Uka91    トップページへ

漢点字の散歩(29)
                    
岡田 健嗣

 漢点字紹介」は前号で終了しました。今号からは、従来のスタイルに戻ります。

   吉本隆明氏逝く

 先月・3月16日、何時ものようにNHKのテレビニュースをつけて、朝食をとっていた。そこへニュースとしてはかなりの時間を割いて、吉本隆明氏の逝去が報じられた。同日未明であったという。
 それは如何にも準備万端整った報道であった。その後のマスコミ各社の報道は、何れも「巨星落つ」というもので、これも周到に準備されたものに思われた。ただその報道には、「共同幻想」とか「国家」とか、「大衆の現像」という吉本氏の用いた用語が挟み込まれていて、普段のニュース報道とは異なった肌触りを残したのだった。
 報道陣にはその準備の時間があれば、その時間を万全の準備に当てるのは当然である。そして吉本氏の逝去の報道は、その準備が充分整っていたことをも知らせてくれるものであった。
 私はこの報道を耳にして、「巨星落つ」などとは全く感じなかった。とうとう来るものが来てしまったか、と身体の芯にぽっかり空いたウロを感じたのみであった。勿論氏の齢は知っていた。そしてこの数年の発言が、記者によるインタビューを起こしたものであったことも知っていた。しかし氏の死は、報道から受けるものとは全く異なった印象を、私に与えた。
 私は強度の弱視者として生まれた。19歳で全盲になり、文字の教育は全く受ける機会を得なかった。
 現在も情況はそれほど好転してはいないが、当時の視覚障害者の読書環境は、極めて劣悪なものだった。文字の教育はなく、カナ点字による点訳書が僅かあるだけ、音訳がそろそろ始まったころであった。何れにせよ文字を知らない者が、漢字仮名交じり文をカナだけの表記に改めたものや、音訳者による読み上げに頼って読書しようというのであるから、極めて乱暴なものだったと言ってよいであろう。しかも盲学校の教師では、一般の学校の生徒へ言うのと同じ調子で、時あるごとに本を読めと言うのである。ある時校長の面談があった。校長はどんな本を読んでいるかと尋ねた。私は何も答えられなかった。校長の心象は誠に悪いものであったに違いない。が校長は、点字図書館に行けば、読む本は無尽蔵にあると、本当にそう信じていた様子であった。
 盲学校を出た当時、山本七平氏がイザヤ・ベンダサンの名で著した『ユダヤ人と日本人』という本が、ベストセラーになった。点字図書館には、ベストセラーはだいたい並ぶ。カナ点字と音訳書は、半年後には点字図書館の蔵書となった。
 私はといえば、どんな本なのか知らないまま、興味本位に借り出した。その衝撃は今でも忘れられない。読後の印象は、中身を理解してのことではない。そうではなく、日本という国は不思議な国だ、なぜなら、とても読み易い本ではなかったからで、もしこんな本が本当に読まれて、しかもベストセラーになったなら、これはどういうことなのか、くらくらする思いであった。
 同書が私にそんな衝撃を与えたのは、当時の報道には、中東の情況を、イスラエル対イスラム諸国と位置づけたものしかなかったからである。しかも多くは、イスラム諸国を善、イスラエルを悪として、イスラエルに対しては、批判的に終始していたからである。これは現在のマスコミにも、無批判的にそのまま受け継がれているように見える、あのベストセラーがあったにも関わらず。
 同書によると、イスラエル国民の3分の1はアラブ人で、イスラム教を信仰していること、イスラエルの社会は当時のソビエト・ロシアや中国に比べても遜色ない、いやその理念から見ればそれ以上に社会主義的な平等理念を実現していること、さらに山本氏は別書で、イスラム諸国は反イスラエルで一致して、足並みを揃えて行動していると言われるが、イスラエルから地理的に距離を置いている国ほど反イスラエルの声が高く、その発言も激越であることなどを述べておられた。
 このようにして山本氏の本に出会って私は、テレビやラジオでは何も分からない、分かりたければ相応の努力をしなければならないという、今にすれば誠に当然の辞儀に気付かされたのである。しかもこれも疑わしい、なぜなら、私は文字を知らなかった、そんな中でカナ点字や音訳で読んだ本から、どれほど読み取れているのだろうか?本当に読めているのだろうか?最も疑わしいのはこれであった。
 しかしその方法が読書しかないとすれば、できることから始めよう、そんな風に考え始めていた。そんな折りに友人が、吉本氏の本を読み聞かせようという、ある意味で暴力的な、しかしながらこの上ないありがたい話を持ってきてくれた。私が吉本氏の著書に出会ったのは、このようにしてであった。一般から見れば、極めて遅い出会いというほかない。そして山本氏の著書から得た、あの目くるめく思いを倍する衝撃を、氏の書物から受けることになったのである。
 どういう衝撃か、余りに大きいので、ここでは述べない。ただ吉本氏の著書に出会って以後、やっと世界の流行となっていた構造主義の書物の翻訳が出始めた。その中に、あのロラン・バルトの『零度のエクリチュール』があった。何とか音訳していただいて、聴くことができたのだが、最初の印象は、これは既に知っている、というものであった。デジャビュではない。吉本氏の言う「自己表出」と「指示表出」の概念には、既にテクストの自由を包含しているものと理解していたからである。言語表現は表現であって、それ以上何も保証しない、ただテクストとして存在するだけだ、ということをである。
 私が氏の著書に触れる機会を得てから、できるだけその筆致に触れたいと思うようになった。そんな中の氏の発言を、追ってみたい。
