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漢点字の散歩(66) 岡田 健嗣 |
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カナ文字は仮名文字(17) 前回最後に、それより前々回の最後の拙文を引用して閉じましたが、内容的に誤ってはいまいかという疑念を抱いております。検討して、正すべきは正す方がよいと思われますので、以下に、もう一度考えてみたいと思います。うるさいようですが、その拙文を、もう一度引用させていただきます。 「(略)しかしここに、面白いことに気づかされました。固有名である「大穴道」は「おほあなむち」→「おほなむち」、「少御神」は「すくなみかみ」、「妹勢能山」は「いもせのやま」、「浮沼池」は「うきぬのいけ」、そして固有名ではありませんが、「吾妹子」は「わぎもこ」と、訓仮名(勢と能は音仮名ですが)が当てられていて、1つの韻律をなしているように思われることです。この韻律は、これよりもずっと以前の日本語と、現代の日本語とを結ぶ架け橋になるもののように思われます。そしてこの固有名に訓仮名が当てられていることで、訓仮名が訓読の成立なしには叶わないものとしてみれば、訓読と訓仮名がフィードバックすることで、万葉の世が明けることになったのではないか、何かそういう筋道が描けるように思われて来るのでした。(略)」 私は、視覚障害者ですので、現在まで、文字を介して「万葉集」に接することができませんでした。そればかりか、現代文でも、かな文字と漢字とがどのように連絡しながら使用されているかも、現在に近くなってやっと知る機会を得たのでした。 約45年前に漢点字を学び、約30年前に本会の活動を始めて、そしてこのほど『萬葉集釋注』の漢点字訳が完成しました。これが私にとって初めての「万葉集」との邂逅だったのですが、正に邂逅としか言い様のないもので、全く理解の不十分を露呈して、このようなことを書くという仕儀となってしまいました。 今思えば、「万葉集」についての予備知識と呼べるものは何もなく、ほぼいきなり『萬葉集釋注』を、ポンと手渡されたようにして読み始めたわけですが、それでも「万葉集」についての先入観は私の観念を満たしていたようで、極めて単純な矛盾にも気づけませんでした。 どのような先入観だったのか、これもほとんど定かではありませんが、一言で申せば、「万葉集」で使用されている言葉は、現在私どもが使っている日本語とは全く異なった、外国語のような言語であって、私達が現在読んでいる「万葉集」の読み下し文は、外国語を日本語に翻訳したものと同様の、現代語への翻訳であって、それを参照しつつ原文を読むということも、並大抵ではあるまいというものではなかったかと思われます。このような先入観は、ある意味では正しかったのですが、しかし誤りを犯すものでもあったわけで、それは何かと申せば、「万葉集」の読み下し文と原文を丹念に比較して読みこなすという、基本的な作業を怠った結果として、以下のような極めて初歩的な矛盾を来したということになったのでした。 右に引用した拙文に、「訓仮名」という語句が何度か出て参りますが、ここの誤りはこの「訓仮名」に関する認識の甘さだったと言ってよいものです。「大穴道」(おほなむち)、「少御神」(すくなみかみ)、「妹勢(背)能山」(いもせのやま)、「浮沼池」(うきぬのいけ)、「吾(我)妹子」(わぎもこ)を、「訓仮名」と理解したというところにあります。そしてこの拙文の矛盾は、「大穴道」や「少御神」を固有名として、現在の私達の固有名である氏名と同様に文字が使用されて読まれているとし、そしてこれを「訓仮名」と規定しているところにあります。そう規定しますと、現在の私達の氏名の読みも、「訓仮名」であるとしなければならなくなりますが、明らかにそうではありません。 例えば現在の私達に氏名、私の名を例に取りますと、「健嗣」と書いて、「たけし」と読みます。これはカナ文字としての読みではありません。「健」を「たけ」と読ませているのは、漢字の訓読です。「嗣」を「し」と読ませているのは漢字の音読です。この「健嗣」を多くの人が「けんじ」とお読みになります。この場合の「けん」は、漢字の音読です。 現在の私達の氏名は、漢字で書かれることが多いのですが、その読みはこのように訓読されることが多いことと、それほどの差なしに漢字の音読でも読まれているように想像されます。また、ひらがな・カタカナのカナ文字で表されるお名前も少なくありませんし、女性のお名前(男性にもおられるかもしれませんが)にしばしば用いられる、「由嘉理」さんとか「美登里」さんとかのように、漢字音を連ねてカナ読みのように読むお名前もあります。これらは、万葉時代の「音仮名」さながらとも言える文字遣いではないでしょうか。 