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漢点字の散歩(40)
                    
岡田 健嗣

         まされる宝

 前回は、漢点字を習得してからの、私の読書の変化について述べてみました。
 どう変わったかということをまとめてみますと、漢点字を習得して読書することに慣れるに従って、カナ点字を触読する読書、とりわけ漢字の知識を得られぬままにカナ点字を触読する読書は、音を表すカナ文字の点字符号を追うという行為に終始するものであることに、まず気づかされました。終始するというのは、それから先には進めないということです。その次に気づかされたのは、漢点字による読書は、カナ点字による読書では得られなかったものを、私にもたらしてくれたことでした。それは、読書とは、決して書かれている文字から音を受け取るだけのものではなく、またそこから一方的に情報を享受するものではなく、むしろ文字あるいは文に、それを読む側から問いかけ、また受け取り、それを繰り返しつつ理解を深めよう、あるいはその幅を広げようとするものだということ、それは極めて能動的な行為であるということでした。私はこのような行為を、読書のフィードバック≠ニ呼ぶことにしました。
 前号では、現在本会で漢点字訳に取り組んでおります伊藤博著『萬葉集釋注』(集英社文庫)の第三巻・巻第五に収められております、山上憶良の「嘉摩三部作」と呼ばれる一連の作品群の第二、八〇二・八〇三番の題詞と、「釈文」からそれに該当する伊藤先生による解説と、その文をカナ点字に倣った書式によるひらがなに置き換えた文を並べて、皆様にお読みいただきました。このように刊行され流布されている文章を、ひらがなだけでお読みいただくという試みは、ほとんど為されることはありません。短歌や俳句そして現代詩では、ひらがなだけ、あるいはカタカナだけで表記された作品が時折発表されますが、それはむしろ、ひらがなだけ、あるいはカタカナだけで表すという、言わば日本語文の標準的な表記法である漢字仮名交じりではない表記法で、何とか異化しようという試みに他なりません。表現として新たなものを見出そうという試みには違いありませんが、残念ながら(と申しておきましょう)、漢字仮名交じりに代えてカナ文字分かち書きを、日本語の標準の表記法にしようという動きには、結びつくことはありませんでした。それらの作品の中には優れたものも少なくないはずですが、たとい優れた作品であっても、個別の作品として優れたものであって、その作者もひらがなだけ、あるいはカタカナだけで表現することを指向しているわけではありません。作者の多くは、その作品にのみ、そのような表記法を表現として選択しておられるのです。このように日本語の表記としてカナ文字分かち書きを一般化しようという試みは、現在まで行われておりませんし、実現することはありませんでした。漢点字を習得して読むようになって、初めて私にその理由が分かったのでした。それがカナ点字だけの文を触読する読書では、読書のフィードバック≠経験することができないということでした。前号ではその読書のフィードバック≠ェ、どのような条件下に行われるか、読者の皆様に体験していただきたいと考えて、伊藤先生の文を、ひらがな分かち書きの文に替えて、引用させていただきました。そして幾つかの感想を頂戴しました。大方は「ひらがなだけの文章は、とても読めない」というものでした。この試みにご参加下さいました皆様には、深く感謝申し上げます。またこの試みは、「原文が損なわれた」というお叱りを招くものであったかもしれません。伏してお詫び申し上げます。

 今回は前号とは別の角度から、この憶良の作品と伊藤先生の解説を取り上げてみたいと思います。まずは前号でご紹介しました伊藤先生の解説を、再録してみたいと思います。

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 嘉摩三部作の第二群。子に対する愛情をうたった作として、すこぶる著名。しかし、仏教では、一つのもの、とくに我が子などに執着することは煩悩の代表的なもので、道にもとるとされた。仏教に明るかった憶良はそのことをよく知っていて、右の作においても、「子等を思ふ」ことが愛欲の煩悩であることを充分知りながら、しかも、現世の一個の人間としては子への愛着に執(とら)われざるをえない悩みをうたっている。一群は、単純な親の愛情を述べたものではなく、子を愛することの苦悩を主題にしているのである。
 その序文は、意を通すと次のようになる。

