「うか」102 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 沢山読んだとは言えないけれど、お話や物語を読んだり聞いたりするのは、子供の頃から好きだった。
 どんな内容が好きだったのか、今になってその理由を考えると、あたりまえだが、わたし自身の気質によるのだと思う。
 英雄物語や秀でた才能の持ち主が出て来る物語はわたしをおののかせ、少し後ずさりさせられる。
 特別に優れたファンタスティックなものも、わたしの想像力は付いてゆけない。
 主人公の知恵と才覚を生かすことで、知恵比べや、物語が広がり発展するものは、おもしろいけれど、自分で先を予測する余裕はない。
 そのような冒険ファンタジーは、現実から離れ過ぎて、あれは異次元の世界だ、と本当の共感は持てなかった。
 どうしてアリスが鏡の中に入って行けるのか理解できず、上級生に聞くと、「空想物語だからよ」と言われて、それで、〈不思議の国のアリス〉なの?「そうか、わたしとぜんぜん違う世界があるのだ」と自分の世界からいつの間にか、納得できないものははじき飛ばしていた。
 あまりにも悲劇的なものは、悲しくて苦しくて心が痛い。
 まま母物語は、たいてい性質のよくない人物として、継母や義理の兄弟が登場することが多く、これも心地が悪い。
 置かれた立場によって、そうならざるを得ない意地の悪さはあっても、底意地の悪い性質の持ち主が登場するのも辛い。
 戦争ものにもついてゆけなかった。
 初めて読んだそれらの本について、子供であるから断定的に好き嫌いを決めたわけではなく、本そのものを読むのは楽しみながらも、無意識のうちにわたしの実生活には縁遠いものと思っていた。
 おおぼら吹きのものは、手放しで笑えるほど鷹揚でもない。
 つまり、まったくおもしろみのない、生真面目と言うより、いろいろなことに頭を働かせる知恵も想像力もない単なる「おばかさん」だった。
 恥ずかしいことだけれど、大人になっても怖い話を聞いたり読んだりした当座は、何日も夜一人でトイレに行けなかった。それは、結婚してから20年くらい続いていた。
 どうしても行かなければならないときは、夫を起こして一緒に行ってもらった。13段の階段を降りるだけの狭いアパートにいたのだから、普通ならたいしたことはないはずなのに、一人では行けなかった。
 一人で階段をのぼっていると、下からだれかがわたしの足を掴んで引っ張られそうで恐ろしかった。恐ろしくて怖くて、夢中で駆け上がった。動悸が激しくて息が苦しい。自分の寝床にとびこんで、布団を頭からかぶり、足を縮めていないと安心できなかった。
 夫に着いて行ってもらうときは、わたしが先に階段をのぼり、夫にはあとからついてきてもらっていた。
 とうとうある日、彼は「いい加減にしろ」と言った。
 わたしも子供じみている、申し訳ないと思ってはいたものの、つい甘えていた。
 それからは仕方なく勇気を起して一人で行った。

 こんなふうに書くと、さぞや子供の頃、母親にべったり甘えていたように誤解されそうであるが、現実は決してそうではない。それどころか5才のときから寮生活をしていた。それ以前にも両親に甘やかされた自覚的な記憶はないので、本当はもっと早く大人になっていなければならなかったはずだ。
 寮では、いくらわたしが夜中に一人でトイレへ行けないと思っても隣に寝ている友達や上級生を起こそうとは絶対に考えなかった。
 そんなときは仕方なく足音を立てないように、つま先立ちで寮の長い廊下を走って往復していた。
 あるとき上級生が昼間わたしにそっと聞いた。「多惠子ちゃん、夜中に廊下を走っていたでしょう、どうして?」
 わたしは恥ずかしいのと、うるさい音を立てて、叱られるのかとぎくりとした。
 「うるさかった?」
 「いいえ、たまたまわたしは目が覚めていたから分かったの」
 「ご免なさい」
 「いいえ、誰もそれで起こされてはいないからいいの。でもどうして夜中に走っていたの?」
 「あのうー、トイレへ行くのが怖いの」
 「そう、それで駆けだしていたのね」
 「はい、ごめんなさい」
 「だから、だれも知らないからいいの。ただわたしはどうして真夜中に走っているのか知りたかったの。だれにも言わないから心配しなくていいのよ」
 それ以来夜中に起きなくて済みますように、と、一層願うようになった。

