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漢点字の散歩(44)
                    
岡田 健嗣

        漢点字版『萬葉集釋注』第四巻が完成しました(続き)


 「常体表記」と「詩体表記」

 前回に引き続いて、『萬葉集釋注』第四巻(伊藤博著、集英社文庫)の漢点字版を読んでの、私の感想を述べさせていただきます。
 本書には万葉集巻第七と巻第八が収められております。今回はその中の巻第七の、人麻呂歌について、再度触れさせていただます。歌の鑑賞は著者の伊藤先生の助力を仰がなければ叶いませんが、妄想を逞しくして、有らぬ方角へはみ出しもしましょうが、幾らかの感想に耽させていただければ幸せに存じます。おつきあいいただければ幸いです。

 巻第七の人麻呂歌には、大きな特徴があると言われます。これが「詩体表記」と呼ばれる表記法で表された歌群の存在で、柿本人麻呂の、表記法の試行の跡を残した歌々であることが推察されます。
 「詩体表記」に対して通常の表記法は、「常体表記」と呼ばれます。現在では前者を「略体表記」、後者を「非略体表記」と呼んでいます。本書でも伊藤先生は、この呼び方を使用されておられます。
 「非略体表記(常体表記)」とは、表記すべき文字全てを表記するもので、通常の表記と言える表記法です。この表記法は、「雑歌」など、公式の場で披露される歌、あるいは宮廷に献上されるべき歌として作られた歌に用いられていると言われます。
 「略体表記(詩体表記)」とは、「非略体表記」とは対照的に、省略できるところは省略するという表記法を言います。具体的には、助詞や助動詞を記さないというものです。この表記法は「相聞歌」のような、ごく個人的な、場合によっては発表も念頭になかった歌に用いられています。現代の私たちがメモやノートを取るときなどにこんな書き方になることがありますが、決して無関係ではないのではと思われます。
 左に前回と同様に、「非略体表記」、「略体表記」の順に、人麻呂歌を掲げます。

【非略体表記の人麻呂歌】
一〇九五
 三諸就 三輪山見者 隠口乃 始瀬之檜原 所念鴨
 みもろつく 三輪山見れば こもりくの 泊瀬の檜原 思ほゆるかも
 みもろつく みわやまみれば こもりくの はつせのひはら おもほゆるかも

一〇九六
 昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山
 いにしへの ことは知らぬを 我れ見ても 久しくなりぬ 天の香具山
 いにしへの ことはしらぬを われみても ひさしくなりぬ あめのかぐやま

一〇九七
 吾勢子乎 乞許世山登 人者雖云 君毛不来益 山之名尓有之
 我が背子を こち巨勢山と 人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし
 わがせこを こちこせやまと ひとはいへど きみもきまさず やまのなにあらし

一〇九八
 木道尓社 妹山在云 玉櫛上 二上山母 妹許曽有来
 紀伊道にこそ 妹山ありといへ 玉櫛笥 二上山も 妹こそありけれ
 きぢにこそ いもやまありといへ たまくしげ ふたかみやまも いもこそありけれ

【略体表記の人麻呂歌】
一二四七
 大穴道 少御神 作 妹勢能山 見吉
 大汝 少御神の 作らしし 妹背の山を 見らくしよしも
 おほなむち すくなみかみの つくらしし いもせのやまを みらくしよしも

一二四八
 吾妹子 見偲 奥藻 花開在 我告与
 我妹子と 見つつ偲はむ 沖つ藻の 花咲きたらば 我れに告げこそ
 わぎもこと みつつしのはむ おきつもの はなさきたらば われにつげこそ

一二四九
 君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉
 君がため 浮沼の池の 菱摘むと 我が染めし袖 濡れにけるかも
 きみがため うきぬのいけの ひしつむと わがそめしそで ぬれにけるかも

一二五〇
 妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮
 妹がため 菅の実摘みに 行きし我れ 山道に惑ひ この日暮しつ
 いもがため すがのみつみに ゆきしわれ やまぢにまとひ このひくらしつ