 釈尊が御口ずから説かれるには、「等しく衆生を思うことは、我が子羅ゴ(目偏に侯)羅を思うのと同じだ」と。しかしまた、もう一方で説かれるには、「愛執は子に勝るものはない」と。
 この上ない大聖人でさえも、なおかつ、このように子への愛着に執われる心をお持ちである。ましてや、俗世の凡人たるもの、誰が子を愛さないでいられようか。

 至極の大聖さえ、教理は教理として、子への愛に執われる心をお持ちであった。ましてや、自分のような凡愚が子に執われるのはやむをえない。という次第で、憶良は、子への愛の歌八〇二〜三をうたう申しわけをここで述べている。一種の弁解であり、それだけに、我が子への愛着をうたうことに対して、憶良が苦悶を抱いていたことが知られる。
 しかも大切なことは、「等しく衆生を思ふこと羅ゴ(目偏に侯)羅のごとし」という、慈愛の精神を説く言葉は、むろん仏典の至るところに見えるけれども、「愛は子に過ぎたることなし」という発言は、仏典に、釈迦の言葉としては見られないといわれていることである。憶良が仏典を誤解したのか、それとも、憶良があえて推量して、釈迦といえども内心に子への煩悩があったはずだと考えたのか。いずれかはっきりしない。
 いずれにしても、憶良が歌詠の拠り所とした「愛は子に過ぎたることなし」という言葉は、憶良が勝手に作り出したものと考えられる。そういう作りごとまでして依り付く柱を求めるほど、憶良は、我が子に執われることの罪を意識していたわけである。
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 以上が「嘉摩三部作」の第二番目の題詞の、伊藤先生の解説です。
 「嘉摩三部作」という歌群は、大伴旅人の妻・郎女が夫の任地である太宰府で身罷って、営まれた追善供養に、憶良は「嘉摩」の地に査察に出向かなければならなかったことから、欠席を余儀なくされました。仕事とはいえ、上司であり歌の友でもある旅人の妻の追善に列席できなかった憶良は、挽歌を作って送っています。そして出張先の嘉摩の地で、万葉集に八〇〇〜八〇五番として収められている、3つの歌群を作っています。これが「嘉摩三部作」と呼ばれる歌々です。
 「嘉摩三部作」の第一番目は、孝を忘れて遊び惚ける男を例に上げて、確かに自由を満喫したい気持ちは分かる。だが親も子もあるだろう。愛しい妻もいるだろう、と歌います。憶良は情を寄せながらも、心得違いをしてはいまいか、と諭します。
 その第三番目では、人生は短い、若さを謳歌するのはよい、だが何時の間にか時は過ぎる、杖に縋ってやっと立ち、歩くのもものを言うのもままならない。気づけば人に嫌われ厭がられ、邪慳にあしらわれて茫然自失、思い知るのは老いの悲しさ、人生の空しさ。
 さて第二番目の歌は、長歌と反歌、そして伊藤先生の歌の訳を掲げてみます。

八〇二
 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝さぬ
 (うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ)

