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             わたくしごと
                                   木村多恵子

 羽化115号で私は「積み重ねられたわたしへの形見分け」として書かせていただきましたが、長すぎますので、二度に分けさせていただきました。恐縮ですが後半も目を通していただけましたら感謝です。
 〔羽化115号の木村のこの文章の上につきまして一部訂正させてください。高戸要さんのお名前は、本名は「高戸」であり、劇作家としては「高堂」を名乗っておられました。115号を読んでくださった友人が教えてくださいました。ありがとうございます。〕


   『積み重ねられたわたしへの形見分け』(下)

 「『銃剣とチョヨンの舞』の作者である李盤(イバン)はわたし(高堂)に言いました。
〈ベトナムの人に会ったとき、ベトナムのハノイにもチョヨンの舞のようなものを芝居にして、観てもらいに行きたくなりました〉と話してくれました。わたし(高堂)は気付きました。韓国がベトナム戦争に参戦したとき、イバンとその周辺の人たちは反対をしましたが、多くの韓国人の賛成を受けてベトナム戦争に加わったことをイバンは痛みとしているのだ、と思ったのです。 韓国は日本から被害を被り、その痛みを知っていたはずなのに、今度は自分たちがベトナムの人たちに被害を与えてしまった。これは韓国人が加害者で、ベトナム人が被害者であったことをイバンは自己告発しようとしているのだと思いました。私はイバンの話を聞きながら、〈人間の罪という現実が、繰り返し繰り返し歴史の中で起こってきて、それがチェーンのように繋がっていて、またその罪が増殖して、人間の歴史、人間の生きている姿をめちゃめちゃにしている〉と感じました。わたしはこの人間の罪の現実をどうすることもできないのではないかという絶望的な気分と、空しさに襲われたのです。けれども先輩仲間である椎名麒三(しいな りんぞう)が書いた戯曲が希望を持たせてくれましたので、ここに紹介させていただきます。」

   〔以下椎名麟三の戯曲『自由の彼方で』の一部を引用する。〕
 清作というコック見習いの青年が自殺します。
そこにスポットライトがあたります。
 清作(困った声で)  神様、わたしは、山田清作です。この死んだわたしは、これからどうなるんですか。 (間)  神様!
 神の声(ラウドスピーカーのような大きな呆れた声) ほんまにお前は、つまらんやっちゃな。
 清作(うちしおれて)  はい、神様。
 神の声  もう一度生きなはれ。
 清作(おどろいた声で)  え?また同じ目にあうんですか?
 神の声  そうや…みじんの狂いもなくな。
 清作  どうして、あんなくだらない生活をまたやるんですか?
 神の声(厳然と)  お前がそれをえらんださかいや。
 清作  だって、神様、あんな私の生活、ほんとうにくだらないじゃーありませんか。
 神の声(いかって)  ほんとうにやって?
 清作(おびえて吃る)  は、はい、ほんとうに…ほんとうに悲しいほどくだらないのです。
 神の声(いかって)  阿呆たれ!お前の生活はくだらんことはたしかや。しかしやな、ほんとうにくだらんとはいわせへんで。ほんとうにくだらん生活なんて、お前ら人間にはあらへんのや。そんなこと思うとるさかい、わいはお前をつまらん男やというんや。
 清作(神妙に)  はい、わたしはつまらん男です。ほんとうにそうです。
 神の声(いかって)  また、ほんとうにといいやがる。やっぱり、お前はもう一度生きなあかん。もう一度生きて、くだらんことはくだらんけどやで、どんな人生でも、ほんとうにはくだらんのやあらへんと、こうはっきり腹にこたえるまで生きるんや。

  ――――――――――――――――

 点訳された追悼文集をいただいてから一週間後に点訳者に会えた。
 「木村さん、あれ読みましたか?」と言われ、わたしは首をひっこめたくなった。難しくて全部は読み切れていない。正直にそう言った。
 「そうですよね、ゆっくり読んでください。あの文集に記されている聖書の箇所も、丁度わたしも、日本キリスト教団の聖書を持っていたので、記されている箇所を全部読みました。牧師さんのお話もよく分かりました。わたしは、今とても感謝しています。あの追悼文集とバッハに!つい最近孫が『マタイ受難曲』の、子供の合唱団の中のひとりですが、舞台に出て、演奏したのです。プログラムノートを見ながら 演奏を聴きました。最初は単純に、孫がこの合唱団のひとりとしてここに居られるのがうれしかったのですが、それはほんの最初だけでした。演奏が進むにつれて、ただ、もう涙がこぼれてこぼれて、ノートを汚すまいと、そのことも気になって困りましたが、とうとう音楽だけに集中することにしました。全く初めてのことです。木村さんから読ませていただいた文集があったからよけいにこのバッハの意味が分かったのだと思います。改めてありがとうございました。わたし、これで、もう何時でも死ねる。安心して死ねます。」
 と重厚なおごそかな声で語っていらした。
わたしは一言も言えなかった。が、やっとわたしは、
「バッハのことと、この文集のことでゆっくりお話しましょう。わたしも『マタイ受難曲』は大好きですから、まず、この文集を全部読んでからお時間を作ってください。わたしこそうれしいです。バッハのよさを知っていただけたことと、点訳していただけたこと、ほんとうにありがとうございました。」
 この日、これだけ交わすのが精一杯であった。点訳者が座っているところと、わたしとの位置、距離感も今だに忘れられないほど鮮明である。
 そしてその次の週は言葉を交わす時間もなく、わたしは家に帰った。
 その夜10時くらいだったか、点訳サークルから電話があり、
 「今夜会長が亡くなりました」という衝撃のニュースが入った。
 「え?」と言ったきりなにも言えず、一方的に相手の報告を聞くだけであった。
 心臓があまりよくないとは言っていらしたが?先週のあのときがお別れだったとは気づかなかった。というよりあの時は特別お疲れのようだったから、バッハと文集の話は次回にしようと思ったのだ。

 わたしは思いたい。本当にあの方は安心して逝けたのだろうと!ことさら一つの宗教を信ずる方ではなかった。
 けれどもこの追悼文集をお願いする時、わたしは念のため、
 「クリスチャンとしての生き方をなさった方の追悼文集なので、やはりキリスト教的考えかたのものですが、抵抗はありますか?」と問い、
 「それはかまいません」とおっしゃるのを聞いて安心してお願いできたのである。
 それが何と、お孫さんを通して、バッハに繋がるとは不思議でならない。

 この文集はこの方からの本当の贈り物と思っている。これはわたしにとって二重三重の、バッハを含めてこれらの方々からの「積み重ねられたわたしへの形見分け」ではないかと思っている。

 なお、奇しくも今年2019(平成31)年3月1日は「韓国独立運動祈念百年」に当たる。

【参考】
 劇作家高堂要(本名高戸要)
1932年4月10日生まれ、2001年12月21日(金) 死去 69歳
 椎名麟三、1911年10月1日~1973年3月28日 死去
 参考文集、『高戸要追悼文集』
日本キリスト教団三鷹教会有志、2002年2月発行、三鷹教会機関誌『井の頭通信』臨時号、 『高戸要 追悼文集』の漢点字訳者、草刈和枝、
 漢点字訳依頼日、2005年クリスマス直前
 2006年4月1日(土曜) 漢点字訳完成、
 2006年4月15日、漢点字訳者、草刈和枝、死去
                       2019年1月26日(土曜)
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