「大穴道」や「少御神」の読みも現在の私達の氏名と同様に「訓読」と捉えれば、このお2人のお名前も、文字の意味を通して呼ばれていることが分かります。「訓仮名」であれば、使用されている文字の意味と読みとは、直接には繋がりがないはずです。 そこで、かな文字と、音仮名・訓仮名について、その定義を知るために、『広辞苑』を訪ねて見ることにします。 《か‐な【仮名・仮字】 (カリナ(仮名)の音便カンナの約) 漢字から発生した、わが国固有の音節文字。広義には万葉仮名・平仮名・片仮名、狭義には後の2者をいう。万葉仮名は漢字の音訓で国語を写し、片仮名・平仮名は平安初期、万葉仮名を簡略化して書いたものから発生した音節文字。初め、片仮名は漢字と共に、平仮名は単独で用い、後世に至り平仮名も漢字と混用。やまともじ。仮名文字。\真名(まな)》 屋上屋を重ねることになりますが、右の『広辞苑』の記載を私の言葉に置き換えて見ます。 「仮名」は、漢字から発生したわが国固有の音節文字である。ここでは2つのことが言われているように思います。漢字は中国から渡来してわが国でも用いられて来た文字ですが、わが国の言語を表すにはこの漢字だけでは不十分であることが先人に気づかれて、その漢字を元に、新たな文字が作られたということ、その文字は、漢字のような表意文字でも、アルファベットのような音素文字でもなく、音節文字であったということです。「音節文字」とは、1音節を1単位とした「表音文字」のことで、漢字と異なって、意味は表さずに、音だけを表す文字のことです。また「音素文字」とも異なって、音の子音だけを表すことはありません。 その「仮名」と呼ばれる文字には、「万葉仮名」、「平仮名」、「片仮名」がありますが、「万葉仮名」は「平仮名」・「片仮名」の前身で、現在「仮名」と言えば、後者の2つを指します。 「万葉仮名」は漢字の音訓で国語を写しとは、「万葉仮名」には「音仮名」と「訓仮名」があることを言っているようです。ここではこれだけしか書かれておりませんので、この2つについては後ろで触れたいと思います。そして「写し」という表現は、如何にも微妙です。意味は移さない、音だけを移す文字であると言っているようです。 「片仮名」・「平仮名」は平安初期に、「万葉仮名」を簡略化して書いたものから発生した音節文字で、言い換えれば、現在のカナ文字の前身は、「万葉仮名」、漢字を音読し訓読して、その音を利用してわが国の音を表そうとした文字です。 「初め、片仮名は漢字と共に」とは、わが国で文字を遣うには、中国の文字である漢字を遣うことを意味していて、まずはその中国の文章、いわゆる漢文をそのまま漢文として読み、次いでその漢文の書法に従って漢文を書く、日本語ではなく外国語である中国語の文章を、そのまま読み書きするということから始まりました。「万葉集」が編まれるまでは、それがわが国の文章との普通の付き合い方だったのですが、「記・紀・万葉」の成立後、恐らく日本語の表記というところに力が注がれるようになって、漢文を日本語として読むという、ある意味では現代の日本語とその表記にも大きな影響を与えている方法の開発が盛んになったのでした。 その漢文を日本語として読むことを、現在では「漢文訓読」と呼びますが、それにはどうしても、「記・紀・万葉」でも試みられた、中国語にはない、日本語独特の表現、動詞・形容詞などの活用の語尾や、助詞・助動詞などを表すための文字が必要になりました。これは意味を持たず、音だけを表すものでなければいけません。 ところが人というのは悲しいもので、必要になったからと言って、何もないところから何かを作り出すということはできません。新しいものは何かの模倣から生じるもので、時の積み重ねにその素材を求めるほかありません。ここでも、新たに音だけを表す文字を必要としているという意識が人々に共有されて来ても、そこにある文字は表意文字の「漢字」しかありませんでした。「記・紀・万葉」で、極めて初期のその試みが試みられたわけですが、それは「漢字」を遣って、その意味を捨てて、その音を遣って活用語尾・助詞・助動詞を表すということを行いました。 そしてその後に、その方法を漢文訓読にも応用したのですが、「記・紀・万葉」でも同様ですが、本来の文を表す文字と、音だけを表す文字との区別ができないということが起こりました。しかも余計な文字を書くことで筆の運びを緩慢にするということもあって、音だけを表す文字は、その形を簡略にして行きました。その方法は、「阿」のこざとから「ア」を、「伊」の人偏から「イ」を、「宇」のウ冠から「ウ」を、「江」の工から「エ」をというように、漢字の一部を使用して、字音の音だけを表す文字として遣ったのが、「片仮名」です。