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             わたくしごと
                                 木村多恵子

      クウェル ウォー

 いつものように考え事をしながら、床ふきをし、なにげなく小さくラジオをかけていた。
 男女2人の会話は、多分「ペドロ&カプリシャス」というポップスを歌うグループであろうとわたしにもぼんやりと推察がついた。2人の話を切れ切れに聞いていたら、「最初は大勢のグループだったが、初めにわたし(男性)が辞め、やがて散りぢりになり、改めてこの2人でグループを結成した…。」というようなことを話していたからである。会話と言っても主に男性が話していた。
 2人の活動内容は、わたしには分からなかった。だいたい、今しゃべっている男性がペドロなのか、カプリシャスなのかも分からないわたしである。そして歌詞はどちらが書き、曲はどちらが担当した…などちんぷんかんぷんであった。1つの曲の話をしても、曲そのものを、その場の流れに沿って聞かせてくれないので、ずっと分からずじまいで聞き流してしまった。
 …「だんだんカバー曲もやるようになってね。『クウェル ウォー(悲惨な戦争)』とかね。」と男性が言った。
 え?それはなあに?クウェル ウォー!という言葉が飛礫のように耳に飛び込んできてわたしをぎょっとさせた。だが無知なわたしにはクウェル ウォーがどんな曲であるか、誰が、どこで歌っていたものか全く見当がつかなかった。しかも番組そのものがこれで終わってしまったのだ。
 この「クウェル ウォー」というタイトルだけでわたしは、曲を探してもらいに図書館へ走った。図書館の方はさすがである。CDの正式なタイトルは聞きそびれたが、ネットから一枚のCDを探してくださった。歌っているのは、ピーター ポール &マリーだという。即座にそのCDをお借りし、曲のトラックナンバーは16だと教えていただいて、家に帰り、一気にトラック16を聞いた。

 え?…? この曲?メロディーは知ってる!わたしは中学生だった頃だろうか、メロディーだけは何度も聞いていた。けれどもタイトルも曲の背景も内容も、英語を聞き取る力のないわたしは他の流行の歌と共にわたしの心から素通りさせてしまっていた。ただ、このメロディーは甘く優しく切ないまでの悲しみをたたえていて、偶然聞くチャンスがあると静かに聞いていたことを思い出した。

 今新たに何度も何度もこの曲を聴き、
「トゥマロー イズ サンデー、
マンデー 、イズ ザ デイ、」
 などとほんの少しだけ聞き取れるようになった。
ああ、このひたすら愛し合う1組の(いいえ、多くの恋人たちの)代表の歌だったのだ。

 やっぱり原詩を写させていただきたいと、またまた図書館へ…。
「b」「d」「e」「p」「t」
など聞き取りにくくなっているわたしなのに、根気よく図書館員さんは写させて下さった。
 英語の、1つ1つの単語はさほど難しそうではないはずなのに、通して意味を理解することができないわたしのために、彼女はやはりネットから日本語の意訳を探してこれも写させてくださった。
 「The cruel war」という言葉は最初の1回だけであった。メロディーは知っているので、懸命に歌詞を見ながら一緒に歌った。この思いに引きつけられながら…。
 この曲が流行った頃はベトナム戦争であっただろうか。

 わたしは同じようなテーマの歌をふと思い出した。
 フランスがアルジェリアとの戦争(?)を扱った、1957年頃の「シェルブールの雨傘」という映画のテーマ曲だったと思う。確か同じタイトルのシャンソンで、「シェルブールの雨傘」と言ったと思う。こちらは「行かないで、行かないで」と訴える歌だったように思う。

 わたしにはもっと身近な、わたしの母と兄の現実の話もある。

 1942年頃だろうか、兄が赤紙を受け取り、中国へ発つ間際、母と兄は上野の山へ行ったという。あの当時はまだ上野は森だったという。母は兄に取り縋って「帰って来ておくれ、早く帰ってきておくれ」と泣いていたという。もうその当時は「行かないで」という言葉さえ口に出せなかったのだろう。

 わたしはこの話を高校を卒業した頃だったか、上野の森を切り崩し、土だった全ての道をコンクリート舗装されたころに、母を思って、兄はわたしに話してくれたのだ。上野の森での、母と兄の切ない思い出の場所、上野の森がなくなる寂しさも含めて、兄はわたしに話してくれたのだと思う。

 兄は奇跡的に遭難を避けられた船に乗って帰って来られた。けれどもそれまで母は毎夕玄関先に佇み、息子の帰りを待ちわびていたという。これはわたしの従姉妹から聞いた話である。
 この思いは、世界中の幾千万の母の苦しい思いである。戦争をしている当事者に関わりなく全ての母の願いなのだ。
 そして、戦争はどこで起きても悲惨なのである。

 最後に「Cruel War」の原詩と日本語意訳とを付記させていただきたい。スペリングは特にわたしが聞き違えて書き取った可能性があるので、このことの責任は全てわたしである。関わってくださったYさん、本当にありがとうございました。


Cruel War

The cruel war is raging
Johnny has to fight
I want to be with him from morning to night
I want to be with him
it grieves my heart so
Won't you let me go with you?
No, my love, no

Tomorrow is Sunday
Monday is the day
That your captain will call you and you must obey
Your captain will call you
it grieves my heart so
Won't you let me go with you?
No, my love, no

I'll tie back my hair
men's clothing I'll put on
I'll pass as your comrade
as we march along
I'll pass as your comrade
no one will ever know
Won't you let me go with you?
Yes, my love, yes ....
Yes, my love, yes


    悲惨な戦争 (ネットより日本語意訳)

1 荒れ狂う戦場にジョニーは行ってしまう。
  わたしは朝から晩まで、彼と一緒に居たいのに。
  一緒に居たい… その思いはわたしを深く悲しませる。
  わたしも一緒に連れて行ってくれない?
  いいえ、それは駄目ね。

2 明日は日曜日、月曜日が運命の日。
  月曜日になれば、あなたはキャプテンの招集に従わなければならない。
  あなたはキャプテンに呼ばれて、行ってしまうことを思うと、わたしはとても悲しい。
  わたしも一緒に連れて行ってくれない?
  いいえ、それは駄目ね。

3 髪を後ろに束ね、男の服を着て、あなたの戦友のようにして、一緒に行進するわ。
  あなたの戦友のふりをして通りすがれば、
  誰も気が付かないわ。
  だから一緒に連れて行って…。
  いいえ、それは駄目ね。

4 ああ、ジョニー。
  わたしはあなたに冷たくされるのが怖い。
  わたしは全人類のどんな人よりもあなたを愛しています。
  言葉では言い表せないほどあなたを愛しているの。
  だから、どうか、わたしを一緒に連れて行って。
  いいよ、と言って。
  いいよと…。
                           2020年1月5日(日)
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