「うか」071 連載初回へ  トップページへ

  わたくしごと

                      木村多恵子

 漠然とながら、美しいものに心惹かれてきた。ならば、美しいものとは何か?心の優しさや暖かさ、毅然としながらも他者への配慮ができること。こうした魂の美しさは憧れていても、わたしには難しい。心がけたいと思いつつ、つい自己中心的になる。だからこそ、高潔な魂の持ち主に憬れるのである。
 誰でも美しいものを好もしく思うだろう。何を美しく感じるかは、その人それぞれに異なるが、生き方全般にわたって自然に美しさを造り出していると思う。たとえば、わたしが住んでいるアパートは、1フロワー19世帯の14階建てで、1階は図書館と、何世帯かの車いす使用者用の住宅になっており、2階以上全部同じ間取りになっているという。もちろんわたしは自分の住まい以外、他の一軒たりともどのように家具を置き、居住空間を作り出しているかは知らないが、たいていの人は機能的にこざっぱりと生活し易いように配置していると思う。あるいは少し物を多く置いて、優美に優雅に部屋の空間を飾っている人もいるかもしれない。好みに応じて異なることが美しさの「追求」とまでは言わないまでも、個性が醸し出す美しさではないだろうか。
 わたしが美について気づかされたのは、高校に入ってからのことである。何と遅い目覚めだろうと、今にして思えば恥ずかしい。
 ある曇り空の寒い冬の日であった。ラジオを聴いていると、男性評論家と女性の随筆家の対談であった。男性が言った。「わたしがあなたに初めてお会いしたのは、あなたが何かの理由で我が家へ訪問してくださる約束をしましてね。ところがあいにく、わたしが外出していて、お約束の時間より遅れそうになりながら急いで帰ってきたのです。時間の約束は守る方なので、一層気になって帰ってきました。少し雪もよいの日でしてね、玄関に入ると桐の駒下駄が綺麗に揃えてあり、上がり框に紫色のショールが畳んで置いてありました。その下駄の鼻緒と、ショールの色と、畳み加減と、さらにいうなら、下駄とショールの距離感が見事で、足袋の白を併せて連想されて、〈今日のお客様は楚々として美しい女性に違いない〉と思ったのです。もちろん直感は当たっていましたがね、あれはどのぐらい前のことでしたかねえ」としみじみ語っていた。
 わたしはこの桐の下駄とショールの置き場所から白い足袋を連想し〈美しい〉と感じる感性の豊かさに、打ちのめされるほど驚いた。美を造り出すこととは感性を磨くことなのだと肝に銘じた。
 そしてそのとき、わたしはある二つのことを思い出した。
 だとしたら、あのことは?もっと子供の頃(小学3、4年)の、冬の8時過ぎの、夜空を寒さに震えながら、独り見つめていて、真っ暗な筈なのに、身も心も吸い込まれそうな、背中がぞくぞくし、恐ろしさに、もう空を見るのを止めようと思いながら止められずに見入っていた、あの深い青い空はなんだったのだろう。泣きたくなるほど、いや確かにあの青、藍色だろうか?あの青を見るとき、何時も泣いていた。あの美しい青、今はもう思い出の中にしか無い色、深い深い藍色、表現しがたい濃く深く澄んだ青はやはり美しさなのだ。その美しさに我知らず感動していたのだ。
 もう一つの思い出は、やはり同じ時期だった。あのころ、わたしはまだ少し明瞭な色を識別でき、大きな物体なら、近くにあることを認識できた。ただ、夜の暗さの中では物体をさえ認めることはできなかった。
