「うか」086 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子
 東京漢点字羽化の会では、朝日新聞本紙の付録版として、毎週掲載の“be on Saturday”に連載されている高橋睦郎著「花をひろう」を、昨秋11月から入力し、漢点字印刷して2か月分を1冊に纏めて、漢点字読者にお送りし始めた。これは横浜漢点字羽化の会の皆様が長年読者に送り続けてこられ、次号は100号を迎えるという、「横浜通信」に同封させていただいている。
 この度の大震災による交通事情その他により、2月と3月分を予定通り印刷できなかったので、会員が、この5月5日に全て印刷し、1〜4月を一緒にお送りした。
 わたしは、点字印刷される前に、この記事を何時もピンディスプレイで読ませていただいている。今回も1週ごとに送られてくるものを読んでいた。そして、2011年4月2日の「流し雛」を読ませていただきはじめた。
 まず、この「流し雛」という文字に接してゾクっとした。今年はいつまでも寒くて、「雛祭り」、「桃の節句」という文字を読んでも、4月に入った今は、もう雛祭りは過ぎたという感じは起こらず、むしろこの寒さのためか、これらの言葉は自然であった。
 鳥取の流し雛に代表される「雛流し(ひいなながし)」の、哀しくも美しい風習のあることは聞いている。千代紙を人型に象って、人の汚(けが)れをその人型に託して、人は清められるのである。

    ためらうて汀(みぎわ)離れぬ流し雛    文

の句に接したとき、言いしれぬ悲しみがこみ上げてきた。「何か」に思いを残している魂の叫びを聞いたように思えた。そして唐突に東北の大津波の壮絶な光景が重なり合ってきた。エネルギーも規模も情況もまったく異なるけれど、東北の大津波に流されていった人々は当然、流し雛人形ではない。生きている生身の人々が、助けを求めて必死に波から逃れようと抗いながらも、空しく、沖へ、海底へとさらわれていったのだ。海獣と化した海が立ち上がり、襲いかかって、街ごと、車ごと、船ごと飲み込んでしまったのだ。

    流し雛袖をつらねてゆきたまふ    梅子

 「袖をつらねて」とは、これまた静かな川の流れの中での千代紙人形なら美しい。けれどもそれはまさしく人形(ひとがた)なのだ。悲しみを抱(いだ)きながらも雛(ひいな)に仮託したものたちは、思いを切り離すことで、静かに祈りを込めて見送ることもできよう。しかし、現実の悲惨劇の中では、死にたくない、愛する人たちと活き続けたい、と生に向かって全力をしぼっていたはずだ。死との戦いが厳しいことを悟ったとき、せめて、愛する人が自分と同じ苦しみのただ中にいませんように!彼らの命をこの身に負うていきます、大切な人たちよ、強く活きていってください、と激しい死闘の中で、瞬時にあれを思い、これを願い全てを祈りに凝縮したのではないだろうか?
 津波の猛威を凝視していた人たち、あるいは、奇跡的に難を逃れることができた人たちも、胸が張り裂けんばかりの怒りと畏れに震えたことだろう。

    捨て雛の片手見えをり雪の中  不先
    日当(あた)りてさびしかりけり捨て雛  青邨
    柴山に斑雪(はだれ)光れり捨ひいな  四峯

 海に飲み込まれていった多くの人々は流し雛のように静かに漂っていったのではない。けれどもこの多くの人の中には、流れの末にたゆたい続けていった人もあるだろう。

    捨て雛や濤(たかなみ)しぶく巌(いわ)の上(え)に  まち子
    幾夜経む瀬音の崖の捨ひいな  貞

のような情景に、数年を経て、遠く離れた何所かで、誰かが偶然遭遇するかもしれない。
 それは津波の犠牲者だけではなく、東日本大震災全体の悲しみを飲み込んだ果ての霊沈めかもしれない。
 言うまでもないが、魂を慰めるだけで終わってはならない。人類全体の叡智を持ってこの犠牲の意味を活かすこと。そこからわずかずつでも確かな平安を得ていただくしかないと思う。
 (ここに挙げた句は、高橋睦郎が、2011年4月2日の記事に挙げたもののなから、わたしが心惹かれたものを選んだ。)
                                  2011年5月21日(土)
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