 こんな臆病者であるから、日常的に読む本も、強烈な個性のもの、心痛むものは、読後暫くは平静ではいられなかった。

 そんな本の中で、わたしをほっとさせ、安心させてくれたものがある。小学3年のころに読んだ、グリム童話集の中の「こびとの靴屋」である。

 (粗筋)
 貧しい靴屋の夫婦がいた。一生懸命働いているが、暮らしは一向に楽にならない。
 とうとう1足の靴を作るだけの皮を買うお金しかなくなった。「これが最後の仕事か」と寂しくつぶやきながら、おじいさんはその1足を作るために皮を裁断して、明日の朝、仕上げる段取りを整えて、仕事台に皮を揃えて寝た。
 明くる朝、夫婦が驚いたことに、見事なでき映えの靴が仕事台に乗せてあった。しかも、その日のうちにお客さんが買いに来て、とても履き心地がよいと言って、普段の2倍の値段で買ってくれた。
 そこでおじいさんは、2足分の皮を買って、夜のうちに裁断して、仕事台に用意して寝た。
 翌朝目覚めると、2足の靴が出来上がって仕事台にきちんと揃えてあった。この2足もその日のうちに2倍の値段で売れた。
 次の晩は4足分、その次は8足分、次は16足分と増えていった。丈夫で履き心地のよい靴だという評判が評判を呼んだ。夫婦はどうしてこんな不思議なことが起きるのか、誰が作ってくれるのか分からず、ある夜、二人は物陰からそっと様子をうかがっていた。
 夜が更けると二人のこびとが、裸で、窓から入ってきて、
 「ぼくらは小さな靴職人、/すてきな靴を作りましょう、/みんなが喜ぶすてきな靴を」
 こびとたちは歌を歌いながら、皮を縫ったり叩いたり、テンポよく、せっせと靴を全部作って出ていった。
 驚きながら夫婦は相談した。
 「お礼にこどもたちに合う靴を作ろう」
 「そうですねえ、わたしはズボンと上着、それに靴下を作りましょう」
 夫婦は早速仕事をし、夜になると、いつもの仕事台に二組のズボンと上着と靴下と靴をきちんと揃えて置いた。
 そうして今夜も夫婦は物陰からこっそりながめた。
 現れたこびとたちは言った。
 「皮がない!なにかあるぞ」
 ふたりは置いてあった服を着て靴を履いた。
 「わあー、ぴったりだ。/ぼくらは小さなおしゃれさん、/ぼくらは裸じゃないんだよ、/もう、靴屋じゃなくなった」
 二人は跳ねたり踊ったりしながら窓から出て行った。
 「ありがとう! これからはあんたたちに負けないように、わしが作る」
 それ以来こびとの靴屋は来なくなったが、夫婦の暮らしは豊かになった。

という筋である。

 この小さなお話には、楽しくて明るくて優しい人だけが登場している。何と心を和らげてくれる話だろう。貧しくても、このおじいさんとおばあさんは、いたわり合い、いつでも協力しあっている。精一杯自分たちで努力し、「だれか助けてください」なんて人に頼ったり、神様に願ったりしていない。あるがままに、自分たちでできることをしている。高望みもしていない。そして穏やかな暖かい心根だ。欲張らない。謙虚だ。
 二人の小さな靴職人も、楽しそうに歌いながら仕事をしている。この二人も多くを期待していない。
自分たちにぴったり合うズボンと上着と靴と靴下を受け取ることで、全てを諒解し、歌と踊りで、おじいさんとおばあさんにお礼とさようならを告げている。

 わたしにはこの話は究極のファンタジーに思える。
 最初にこの本と出会って以来、おおよそ60年あまり過ぎたが、わたしの心にこの話のエッセンス、この穏やかな老夫婦や、小さな靴職人のような素朴で汚れのない、「良きひと」ではないわたしだけれど、彼らを模範として生きてゆきたいと思ってきた。
 遅い気づきであるが、なぜ英雄の苦難を経て人間の真実を求める、あの壮絶な冒険物語が子供の成長期に必要なのかということが、やっと40代前後になって本格的に理解できるようになったわたしは、J.R.R.トールキンの『指輪物語』やオトフリート・プロイスラーの『クラバート』を震えながらも読めるようになった。

 今、現実の荒れ狂う世界の陰惨なこと、信じがたい凶悪なこと、どうしてここまで理不尽なことが起きるのだろう?ニュースを聞くたびに、わたしの心は壊れていきそうだ。それでも他人の悲しみを見ずにいる、避けて通るというのは「人として*Bあるまじき行為」だと思っている。それこそ「自分さえ平安で幸せであればいい」という、安易な考えは、自己中心という「罪」になる。
 せめて一日に1度ニュースを聞くことにしているが、身も心も縮みあがりそうな恐ろしいことが毎日耳に入り過ぎ、日常の平和が脅かされており、本当に、わたし自身が壊れていきそうなこのごろである。現実のニュースに圧倒されながら、何が正しいか、真実を見極めることがどれほど難しいことか、そのためにこそ勇気と知恵が必要であり、平和を保つためには戦わなければならないということも知っている積もりだけれど、現実に戦うのはそう簡単ではない。
                               2015年3月24日 (火)


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