 読者の皆様は、幼少時のころ、小学校に入学して、文字を習い始めたころのことを覚えておられましょうか。ひらがなとカタカナ、そしてその次にいよいよ漢字を勉強します。一年生では約80文字の漢字を学びますが、そこで子どもたちは思わぬ壁にぶつかります。
 「さあ、それでは文章を書いてみましょう。」、先生はそうおっしゃいます。子どもたちは「え、それなに?!」と互いの顔を見合わせますが、よく分かりません。「これまで習った文字を使って、何か書いてみましょう。」、先生はまたおっしゃいます。「わかりました。それでは今日は、先生のいうとおりに、書いてみて下さい。」とおっしゃって、短い文章を口頭でおっしゃいます。それを何とか先生のおっしゃるとおりに鉛筆でなぞりますが、それを書き終えたところで先生にお見せすることになります。「これは何ですか?」、先生の指の先には、「でし田」「出す」などの文字があります。多くの子どもはこの辺りでステップアップを求められます。日本語の文章には、必ずひらがなで書かなければならない部分がある、このことをこうして初めて知ることになるからですし、しかもこのことを、ここでしっかりと覚えなければならないからです。
 しかし一度このことを理解してしまいますと、その後「でし田」とか「出す」とか書いたことなどすっかり忘れて、水や空気の如く、この部分をひらがなで書くのが当然として文章に向かうようになります。しかも現在では、パソコンの力が、自動的に漢字変換と無変換を判断して、ほぼ間違いなく文字を選択できるようになっていて、子どものころのような間違いは、犯したくも犯せない仕組みになっています。
 私たちはその後、少し古い文献に触れるチャンスを得ます。現在ひらがなで書いているところが、カタカナで書かれている文章に出会います。漢字とカタカナが交互に出てくる文章で、六法全書などで現在でも容易に見ることができます。またひらがなばかりの文章、古くは平安時代の和歌集や物語や随筆に、新しいものでは江戸時代の仮名本に出会うことになります。このようなカナ文字の使用法の変遷は、現在使用されている漢字仮名交じり文の成立まで綿々と続いて、やっと百年ほど前に、いわゆる「言文一致体」と呼ばれる文体の成立によって、「助詞・助動詞・送り仮名は、ひらがなで表す」という表記法の確立によって、現代文として整理されたのでした。
 しかしはっきりしていることは、漢字とカタカナが交互に出てくる文章(漢文読み下し文)であっても、平安時代の物語や和歌集(仮名文学)であっても、何れ私たちの時代になって、ひらがなで表記することになる「助詞・助動詞・送り仮名」の存在は、古代の日本語の成立の時点に既に存在していたであろうことが、これらの文字表記から推察できると捉えてよいと思われます。文字表記は、一連の音声言語を文として定着するもので、である以上、助詞や助動詞、あるいは活用語尾である送り仮名も、そこに記される必要があったはずで、その最初期の表記が、「万葉集」に見られているはずです。

 「万葉集」はよく知られるように、「万葉仮名」と呼ばれる独特の仮名文字で表されています。「万葉仮名」とは、漢字を現在の仮名文字のように、音を表す文字として使用しているもので、漢字があたかも「仮名文字」のように使われるところからこのように呼ばれています。私はこの「万葉仮名」は、当時の漢字の音読の音を借りて使用したものとばかり考えていました。ところがそうではなく、「万葉仮名」には「音仮名」と「訓仮名」の二種あって、それぞれ『広辞苑』には、

 《おん‐がな【音仮名】/ 万葉仮名のうち、漢字本来の意味とは無関係に漢字の音(おん)を日本語の音節に当てたもの。多く漢字一字を一音に当てる。「山(やま)」を「也末」と書く類。字音仮名。》
 《くん‐がな【訓仮名】/ 万葉仮名のうち、漢字本来の意味とは無関係に漢字の訓を日本語の音節に当てたもの。「懐(なつか)し」を「名津蚊為」「夏樫」と書く類。字訓仮名。》

と紹介されています。
 わが国の文字、日本語を表記する文字は、中国の文化とともに伝来した「漢字」を、わが国の言葉である「日本語」を表す文字として使用したものでした。日本語には、もともと書き表すための文字を持ってはおりませんでした。「漢字」は中国で古代の中国語を表すために開発された文字で、日本語は、それを借りて表すようになったのでした。従って「漢字」の本来持っている読みは、そのままでは使えません。そこで中国から伝来したときの中国語の読みと、表意文字である「漢字」の意味から、わが国の事物や事柄を表すための日本語の読みの、二種の読みが、一つの文字に与えられることになりました。前者を「音読」、後者を「訓読」と呼びます。
 このことそのものが驚きに値すると言えますが、今回私が、正に遅まきながらではありますが、「万葉集」について知ったところでは、わが国最古の文献であるこの書籍に、漢字に「音読」と「訓読」という二つの読みをあたえることで、日本語の表記に適用していることと、日本語の構造として「助詞・助動詞・送り仮名」の存在を明確に類別していることに、強く衝撃を受けたのでした。この「万葉集」はわが国最古の文献であって、これ以前には、文献としてまとまった文章は伝わっておりません。どのようなプロセスでこの「音読」と「訓読」が設けられて漢字が受け入れられたか、そして「助詞・助動詞・送り仮名」という日本語に特有の文章構造の発見とその表記の創出がなされたのか、この「万葉集」を辿ることによってしか想像し得ません。
 そこで、右に掲げた人麻呂歌の「非略体表記」と「略体表記」の歌から、それぞれ一首を取り出して、観察してみることにします。「音仮名」「訓仮名」と「訓読」がどのように使用されているか、歌の要素である語句と「助詞・助動詞・送り仮名」が、どのように類別されているかを、見てみましょう。
 注 (音)音仮名、(訓)訓仮名、(訓読)漢字の訓読、(読み下し)漢文読み下し体

【非略体表記の人麻呂歌】
 我が背子を こち巨勢山と 人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし(一〇九七)

