「うか」059  トップページへ

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          巻紙芝居『おおきなおおきなおいも』
                               
山内薫(墨田区立緑図書館)

 みどり学級で行った手製の出し物の中で最も古く、様々な場所で最も多く上演し、あるいは貸し出して各地で上演された出し物は巻紙芝居(まきがみしばい)の『おおきなおおきなおいも』である。“巻紙芝居”という名がこの作品にいつの間にか付いた名称で、多分1970年代の中頃に仙台の図書館で話をさせて頂いた時に命名されたのではないかと思う。今回はみどり学級と直接係わるわけではないが、この「巻紙芝居」について記してみたい。

巻紙芝居の始まり
長靴はいていけばいいんだ
もっと紙もっと紙
おおいきなおいも
おしまい
清風園で上演

 1972年の10月に福音館書店から『おおきなおおきなおいも』(市村久子作、赤羽末吉絵)という絵本が発行された。この絵本には「鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による」という副題が付いていて、幼稚園教師である著者が実際に幼稚園で行った実践が元になって作られた絵本である。ストーリーは、みんなが楽しみにしている芋掘り遠足が雨のために一週間延期になってしまうことから始まる。子どもたちは一週間でお芋がどれほど大きくなっているかを想像して、紙を次々と繋いで絵の具でお芋を描いていく。書き上がったお芋の絵は、何ページにもわたり、絵本のページを何回めくってもお芋の絵が続く。そんな大きな大きなお芋をどうやって掘り出して幼稚園に運ぶか、子供たちの想像力はどんどん膨らんで行く。幼稚園に運ばれた大きな大きなお芋はプールに浮かべて芋丸という船になったり、イモザウルスという恐竜に見立てられたりしたあと、焼き芋や天ぷら、大学芋になって子供たちのお腹に入る。お腹がぱんぱんになった子供たちは、イモラスというロケットになり、「ぶー、ぶわーん」とおならで宇宙に飛び出す荒唐無稽な楽しい物語になっている。当時、私は図書館に勤めてまだ3年目だったが、その前年から子どもへのサービスの担当になり、その年の12月のクリスマス会の出し物を考えていた。そんな折にこの絵本が刊行され大変面白い絵本なので、是非クリスマス会で紹介したいと思った。この絵本の最大の山場は何回ページをめくってもお芋の絵が続くところにある。これを本当に大きくて長いお芋にできないかと考えた。そこでロールになった障子紙を買ってきて早速製作に取りかかった。この絵本は墨とピンクの2色しか色が使われていないので、黒のマジックで絵を真似、その上に淡いピンクの絵の具で色を付けていく。最大の山場であるお芋の場面は横幅がほぼ3メートルにわたる長い大きなお芋を描いた。実を言えばゆっくり準備をして作ったわけではなく、翌日がクリスマス会当日という前日に切羽詰まって製作に取りかかり、およそ5時間を費やして夜中の1時に完成したのだった。この「巻紙芝居」は2人で演じることになり、読み手は筒状に撒かれた障子紙を引き出しながら話を展開していき、もう1人は終わった場面を巻き取っていく。3メートル近くに及ぶ大きなお芋の場面が終わって次に移る時には、巻き手は猛スピードで障子紙を巻いて行かなくてはならないので大変だ。しかし、少しずつ少しずつお芋を引き出していって、どんどんお芋が大きくなる場面で子供たちの顔を見るのは何よりの楽しみだ。時に母親なども含めて多くの観客が目を見開いてワアーという声を発してくれる。
 およそ20メートルの障子紙を1本半使ったこの紙芝居は、この35年余りの間に本当に多くの場所で上演し、またされてきた。足立区の図書館に貸し出した後には、巻き取るための太い棒が付いて帰ってきた。それ以降は棒で巻き取ることができるようになり、とても上演しやすくなった。またあるところでは特製の箱に入れて返して下さった。おそらく何百回と使われたにもかかわらず、未だに使えるのは障子紙の強さによるのだが、既に何カ所かは1度ちぎれた部分を別の障子紙で裏打ちしてある。

 この巻紙芝居は結構評判となり、製作してから四年程後に雑誌『an’an(アンアン)』(マガジンハウス社)の取材を受けたり、読売新聞の江東版の1976年9月11日には6段組の記事「モテモテ“ワイド紙芝居”巻紙に絵、長さ50メートル」が載った。(50メートルというのは記事を書いた記者の誇張で全長はおよそ30メートル)『an’an(アンアン)』の半ページの記事と読売新聞の記事には図書館前の芝生で子どもたちに巻紙芝居を上演している写真も載った。そこで、著作権の問題があるので、画家である赤羽末吉氏に電話をし、こういうものを作り、雑誌で紹介されることになったが許可を頂けないかと依頼した。電話ではあったが赤羽氏は即座に了解して下さった。読売新聞江東版の記事では「原作者の赤羽末吉さん(66)(鎌倉市在住)に了解を求めたところ、『子供たちが喜んでくれるなら自由に作って結構』と快諾してくれた。巻紙の紙芝居は、大事にフロシキに包まれ、今では同館の貴重品扱い。1日2、3三百人は来館する子供たちの間では、“おいもの紙芝居”として有名。」と書かれている。(その後、赤羽末吉氏は1990年に亡くなった)当時は著作権について、今程やかましくない時代であり、図書館では絵本の大型化や劇化などを自由に行っていた。人気のある絵本などを年に2回行う人形劇やクリスマス会の折に、様々に工夫して行ってきたが、未だに一番人気があり、しかもインパクトがあるのはこの巻紙芝居の「おおきなおおきなおいも」である。(写真は2004年11月17日のみどり学級での上演と特別養護老人ホーム清風園での2002年の上演の様子。今年も1回みどり学級で上演した)

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