 80年前後から世界を喧しく騒がせたのが、あの反核運動であった。世界中の文学者・文化人がこれに賛意を表して、署名活動や抗議デモなどが行われた。わが国でも同様の行動が、各地で繰り広げられた。
 吉本氏はそれに対して、反反核を称えて論陣を張った。その骨子は、「この運動は、弱体化したソビエト・ロシアの仕掛けたもので、現にその対象は英米、西側の核保有国に限られている。もしそうでなければ、中ソへも運動の矛先を向けてはどうか?」というものであった。今こう書けば、何のことはない、実に当然のことと解されるであろう。しかし当時はそうではなかった。核兵器は悪いものだ、それを排撃しようというのだから、東西も上下もあるものか、反核はよいことだから、よいことはやらなければならない、そんな風であった。かつて私には直接知り得ない時代のこと、アメリカの核は悪魔の核、ソビエトの核は正義の核と言われたことがあるという。その意味では、その言い方をそのまま引きずった主張だったと言えよう。(3.11以降の反原発の主張にも、多分にこの傾向がないとは言えないのではあるまいか?)
 その10年後あの長大なソビエト・ロシアは、脆くも破綻し瓦解した。氏がこれまで見通しておられたかどうかは知らない。があの反核運動を通して、冷戦構造の変化を予想されていたことは、間違いない。私はベルリンの壁が壊されるのに一驚した。私が生きているうちにこんなことが起こるなど、思いもよらぬことだったからである。その時その前に、ベトナム戦争がアメリカの完敗で終わった時にも、同様の驚きを覚えたことを思い出した。私の分かる範囲とは、せいぜいこの程度のものだということを、思い知らされたのであった。しかもベトナム戦争の終結も、ベルリンの壁の崩壊も、実際には何の解決でもなかった。そこが勢力図の節目の一つにはなったのであろうが、その前後を眺めて、後の方がよくなったと言える人が、どれだけいるだろうか?
 90年代に入ると、イラク軍がクエートに侵入し、アメリカとその同盟軍が抗戦して、イラクを追い出した。いわゆる湾岸戦争である。この戦争に対してわが国の文学者が、反湾岸戦争を称えて、署名活動や集会やデモを行った。しかし戦争そのものが短期に終わったためか、戦争の終演とともに運動も消滅したように見えた。恐らく見えただけでなく、それが事実だったのであろう。吉本氏はその運動に対しては、じっと眺めているのみのように見えた。行く先が見えていたに違いない。
 湾岸戦争当事者の一人である米大統領ブッシュの息子であるジョージ・ブッシュが2001年に大統領に就任した同年9.11、ニューヨークの世界貿易センタービルのツインタワーが、乗っ取られた旅客機の自爆という、劇場映画の一シーンを見るような惨劇に見舞われた。その後ブッシュ大統領は、アフガニスタンとイラクを攻撃したが、その時は、その戦争に反対する文学者の、目立った活動はなかった。むしろ吉本氏の発言が、際だって聞こえた。曰く「国家は常に臨戦態勢にある。とすればアメリカを敵と見る者が攻撃して来ることは、予想の範囲である。しかも攻撃を受けた側であるアメリカの責任者である大統領が、それに抗戦するのも当然である。」
 平和ぼけしている日本人にとっては、誠に耳を疑いたくなる発言ではある。しかしよく考えてみれば、前世紀にはわが国も、今戦争などなさそうな欧州も、未曾有の戦禍に見舞われていた。してみると、わが国も欧州も、現在が平和なのではなく、戦争ができないだけなのだ、それを平和と呼んでいるだけなのだ、と言えるのであろう。9.11はその意味で、それまでの反戦運動のあり方に、強いノーを突きつけたことになる。
 最後に、氏が身体障害者についてどう言っているか見てみたい。
 氏は、老年をどう捉えるかから説いておられる。老とは、齢を重ねることによって、社会から求められる生産性の水準を果たし得なくなることで、老年に達した人は、社会との関わりから言えば、税による富の再分配によって生活を支える必要がある。個人の差はあるにせよ、一定の年齢を越えれば、万人がその対象となる。身体障害者は、障害を得た時点から、老年に入ったと捉えることで、老人と同様に税による富の再分配を受けることができると考えればよいと言われる。
 障害者の一人である私は、正直言って、強い反発を感じた。障害者の可能性をどう考えるのだろうか?そう思った。
 しかしここで言う生産性とは、職業としてのそれで、職業人として障害者をどう位置づけるかということを言っておられるのに気付かされた。と言うのは、実際に職業人として所得を得ようとすると、自らの判断で単独に動けることと、文書の読み書き、その他の情報処理の能力が求められる。視覚障害者を取って見ると、そのようにして一般の事務仕事をこなすことで晴眼者と肩を並べることは、恐らく不可能である。できないところを何かで補うことが十全に行われることが、現在求められている、それはまだ、実現していないことである、と言われているのである。
 吉本氏の著書は、ほとんど点訳も音訳もされていない。いや、もしカナ点字への点訳や音訳がなされても、文字の教育を受けていない者には、正に…に真珠、宝の持ち腐れということになるはずだ。視覚障害者である私は幸いにも、辛うじて漢点字によって漢字の世界を知ることができた。そして本会の活動を通して、文字や文学の専門書に触れることができた。これがなければ、吉本氏の著書に触れる機会に恵まれても、手も足も出なかったに違いなかった。氏は、間接的に、私を漢点字に結びつけて下さったのである。
 氏は、正しく「パウロのように生き」た方だった。
前号へ  トップページへ 次号へ