 反歌
八〇三
 銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子に及かめやも
 (しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも)
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 瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこから我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたらに眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(八〇二)
 銀も金も玉も、どうして、何よりもすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(八〇三)
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 伊藤先生の解説、長歌は、
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 宿縁として生まれて来たもの、そいつがやたらとちらついて安眠をさせようとしない。宿縁である以上、この執着もまた宿縁であって、人間の力では処理しきれない。憶良は、この長歌で、そういう俗世の切なさを示しているのだと思われる。いわば、かわいくってならない悩みである。子はかわいくてよいものだという単一な心情を述べているわけではない。
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 仏教がわが国に入ってきたのは、恐らく五・六世紀ころと言われます。そして憶良の生きた八世紀は、その仏教で国を建てようとする時代でした。次の巻六は、東大寺の大仏(盧舎那仏、遍く地上を照らす仏)を安置した聖武天皇を巡る宮廷歌人たちの歌で構成編まれています。煌びやかな歌が満載されていますが、不穏な気が押し寄せている時代でもあったようです。
 この仏教の思想の眼目は、衆生の執着を去るところにあると言います。執着、つまりあらゆるものへの欲望、その欲望から生じる嫉妬や羨望、如何にそのようなものから解き放たれるか、これが仏の説く教えの中心であると言います。確かにそうで、私たちがこの世に生まれてみると、そこにはどこから湧き出すのか、何とも、人々の様々な欲望の渦の中であることに、何時しか気づかされます。しかもその私自身も、あらゆる方面に、様々な欲望を発散していることに気づかされます。そのようにしているうちにだんだん息苦しくなり、いたたまれなくなってきます。そのような状態を苦≠ニ呼びます。このように苦≠もたらし苦≠ノ満ちた世界を、衆生≠ニ呼びます。この衆生を生きながら、そのような苦≠ゥら解き放たれて、行く行くは極楽往生することが、仏教に帰依する人々の目標であると言います。そのためには如何にすればよいのか、憶良の歌は、その答えを出そうとしてはいません。憶良は、憶良自身の執着を、このように赤裸々に歌い上げて、衆生の執着を去る≠アとの困難さ、いな≠立てることでは執着を克服することはできないという、行くも帰るもままならないことを、私たちに突きつけているように思われます。極楽往生、確かにそうありたいものだ、だが子への愛着は、何としても去り難いものなのだ、と。
 伊藤先生の、この反歌についての解説は、
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 この反歌に述べるところは逆説だと思う。子への我執を煩悩と知る心が深いだけに、憶良は、逆に、子の何物よりも尊いことを絶叫して全体を結んだのだと思う。ここには、大声を張りあげることで、心にひそむ罪意識を追い払おうとするような姿勢がある。そして、それだけに、子どもに対する、憶良の深い愛情が伝わってくる。そういう意味では、一首を、子への無類の愛情を述べた歌と見る一般の解釈にまちがいはない。ただ、あくまで知っておくべきは、汎愛と愛執との相剋の重く深い過程を経、愛の苦しみを土台とした上で、一首がなりたっているという一事である。
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 私は、憶良のこの「銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子に及かめやも」という高名な歌、なぜにこれほどに親しまれているのかが、今まで分かりませんでした。いや私が知っている憶良の歌はこの一首だけだったことからしてみると、憶良の歌だけではなく、憶良という万葉歌人についても、全く理解の外だったと申してよいと思います。正直申して、実につまらない歌だ、というのが、私が抱いていた感想でした。よくありがちなことですが、このように一連の作品群の中から一つの作品だけ取りだして、如何にもその作者の代表作として流布させること、それは極めて危険なことだということを、今回肌に触れて感じることができた思いでした。
 幸いにして私は、巻五に収録されている歌の一つとして、憶良のこの歌を、伊藤先生の解説に助けられながら読む機会を得ることができました。そして初めて単に「何よりも子どもが可愛い」とだけ憶良が言っているのでないことを知ったのでした。驚きまた感動しました。衆生の執着、その中でも最も強い執着である子への「愛」、執着を去ると言っても果たしてそのようなことができようか、というのがこの歌の意味だと言います。恐ろしささえ感じました。
 平和惚けしていると言われるこの現代、しかし平和は損なわれつつあるというささやきが徐々に高まっています。また筋道を辿り難い出来事が頻発しているようです。私の携帯には鉄道の遅延情報が、毎日のように届けられます。
 「子に及かめやも」は、このような衆生に生きる現代の私たちに、何かを語っているのかもしれません。隔てられた1300年が、一気に霧消したように感じられました。


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