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漢点字の散歩(30)
                    
岡田 健嗣

   吉本隆明氏

   
 東京鍼灸師(しんきゅうし)岡田健嗣(たけし)さんは生まれつき強度の弱視で、失明したのは19歳のとき。盲学校では本と縁遠い生活を送った。大学の読書会で友人が、吉本隆明『言語にとって美とはなにか』を読み聞かせてくれたとき、衝撃をうける。生まれて初めて思想や文学にじかに触れる思いがした。以来、吉本の言葉は岡田さんの心をとらえつづける。
 残念ながら吉本の著書は点訳も音訳も少ない。岡田さんはいま知人に『初期歌謡論』の音訳を頼んでいる。「喪失感は大きいけれど、読み継いでゆきたいから」。漢字を表現できる点字「川上漢点字」の実践者でもある。吉本隆明には、62歳のこんな読者もいる。
                                   (白石明彦)
                       (朝日新聞  2012年5月13日)

 本紙前号に掲載した拙文が、朝日新聞の記者・白石明彦様のお目に止まり、上の記事となった。私どもの置かれている情況を直視して下さる視線に、心よりの感謝を捧げたい。
 吉本隆明氏について私が何かを書くとすれば、これが最初で最後になるだろう、前号ではそのようにして書かせていただいた。そこでもう一度機会がいただけたと捉えて、もう一つだけ書かせていただくことにした。
 氏との関連で漢点字について述べれば、こういうことがあった。
 現在は著作権法が改訂されてその必要はなくなったが、パソコン点訳する際は著作権者の許諾を得る必要のあったころだったと思う。そんな用件で、著作権者の吉本氏にお願いのお手紙を差し上げたことがあった。許諾願いとともに、私が〈漢点字〉の点訳活動を行っていることを書き添えた。折り返し点訳を諾されたお葉書を落手した。
 疎覚えだがそこに、「あなたのやっていることは大変困難なことなんだ。息長く頑張って欲しい。」という意味の文があった。(この葉書、どこかにしまってあるはずだが、現在は見つからずにいる。)
 当時はそれほどのことはあるまい、と高を括っていた。だが段々実態が分かってきた。視覚障害者もパソコンを使えるようになって、肉筆とは行かずとも、普通の文字が書けるようになった。私もその恩恵に浴している一人である。つまりその喜びは言葉にできないほどのもので、その限りではこの文明の力に、掛け値なしの恩義を感じたものだった。勿論ハードウェアよりもなお、それに対応したソフトウェアの開発の労には、感謝してもし切れないのである。
 しかしそこで気づかされたことがあった。それというのも、漢点字使用者と自称する人たちが、徐々に漢点字から遠ざかっているのであった。どうして漢点字を使わないのか(?)と尋ねると、「もう漢点字はいらない。パソコンでローマ字変換すれば文字は書けるのだから。」という答えが返ってきた。これには驚いた。「そうか、これが吉本さんの言われる困難なんだ。」、やっと気づかされた。
 その後、そのように見ていると、一見漢点字に熱心に取り組んでいるように見える人たちも、(盲学校の先生方を含めて)あまり本を読んでいる様子のないことが分かってきた。一般に読書に対するニーズのあり方というのは、読書の量に応じて何らかの深まりを見せるものであるが、どうもそのような様子がないのである。勿論これは私の主観に過ぎないかもしれないし、客観的なデータはない。一般にもこのような現象に客観的なデータはないに違いない。ただ読書とは、書物という峰に挑みながら、一歩一歩歩を進めるものであって、高峰に挑むだけ、読み方は深まるものだ、そういう認識があるだけなのである。
 漢点字の普及が遅々として進まない主な理由は、どうやらこの辺にある、今はそう捉えている。漢点字使用者がこうなのだから、未使用者は追って知るべしの情況なのであろう。そして漢点字しか触読に耐えうる漢字体系の触読文字は存在しないことを見れば、視覚障害者の読書環境=知的環境の位置が見えてきそうに思われる。
 右の記事にもあるように、私は今、吉本氏の『初期歌謡論』に挑もうと思っている。その冒頭を紹介すると、

 《神話の物語や歌謡には、物語ること歌うことが、実際の行為と区別できなかった時代が埋もれている。それを探すには、伝えられた物語や歌謡から、後につけくわえられたもの、編者の意図が強調されすぎた個所、また、編集のさい新しく創りあげられたものを削りおとしてゆかなくてはならない。まずはじめに、歌謡から地の物語とかかわりのある詩句を排除しても、独立の歌謡としての姿をもちうるばあいは、その種の詩句は削りおとしてみなければならない。なぜならば、流布されていた任意の歌謡が、神話の物語に適合する形に改められて、挿入されたという可能性がかんがえられるからである。(中略)/ この種の操作がどうして許されるのか。説得力のある根拠などありようがない。あるとすれば、律文や韻文や歌は語りと独立に先行しうるということだけである。それ以外の根拠をもとめるとすれば、『古事記』や『日本書紀』の神話が、複合的であり、また多層的でありしかも、編者の意図を無視するにはあまりに記述が新しすぎるため、どんな改作も作意も入り込むことができたにちがいないと思わせるところにある。この点は概観しておく必要がある。》

 つまり記紀歌謡は、その編者の意図を排除して歌謡だけを取り出すために、地の文に関わりのある語句を削り落としてみることができる。その作業から、記紀とは独立した歌謡の姿が現れ出てくるはずで、そこに歌謡の古層を見出せるはずだ、というのである。
 この方法は、私たちには極めて馴染みの深いものである。しかし容易く達成できるものではない。氏は『言語にとって美とは何か』のなかで繰り返し、「読書百遍」を説いておられた。百回読み返せば、自ずとその内容が理解できるということだが、氏は「表現転位論」で、文学作品のなかで、繰り返し読み込むことで、作者の表現したいところはどこかが見えてくると言われている。その方法を記紀歌謡に応用したのが、右の記述に違いない。
 こうして見ると、読書という行為が、どれほどに能動的なものかが分かる。私が氏の本から受けた衝撃とは、この能動性であったにちがいない。氏はある書物を読んで見せる。それをまた表現して下さる。私たちはそれをまた読む。だがそこで、あなた独自の何らかの方法がなければこの本は読めないよ、と突き放される。しかし突き放されたと見えるだけで、いつでも受け入れ体制は整っておられるようだ。
 氏の逝去の後、多くの識者が追悼文を書かれていた。そのなかで私が最も共感を覚えたのは、作家の高橋源一郎氏の文であった。高橋氏は、(思想は普通、前の姿しか見せないものだが)「吉本さんは、思想の『後ろ姿』を見せることのできる人だった。」と述べておられる。そして、「吉本さんの、生涯のメッセージは『きみならひとりでもやれる』であり、『おれが前にいる』だったと思う。吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ。」と結んでおられる。
 視覚障害者が「読書百遍」して、読書の方法を手に入れられるのは、どれほど先になるのであろうか?私たちはそのために、何をしなければならないのであろうか?
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