『広辞苑』がここで言っているのは、この「片仮名」は、漢文訓読の表記から始まったものだということ、また、現在私達が行っている日本語の書記法「漢字仮名交じり」の起源は、この「漢文訓読」にあるということ、現在の漢字仮名交じりは、漢字とひらがなで行われますが、当初は「片仮名」が使用されていたということです。このことは明治に入ってから変化して現在に至っていますが、戦後の初期までは、「漢字片仮名交じり」の文章は、普通に使用されていました。 「平仮名は単独で用い」とは、平安時代の初期の文章、例えば『竹取物語』や『伊勢物語』、また最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』などは、初めは「平仮名」だけで書かれていたと言われています。 「平仮名」も「片仮名」と同様に音節文字ですが、「片仮名」は漢字の一部を使用して字音を表す文字としていますが、「平仮名」は、漢字全体を簡略化して成立しました。「あ」は「安」を、「い」は「以」を、「う」は「宇」を、「え」は「衣」を簡略化した形の文字で、その字音を表します。 「後世に至り平仮名も漢字と混用」とは、平安時代に始まった平仮名だけで表された日本語の文章も、書写によって後世に伝えられて来る間に、送りがなや助詞・助動詞以外の部分の、その文章の主要な部分が、漢字に置き換えられて来たということがあります。その結果、私達が現在読むことのできる古典の資料が成立して、それが現在私達が使用している「漢字仮名交じり」の原形となっていることを言っています。「平仮名」の文章は「平仮名」だけで書かれていたのが、恐らく「読み」という観点から、「漢字」があった方が読み易いということが、先人達の共通した認識であったということができるのかもしれません。このことは別に解明される必要があるように思われます。 もう1つ「平仮名」について触れる必要のあることがらに、現在私達が使用している「漢字仮名交じり」と言われる文章は、漢字もひらがなもカタカナも、その他の数字や外国文字や記号の類も、基本的に1つ1つが独立した文字や記号であることです。1つ1つが独立した文字や記号であることが、私達の使用している文章の特徴と言ってもよいほどですし、それによって実現していることも、沢山あるように思われます。 明治期までの漢字平仮名交じり文は、「連綿体」と呼ばれる、草書やかなの各文字が次々に連続して書かれている書体でした。句読点がない代わりに、1句切りの間は、1つの線で連ねて書かれているものでした。それが明治期に入って、活字の導入が大きな切っ掛けとなったものと思われますが、文字が1つ1つ独立したものとして印刷されるようになりました。手書きの文章は、ずっと後になるまで、連綿体が残っておりましたが、何時しかそれも姿を消して行きました。そうした中で、漢字仮名交じり文も、漢字とひらがなを交えたものとなって、カタカナは、外来語を表す文字という位置を占めるようになりました。 以上のように、「片仮名」と「平仮名」について考えて参りますと、自ずと外国の文字である漢字とそれで書かれた漢文を受け入れることによって、わが国の言語の中に漢文を読み下す文脈、漢文脈が成立し、一方本来のわが国の言語である日本語の文脈、平仮名だけで書かれた文章に始まる和文脈があって、この和文脈に漢字が導入され、漢文脈に漢字片仮名交じりが進むというように、絶えず相互のフィードバックがなされて、明治以降、日本語の文体は劇的に変化したと言われます。 「大穴道」、「小御神」の2柱の紙のお名前を「訓仮名」と誤読したことから、少々はみ出たことまで申し上げました。 『広辞苑』に、もう2つ、「音仮名」と「訓仮名」を訪ねてみましょう。 《おん‐がな【音仮名】 万葉仮名のうち、漢字本来の意味とは無関係に漢字の音(おん)を日本語の音節に当てたもの。多く漢字1字を1音に当てる。「山(やま)」を「也末」と書く類。字音仮名。\訓仮名》 《くん‐がな【訓仮名】 万葉仮名のうち、漢字本来の意味とは無関係に漢字の訓を日本語の音節に当てたもの。「懐(なつか)し」を「名津蚊為」「夏樫」と書く類。字訓仮名。\音仮名》 やはり「訓仮名」というのはなかなか厄介なものに見えてきます。どうやら私が固有名を「訓仮名」と誤読しましたのも、「大穴道」の「穴」を「な」と読ませているところを「訓仮名」と理解したことによるらしいことが、分かって来ました。「穴」を「な」と読ませること、この読みは漢字の意味とは関わりはないように見えます。従ってこの文字1つであれば、「訓仮名」と読んでもよいのかもしれません。しかし前後の「大」と「道」の読みは、「おお」と「みち」、これは漢字の意味との関わりはないとまでは言えません。 従って全体として「大穴道」を「おおなむち」と読む読み方は、「訓読」と言ってよいものと思います。 |
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