 その頃、近くの動物園へ遠足に連れて行ってもらったときのことである。山羊やウサギ、ガチョウ、七面鳥かな?とにかくそんな類の小動物を触らせてもらった。他に象の足と鼻も触り、象の背中は動物園のおじさんに抱いてもらって触った。ゴワゴワとした筵のようなもの、あるいは、太ーい縄で編んだようなものでもあった。わたしよりもっと小さい子は象に乗せてもらい羨ましかった。その後園内を巡り歩き、クジャクの小屋へ行くとなんだか黒っぽい大きなものがいるのは分かったが、形全体は全く分からない。ところがそのクジャクが突然羽を広げたのである。赤や紫、青緑?ああ、もうどんな色が含まれていたかは分からないが、ただ驚くばかりの美しさで、大きくもあった。思わずわたしは「わああー綺麗!」と叫んだ。すると引率の教師が「多恵子ちゃん、あれが見えるの?」と聞いた。もちろん詰問でも何でもない、素直に「ああ、あれがこの子には見えるのだ」と思っただけだと思う。ところがわたしは「はい」と言ったきり口がきけなくなってしまった。友達のほとんどがこの美しさを見られないのだと気付いたからである。このときもわたしは泣いてしまった。教師は泣き出すわたしにまた驚いた。そして同僚の教師と話していた。「多恵子ちゃんはクジャクの羽を見て感動しているのよ」と。そう、間違えではない。わたしは二つながらの思いで泣いたのだった。あの色とりどり(もしかしたらたくさんの色はないのかもしれない。がとにかく赤と、何とも言いがたい青緑(翡翠色?))の美しさは初めて見るものであり、感嘆していた。けれどもその美しさを伝えられないこと、一緒に喜べないことが悲しかった。何故泣いているのかと聞かれても、そんなことは言えない。自分だけ、この喜びを知ってしまった申し訳なさが、胸を締め付け泣きじゃくり続けた。園内をさらに回ったが、もうそれ以上のことは分からなくなった。ただわたしの泣きじゃくりを止めてくれたのは、下級生の男の子の、「多恵子ちゃん泣いてる」とはやし立てられて恥ずかしくなったからである。
 わたしはラジオからのメッセージに触発されて思い出したこの二つの美にまつわる思い出を、今まで以上に大切にしておこうと思った。今既に視力を失っているわたしは二度とあの色を見ることはないのだから、忘れてはならないと思った。
 そして平成の現在でも、あの深ーい青、藍色?は見てみたい。わたしの心にある美は、実際のそれとどう変わっているか分からないし、もしかしたらわたしの心に残るこれらの色は、現実と違っているのかもしれない。だが、わたしの表現力の乏しさはともかく、確かに「美しい」と感じたことは間違いない。
 大人になってから、「もし見えるようになったら何を見たい?」と聴かれて、即座にこの話をした。どうして何も明かりがないのに、空が青いのか分からない。と言うと、それは多分あなたが気付かない遠くに、あるいは下の方に明かりがあったのでしょう。その明かりに照らしだされた色なのでしょう。と言われた。確かにわたしが立ちつくしていた所は山の上であった。だから下の街の明かりが反射していたのだ。しかもまだスモッグもない昭和30年前半のことなのだから、空気も澄んで本物だったのだ。それにしてもあの吸い込まれそうに綺麗な空、あれは確かに「悲しいまでに美しい」と表言したい美の極致だと思う。
 一つ付け加えておきたいことがある。今現在のわたしは自分が見えないからこそ、側で誰かが「綺麗な紅葉!」とか、「裸木が美しい」と素直に言っていただくほうがうれしい。その言葉とその人の感動が伝わることによって、わたしは、わたしなりに自分勝手な「みごとさ」を想像して楽しんでいるのだから。
 一方、日常生活の中でも、たとえばバス停で、駅のホームでじっと待っているときのたたずまいの美しさ、人とすれ違いながら、ふと詫びるときのにこやかさも美に繋がるだろう。また、人と人との心が引き合い通じ合うのも一つの美の形だ。
 麗しいと書いてうつくしいと読むのを見つけた。古語における美くしは、現在の意味とは異なる。しかしやはり心地の良い言葉だとわたしは思っている。
 秋篠寺の管長だった堀内瑞善の歌に
 「人の世の美しかれと御仏は地にあれますか技芸天女と」
というのがあり、心惹かれるうたである。

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