「うか」113 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 わたしには、わたしを含めて、あるグループで知り合った3人の親しい友がいる。
 わたしたち女性3人の共通点は視力0という視覚障害である。
 ひとりは自立した独身、ひとりは結婚し、既に社会人として立派に働いている娘さんを育て上げ、わたしはといえば、結婚はしたものの子は無く、今はその夫に先立たれたという、それぞれ異なる環境で生きている。
 ふと考えてみるとわたしたちのこの関係はもう4、5年にもなっている。わたしのように70を超えた多くの人の中には、幼友達、あるいは学生時代、その他趣味の世界など、いろいろな関わりの中から生涯にわたって親しく心を通わせ、密度の濃い永い交友関係を持ち続けている人も沢山いると思う。
 わたしたち3人の付き合いは長いとはいうものの、3人が一同に会することは昔は少なかった。言うまでもなく3人が時間を合わせるのが難しいことが大きな理由である。
 けれども、AさんとBさん、AさんとC、あるいはCとBさん、というように別々に会い、また電話を通して3人は互いの近況を知り、健康など気遣い合ってきた。

 Bさんは我が家へよく泊まりに来ては夜通し2人で話していた。

 Aさん母子(おやこ)は、泊まりはしなかったけれど、ご主人はお仕事をし、親子だけでよく我が家を訪れてくれた。
 子供を好きな夫は、わたしとAさん親子を連れて近所のお店へ行っては、夫の小遣いで買える程度のかわいいワンピースやパンツを買ったり、子供を銭湯にも連れていったりした。今では立派な女性になった彼女の前で、こんなことは言えないけれど、彼女自身も覚えていることは確かである。
 また、Aさん親子3人揃って来たときは、近くの公園や川沿いの散歩道へ5人で行き、途中にあるブランコや滑り台、ロクボクなど、子供が飽きるまで遊ばせながら、わたしとAさんは遊具の側のベンチに座って、子供のこと、学校のことなど様々に話していた。
 2人の男性は自分の持ちうる限りの視力を使って、小さな女の子を見守っていた。
 こうしてひと遊びしてから我が家へ戻り、Aさんの手作りのおかずと、わたしの作ったものなど、5人はささやかな、けれども真心込めた食卓を囲んだ。
 2人の男性の交わすお酒ものんびりと楽しそうで、みんなそれぞれ満足していた。

 小さかった娘はやがて大学生となり、自立して遠くの大学へ行った。
 Aさん夫妻の決断の立派さにわたしはただ驚嘆していた。

 ある年のお正月のこと、娘さんは親元へ帰って来ないというので2組の夫婦でお正月を過ごそう、ということになった。

 毎年作る昆布巻きや酢の物、きんぴらや煮豚ではなく、なにか珍らしい工夫はないか、とわたしは思案した。
 そんなとき、ラジオからおせち料理ひと揃いの宣伝をしきりに聞かされたわたしは、いつになくそれが気になり、いったいなにが入っているのか知りたくなった。
 「このおせちのお重1セットがあれば3、4人分はあるので、忙しい主婦も大助かりです」なんて言葉にいつの間にか心がそそられた。わたしは特別忙しい主婦ではないけれど、いったいなにが詰められているか知りたくなったのである。
 デパートやスーパーへ行ってみてもなんだか分からない。
 わたしは一計を案じた。
 そうだ、今年は2組の夫婦だけだから、いっそのこと同じものを2セット買おう。なにが入っているか、宝箱を探すつもりで、夫婦それぞれが1セットを手元に置いて好き勝手に気に入った袋を開けて食べてみよう。

 友にもことの次第を打ち明け、「そんなわけで、一切手ぶらできてね。ただこんなやりかたはいやだったら、まだ注文はしていないから、反対なら反対って言ってね」と伝えた。

 わたしたち女性は視覚0、それぞれの夫は強度の弱視なので、お重に添えられているお品書きや主な材料、料理法などの解説はまるで読めない。
まずお屠蘇を造るための屠蘇散らしきものが出てきた。これは作るのは面倒で、いきなり美味しいお酒にしようということになった。

 それぞれ風袋を触って、これは蟹だ、かまぼこだ、伊達巻だ、多分これは昆布巻きだろう。このコロコロした感じは小蕪かな? これは黒豆だ、田作り、銀杏、きんとんらしい。などと四人は袋を点検してから選んで開けて食べては、互いに報告しあった。
「これはエビだけど頭ばかり大きいなあ」
「この袋は蟹だ。はさみだなあ」
「当たりー、伊達巻きだわ」これを好きなわたしは喜んだ。
 でも当然わたしたちにとってはあまり美味しいと思えないものもある。がっかりしたり笑ったり。
 一番なになのか分からないものは練り物である。エビの味がするのでまあすり身にエビが入っているのだろう。蟹の味がする練り物もある。
 でも料理の名前がわからないことが、だんだんいらいらしてきた。最初は「食べてはいけないものはないからなにを口に入れても大丈夫だよ…。」などと笑ってもいたが、やはり素材がなになのか分からないのはおもしろくない。しかも練り物が続くとだんだんいらいらが募ってくる。なにを食べているのか本当のところ分からないままにやたらに開けては食べているうちに、おなかも一杯になり、みんなやや不機嫌にもなってきた。
 夫が「いったい誰がこんなこときめたんだ?」とAさん夫妻にまともに謝るのも変なのでそんな言い方をした。
 「こっちの袋は大きすぎるから開けたら大変だからそのままにしておこう」と、この騒ぎを終わらせることにした。とにかくお互いに1セットづつ責任があるからね。なんてわたしにおどされて、Aさんは困っていた。
 夫はそうでなくても食が細いので、割り当て分が増えている。
 やれやれまいったまいったである。

 多分賢い彼女はこんなつまらない冒険はどうかな?と思っていたであろうが、わたしがあんまりおもしろがって提案したので止められなかったのかもしれない。それはあとの結果で、わたしが反省したことである。

 結婚式場、その他の会食場でお料理を運んで下さる方が
「これは…です」とお料理の名前を言い、ごく簡単に素材と料理法を説明してから配ってくださるからこそ美味しいのだと思う。

 この4人の不機嫌の解消法として、夫の提案で「浅草へ行こう、ソバでも食いに行こう」ということになり、夫のおごりでおソバを食べたのだが、もうみんなおなかは一杯すぎて、そのおソバさえ何時もとは違ったのはなんとも情けないことであった。
 このおおまぬけな大失敗は2度と繰り返しはしないが、あれから15年経ってもわたしたち5人が集まるときは欠かせない話題のひとつである。

 今ではAさん一家が毎年初売りを目指して美味しいものをたっぷり買い求め、運び、娘さんのお世話で盛りつけ配膳、品物の説明一切をしてくださっている。我が家にある食器もよく分かっているのでわたしは小鉢などを出すのも彼女に任せきっている。
 わたしはただ後片付けをすればいいのだ。

 この娘さんが子供の頃「おじちゃん、おじちゃん」と言っていたのを、そのままわたしたちみんな「おじちゃんがね、おじちゃんわね」と彼のことも話し、彼もこの席の仲間にちゃんと座をしめている。

 今年も5人揃ったことを感謝し、来年も八広のこの家に集まりましょうね、と約した。

 やがてAさん一家が帰り、一晩泊まってゆくBさんとさらにおしゃべりをしながら後片付けをするわたしは、この仲間のあることを改めてありがたいと思った。
                          2018年1月4日(木曜)
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