことごとく、わすれゆく (引用 終わり) あれから50年を経て、学齢以前からの友が、スイスに伝わる伝説に寄せて、ドイツのウィルヘルム・アレントが詠んだ、この美しく切ない詩を教えてくれた。 「〈波、ことごとく、くちづけし、〉、…ねえ」とため息混じりにわたしはささやいた。 すると彼女が、さらに小声で言った。 「はた、ことごとく、忘れゆく」 そして、二人は同時に「〈しかも、もとの水にあらず〉(方丈記)」と言った。 そして、あまりの儚さに、二人は長い沈黙に落ちてしまった。 わたしは、この「波、ことごとく、口づけし」の一行は、激しい川水が飲み込んでしまった少年を、次第に穏やかな流れに変わったすべての波が、慰めの弔いと、やさしい別れのあいさつを、少年に送っているように思えた。抗いがたい大自然は、絶えず新たなものと和合してゆく。 多分友も、同じような連想をしたのだと思う。そうでなければ、「しかも、もとの水にあらず」と一緒に口をついて出はしなかっただろう。 この友も、わたしの彼も、一輪の花を残して逝ってしまった。 * 参考 (1)トマス・ブルフィンチ作、野上八重子訳、『ギリシア・ローマ神話』 (2)内田伸子(うちだ・のぶこ)*B監修 ナツメ社 子供ブックス 「母と子の読み聞かせ 世界のお話120」(ママ お話聞きたいな) 文 高木栄利(たかぎ・えり)、 挿絵 小谷智子(こたに・ともこ) (3)詩 『わすれなぐさ』、ウィルヘルム・アレント、上田敏 訳、岩波文庫、1994年出版、『海潮音』 2014年11月15日 土曜 |
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