 「吾勢子乎(わがせこを)」:「吾(訓)勢(音)子(訓)乎(音)」、「乞許世山登(こちこせやまと)」:「乞(訓)許(音)世(音)山(訓読)登(音)」、「人者雖云(ひとはいへど)」:「人(訓読)者(音)雖云(読み下し)」、「君毛不来益(きみもきまさず)」:「君(訓)毛(音)不来益(読み下し、訓)」、「山之名尓有之(やまのなにあらし)」:「山(訓読)之(訓)名(訓)尓(音)有(訓読)之(音)」。
 「助詞・助動詞・送り仮名」(≠ナ示す)は、

 吾勢子乎=@乞許世山登=@人者∞雖♂] 君毛∞不@益=@山之*シ尓@L之

【略体表記の人麻呂歌】
 我妹子と 見つつ偲はむ 沖つ藻の 花咲きたらば 我れに告げこそ(一二四八)

 「吾妹子(わぎもこと)(訓読)」、「見偲(みつつしのはむ)(訓読)」、「奥藻(おきつもの)(訓読)」、「花開在(はなさきたらば)(訓読)」、「我告与(われにつげこそ)(訓読)」。

 「非略体表記」と「略体表記」の人麻呂歌の中から任意に選んで例としてみました。このように原文を見比べるのは私にとって初めての経験ですが、今、言葉を失うほどの驚きを覚えております。
 まず「非略体表記」の歌(一〇九七)は、「山」や「人」は訓読していますが、全体として音仮名と訓仮名を駆使した万葉仮名表記で表されています。そして、「雖云」と「不来益」は、漢文の読み下しの方法を採った表記法です。
 ところが「略体表記」の歌(一二四八)は、全てが訓読で表されています。私が衝撃を受けたのはこのことで、全ての漢字が訓読の形で表されているということは、既に現代文に直結する表記法が採られていたということを物語っていると言えるのではないか、その後の平安期の仮名文学の表記に先立って、漢字仮名交じり文の先駆けの位置を占めるのではないか、そう感じたことによります。誠に遅まきながらこのことを知ることができたことを、私は心から感謝しております。
 先にも申しましたように「非略体表記」は「常体表記」とも呼ばれていますが、この(一〇九七)の歌のような表記法が、宮廷歌人としての人麻呂が採用していた普通の表記法であったということを、「常体」という語で表していることを、ここに来てやっと理解できたということでもありました。
 一方「略体表記」は「詩体表記」とも呼ばれていますが、見た目は「略体」ではありますが、決して略した表記というわけではありません。他にも丹念に当たって見る必要はありますが、(一二四八)の歌のように訓読だけで表されている歌は、決して多くはないのではと推量されます。そうしてみますと、この人麻呂歌の歌群は、それだけで特別な歌ということになります。
 この歌は訓読で表されていますが、万葉の時代には、文字と言えばまだ漢字という文字しかありませんでした。もし送り仮名や助詞・助動詞を音仮名や訓仮名で表すとしますと、(一〇九七)の歌のように、訓読で表せる語句は、「人」や「山」のようにごく小規模なものに限られるのではなかったか、このように「常体表記」とは、万葉仮名(音仮名と訓仮名)とごく小規模な漢字の訓読、ときに漢文の読み下しを交えた表記法を指していて、人麻呂の到達した普遍的な表記法を言う語であったのではということに気づかされたのでした。
 (一二四八)の歌は、その意味では誠に新しい試みを示すもので、全てが漢字の訓読で表されていて、この文字群は、それまでの万葉仮名とは違った文字だということです。この歌に「助詞・助動詞・送り仮名」を加えるとしますと、従来の万葉仮名を当てたのでは読みに混乱を生じると考えたからで、取りあえずその部分に何も加えずにおくことを人麻呂は選んだのだと捉えては、間違いであろうか、そう思われてなりません。その意味で「略体表記」は、「詩体表記」と呼ばれたのではないのか、私はやっとそこに気づいて、慄然としたのでした。つまり人麻呂の文字表記の最も先端的な表記法が、この「略体表記」であったので、もしここに万葉仮名から少し進んだ体系の仮名文字が存在していたならば、現在私たちが当然として使用している表記法である漢字仮名交じり文が、人麻呂によって提出されていたに違いない、そのように思われてなりません。
 これまでも私たちは人麻呂の功績を幾つか追ってきました。例えば長歌・短歌という和歌の韻律の確立があります。宮廷歌の形式の確立は、人麻呂以後の歌人たちの歌作には欠かせない道標となったに違いありませんし、私たちが読み書きしている現代文(詩歌ばかりでなく散文をも)の韻律をも規定しております。そして今回見てきた「詩体表記」は、正に現代日本語文の表記法である漢字仮名交じり文の基底ともなっているように見られます。
 こうして私が拙い文章と悪戦苦闘しておりましても、それは人麻呂の掌の上のこと、全てが人麻呂の用意した舞台の上で為されることで、「万葉集」とは、誠に恐ろしい歌集だったのだということを、肝に銘じて知ったのでした。

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